白河法皇の三不如意
平安末期に現れた強大な権力者といえば、白河法皇。天皇の位を退位してからも、その子や孫を、次々と天皇に指名して権力を握り続ける院政という政治形態を創始し「院政時代」ともいうべき一時代を築き上げた傑物です。今年の大河ドラマ「平清盛」では、伊東四郎が味のある怪物ぶりを出して好演していますね。この白河法皇が始めた院政というものの、歴史的な位置づけは、というと、一つは、これまで権勢を極めていた藤原摂関家に代わり、その力が衰えた隙を捉えて、藤原氏から天皇家に実権を取り戻したということ。もう一つは、幼い子や孫を次々と天皇に就けることで、皇位の継承を安定化させることが出来たということ。しかし、それは、自分の直系に間違いなく皇位を継がせることが出来るようにという恣意から出たものであったとは云えますね。また、この白河法皇は、女性関係においても、旺盛かつ積極的な人でありました。身分を問わず、非常に多くの女性と関係を持ったといわれていて、さらに、その関係を持った女性を、次々と人に与えるということをしていたものですから、「白河法皇の御落胤」とされる人が、多く生まれることにもなりました。やがて、これが崇徳上皇の悲劇を生むことになり、さらには、平清盛なども白河法皇の御落胤であるという噂が、広く信じられることにもなっていきます。絶大な権勢の限りを尽くした、とも云える白河法皇。しかし、そんな白河法皇でさえ、自分の意のままにならないものが3つだけあったのだといいます。それが、この3項目。・賀茂の水・双六の賽・山法師このうち、賀茂の水とは、鴨川の氾濫のこと。今では、たおやかに流れている鴨川ですが、昔は、暴れ川として恐れられていたようで、幾度も氾濫を繰り返し、周辺に被害を与えていました。双六の賽とは、すごろくのサイコロのこと。これは、思った通りの目が出ないのは当然ではありますが、でも、意外と、白河法皇はすごろくが弱かったのかも知れません。そして、山法師とは、比叡山の僧兵のこと。当時、延暦寺は自分に不利な裁定があったりすると、神輿を担いで都になだれ込んできて、強訴を繰り返していました。さすがの白河法皇も、この延暦寺に対しては、打つ手もなく、ほとほと手を焼いていたようです。あの白河法皇が、どうしても思うようにならないと愚痴をこぼすぐらいだったということで、やがて、これが「天下三不如意」と呼ばれ、広く知られるようになっていったということです。私などからすると、三不如意どころか、何をするにも不如意なことばかり・・・。そうは言っても、白河法皇のような権力者になりたいとも、それがうらやましいとも、全く思いませんけどね。白河法皇のような生き方が、本当に幸せだったのかということも、よくわかりません。それでも、そこから垣間見える法皇の姿というのは、絶大な権力者にも、人間的な側面があったのだということが感じられ、三不如意を通して見る白河法皇には、少し親しみが湧いてくるようにも思えます。