アンティキティラ島の機械と失われた2100年前の技術文明 その3
前回の日記で、紀元前100年の頃には、金属を精密に加工できる可能性のある旋盤がすでにギリシャには在っただろうし、技術者も居たという想像が間違いではないだろうと書いた。旋盤があったとすると、ヒッタイト由来の鉄ハガネを工具に用いれば青銅や焼きいれ前の鉄などで作られた真円のプレートやシャフトなどが加工できたと言うことになるから、アンティキティラ島の機械の精密な歯車の加工を可能にするには、歯車の加工に欠かせない精度の高い割り出しはどうやったか?また歯のプロファイルをどうやって加工したかについて解明すればよい事になる。私も、製図版を利用して製図をしていた頃には使ったことがある、パンタグラフという道具をご存知だろうか?(以下参照)この製図道具の機構を用いれば大きな図から小さな相似形の図をたやすく描けるので、縮尺することで精度を高めると言う手法が使えることになるのだが、記録によればこのような道具は17世紀に発明されたと言うことなので、紀元前100年頃にすでにギリシャに在ったというにはかなり無理があるように思える。このパンタグラフという道具は平行四辺形のリンクとレバー比によって一定の縮尺比率を維持してコピー図を描ける仕組みであるが、ここまで洗練されていなくても、長い定規を作ってその一端に穴を明け、その穴を中心にして大きな円を描いたとすれば、その中心に極近い部分に小さな穴を設けてペンを取り付ければ、定規の長さを半径とした大きな円に対し、中心に近い小さな半径の位置に明けた穴に取り付けたペンが、その半径に比例した小さな円を描けることは当時でも利用できたと考えられる。だとすれば、半径1mほどの円を描き、歯車の数に分割した角度で円周上に点を描き、円の中心に定規の一端の穴を合わせ、もう一端を分割した円周上の点に合わせれば、その定規の中心近くに設けた穴をガイドに点を描けば、半径の比率に比例して精度が上がった点を精密に描けるから、紀元前500年頃にはすでに知られていたピタゴラスの定理(ギリシャ以前、エジプト文明でも使われていた)を利用して円周上に正確に割り付けた点を描けるなら、1mの半径で図を描いて、10センチの半径に割付点を得ようとすれば直接10センチの半径の円周上で割付点を描くより、10倍精度の高い割付点を描けることになるのである。小さな歯車を描画する際、直接作図に伴う線の太さは精度を甘くする原因となっていたはずだから、穴あき定規の長さの比率を利用した縮尺法を用いることで、高精度な角度割付描画が可能になっていたと考えられるのです。それらを応用すれば、定規の中心に近い半径の点に、丸穴ではなく歯車の正三角形のプロファイルの型の穴にするなどして、鉄ハガネのポンチでマーキングしておけば、正確な割付と同時に歯型を青銅の円盤の縁に刻印してゆくことが出来たはずだし、その刻印に沿ってヤスリを用いて歯車の歯を荒く削りだした後、同じ仕組みで60°の角度に仕上げた細かい目のヤスリを刻印の型の代わりに使って、穴をガイドにして仕上げれば、仕上げの精度もきわめて高められると言うことになると推理できる。従って、紀元前100年頃の技術水準でも充分精密な精度で歯車を作り得たと考えられるから、アンティキティラ島の機械に組み込まれた歯車は、驚くべきことではあるかもしれませんが、不可能なことでは無いと言い得ると思います。むしろ、そうした高い加工技術がなぜ継承されずに16世紀後半まで失われてしまったのかということが、より不思議なことではないかと思えて来るのです。