幕末史を振り返って
このブログを最初始めた時に、好きな幕末史のことをまとめながら、勉強していきたいと思って書き始めたのが、「シリーズ幕末史」というカテゴリーでありました。始めた時には、幕末の主要事件を順番に取り上げていって、20回程度で終わるというくらいのつもりだったのですが、それが、とてもとても、なかなか終わらずに、気がつけば80回を超えていました。前回の日記で、鳥羽伏見の戦いにより、薩長維新政府の勝利が確定したところまで書き終えたので、この「シリーズ幕末史」もこれで終えたいと思います。幕末という時代は、異国に占領されてしまうかもしれないという危機感が背景にあり、日本人がはじめて、産業革命を経た近代文明を目の当りにし、世界の中の日本という視点を持ち、日本という国家を意識したナショナリズムが芽生え始めた時代でありました。外圧と危機感の中。多くの若者たちが、これからの日本をどうすべきか、どうあるべきかを真剣に考え、理想を抱いて行動しました。そして、その間、多くの若者たちが、志士として活躍し、そのうちの多くは、志なかばで斃れていきました。吉田松陰、久坂玄端、武市半平太、高杉晋作、坂本龍馬、中岡慎太郎・・・等々。そうして出来上がった明治維新政府。しかし、そこには、それがどう引き継がれていったのでしょう。ある意味では、彼らの遺志を受け継ぎ、又、ある面では、維新政府に影響を与えたとは言えるのだと思います。しかし、現実は、彼らが思い描いたような形での新生日本では、なかったように思います。維新後まで生き残った、明治維新の中心人物たち。西郷隆盛は、明治政府ができた途端、派閥争いと汚職が横行するさまを見て、何のための明治維新であったかと嘆き、戊辰戦争が終わるとすぐに、鹿児島に引っ込んでしまいました。桂小五郎(木戸孝允)も、新政権になじむことが出来ず、不平をこぼす日々を送り、やがて、病没します。そうした中で、実際に新政府を1人で担い、草創期の明治政府をけん引していったのが、大久保利通(一蔵)でありました。現実の中では、なかなか理想どおりに物事が進まないということはありますが、しかし、維新政府自体が、謀略とクーデターの中から生まれ、そして、慶喜があまりにもあっさりと抵抗をやめてしまったということから、突然、政権を担ってしまったという、維新政府の生い立ちの中にも、その要因の一つがあるように思います。「シリーズ幕末史」は、今回で終わりますが、今後も、戊辰戦争、明治維新政府や幕末の志士列伝 など幕末維新のことを書いていきたいと思います。また、これからも宜しくお付き合い頂けますようお願い致します。