パット・メスィーニに酔いしれる。
なんど、わが寝室にステレオを入れた。随分前からアンプ類はあったんだけど、スピーカーが無かった。実は以前ロジャースのLS3/5AというBBCの規格品のスピーカーが接続してあった。しかし、リビングに有るKEFのトールボーイが、息子の操作ミスでウーファーを飛ばしてしまい、今は使い物にならなくってしっているため、それをリビングに移した。それいらい寝室は音無の世界だった。こんかいミキサー周りの機材を整理していところ、スモール・モニターとして使っていたダイアトーンのフルレンジユニットがあったので、これをつけてみた。まあ、それなりの音だ。フルレンジ独特のまとまった音だが、やっぱりロジャースとは比べ物にはならない。でも音無よりは良い。今日は久しぶりにECM時代のパット・メスィーニ(一般的にはメセニーと言われるが、本当の発音はこっちのほうが正しい発音にちかい。)1977年に録音されたWATERCOLORSというアルバムを今聴いている。もちろんCDのリイシュー盤。マスターリング・クレジットはないが、おそらく日本で処理された物だと思う。オリジナルのアナログ盤を聴いていないので何とも言えないが、それでも今の巷に出回っている録音よりは、質の高い出来だと思う。最近の音楽の殆どは、デジタルで処理をされるため、デジタルで表現しきれる範囲に、音の信号が収まっている必要がある。それを外れると酷いノイズとなってしまうのだ。一方以前のアナログにも表現しきれる範囲というのがあったが、多少それを逸脱しても、ほとんど気にならない。場合によっては味になったりもする。(音の歪み)ともあれデジタル処理をする場合は、ノーマライズという処理を行う。これはデジタルで再生する場合に、出来るだけ大きな音になるようにすることだ。結果としてノイズは聞こえず楽なるためだ。しかし、これに加えてデジタルでのコンプレッション(音の強弱の圧縮処理)もかなりの頻度で行われる。これをすると音楽の強弱が潰れることになる。どうだろう、最近のポピュラー音楽のCDは、他のジャンルと比べると異常に音量がでかいことに気が付いている人もいるだろう。これは上記の如くの処理が行われるためだ。音楽の表現力は、音の強弱にあるといっても過言ではない。感動的な映画音楽、クラシック、ジャズどれを聴いても、音の強弱があるからこそ、多彩な表現に満ちあふれている。だからこそ、ゆっくり音楽を楽しむことが出来るというもの。僕は音のでかいCDが駄目だということではなく、いつもダンス系の音楽、ロックでも音が目一杯潰れているタイプの音楽ばかり聴いている人、たまには強弱のある音楽を聴いて欲しいなと、いつも思っている。パワーの世界ではなく表現の世界の音楽を楽しんでもらいたいし、そこでしか味わえない感動も体験してもらいと常々思っている。