日本人は中国人をもっと知らねばならない・・・・。
ここ30数年の中国の経済発展は目覚しく、今後の更なる経済発展や国際的発言力の増大が現在の世界のバランスを少なからず失わせるであろうと思われるが、こと日本と中国と言うことを見てみればみなさんも知っての通り、GDP世界第二位であった日本を抜いて中国が2位に躍り出て、自動車の生産量ではすでに世界1位である。米国と中国の関係は経済で強く結びつき、嘗ての日本と米国の関係は時代とともに様変わりして、経済も軍事も中国の今後と、その関係が米国にとっての最大の関心事になってきているのは明白だ。尖閣諸島での中国との問題を見ても日本政府の対応云々以前に、日本からの巨額のODA援助を受けながら、中国政府は教育ではいまだに日本を敵視した教育政策を続けているのです。我々日本人からすると、中国のそうした政策はなぜなのだろうと言う疑問が在るかと思うのです。そうした状況でも日本人と日本国政府は国際感覚に疎く、対中国と言う部分では全く良いところ無しの状態で、中国の強引な政策になす術も無いような状況に見えるのだ。中国は何をしようとしているのか?中国人は何を尊び何を信じ、どんな哲学で生きているのかを知らねば、日本は中国に対し、どういう対処をして行くべきか見えてこないのではなかろうか?そんなことを思うこの頃であったのだが、ちょうどそんな時に過激とも言える、歯に衣を着せぬ物言いで有名な桜井よしこさんの記事を読むチャンスがあった。以下にその一部を掲載するが、それが全く真実なのかどうかは解らないが、概ねそうなのかなと思えるものと私は感じ、なんとなく自分にとって謎であった部分が少しだけ見えた気がしたのです。日本人は「嘘をついてはいけない」「人を騙したり、裏切ったりするのは恥ずべきことだ」と教えられて育ちます。しかし、中国人の常識はまったく逆で、嘘をついたり人を裏切ることは「賢いこと」なのです。『孫子の兵法』で、孫子が最上の勝ち方としているのが、謀略です。上手に嘘をつき、騙すことが尊ばれる。中でも「二重スパイ」が、一番価値が高いとしています。歴史において、「中国」という国名の国は実は存在してこなかったのです。私たちが「中国」と呼ぶその地域には数千年も前から、さまざまな民族が侵入し、各々、独自の王朝を作って君臨しました。支配したのは、必ずしも今の中国を支配する漢民族ではなく、蒙古人だったり満州の女真人だったりしました。彼らはそれぞれ何世紀かにわたる繁栄を築き、衰退し、新たな民族の台頭で滅びていきました。そして王朝が変わるたびに、歴史が時の為政者に都合よく書き換えられてきました。 中国にとっては、歴史は勝った側が作るもの。事実や真実には意味がなく、いかなる手段でも勝てばいいと考えるのが、彼らの常識です。 島国であり、戦国時代など一時期を除けば安定した社会が長く続いた日本で、正直さや誠実さが尊ばれてきたのとはまったく違うのです。ノーベル平和賞を受賞し、いまなお中国政府に拘束されている劉暁波氏も著書の中で、〈中国の『実用理性』は、事実や真実と向き合うことを最も嫌〉うことを特徴とすると書いています。 また、私が理事長を務める国家基本問題研究所の客員研究員・金谷譲氏は、『中国はなぜ「軍拡」「膨張」「恫喝」をやめないのか』(文藝春秋刊)の中で、中国人は「物の理」を理解できない人々だと指摘しています。〈現代日本、すくなくとも現代日本語において、“理”は「論理」と「物理」の二つを意味するが、この二つが混同されることはない。 一方、中国の“理”は、「論理」と「物理」が古代以来、基本的にいまだに未分化で、あるいは完全には分化しきっていない。また、それに関連するが、中国人の思考様式には、仮説・推論・実験による検証という(自然)科学的思考様式が存在しない〉 というのです。 これが彼らの“常識”であり、その考えから、「中国人は正しい。だから何をしてもいい」という中華帝国的思考が生まれ、傍若無人の振る舞いとなるのです。如何でしょうか、これが真実の中国を語っているのなら、嘘を恥とし、公平さ誠実さを尊ぶことが人間にとって共通する、あるべき人間像である。という理念が通用しない人々が暮らす国が中国であると言うことになるのです。現在、私が知り得る中国人像というのは、これらの文章からも解るけれど、少なくとも多くの中国人は、嘘を言わずに正直に語ることでバカを見る事は愚かなことと考えているだろうし、さらに人を騙すことで利を得ることを罪とは考えず、むしろ騙される側が愚かなのだと考えているのだろう。全ての中国人が同じであるかどうか私には調べる術も無いが、同様にこうした考えを持つ日本人も少ないとは言えないし、ことが商取引等の交渉であれば、何処の人であれ信用しすぎることは禁物であり、注意深く笑顔の奥に潜むかもしれない策謀を見抜かねばならない。たとえ真を貫いても、戦いに敗れてしまえば意味は無い。勝利せねば理想も何も無くなるのだから、先ず方法を問わず勝たねば始まらないのだ。と、彼らは言うかもしれない。歴史的にも現実は勝った方が正しいと言うことになるのだから、どんな汚い方法と言われようが勝つことが必須となり、相手を策略によって陥れることも賢いことになり、優れた知恵者の行いと言うことになるのだろう・・・、まるで春秋戦国時代のようだが、多くの中国人の論理基盤はそこにあるのかもしれない・・・・実に露骨な利己思想と言え、私の思想とは馴染まないものと言えるが、隣人がどういう人なのか知っておくべきことと言えるだろう。7ページに及ぶ桜井よしこさんの文章をぜひ読んで見てください。以下参照http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20110117-01/1.htm