摂津国一の宮
新年、あけましておめでとうございます。昨年は、このブログも、さっぱり更新が進まないまま、特に仕事が大変だったというわけでもないのに、さぼりぐせがついたということか、数えてみると、年間7回しか更新していませんでした。今年は、もう少しブログに力を入れて、少なくとも、月に一回くらいは更新したいと思っております。他に、今年の抱負は・・・?それもいくつかあるのですが、それはまた、あとで書くとして、今年は、元旦に、住吉大社へ初詣に行ってきたので、まずは、そのお話から・・・。大阪の初詣の代表格といえば、なんといっても住吉大社。そういわれているだけあって、とにかくすごい人でした。反橋を渡るにも、通行を整理する人がいて、足元を注意して渡って下さい。決して押さないで下さい。とばかりに、連呼されていました。それでも、何とか橋を渡り切り、本殿までたどりつきました。住吉大社というのは、全国に2300社あるとされる住吉神社の総本社。江戸時代以前、その地域で最も格が高いとされた神社は、「一の宮」と呼ばれていましたが、ここは、摂津国の一の宮であります。この神社の祭神はといえば、底筒男命(そこつつのおのみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)表筒男命(うわつつのおのみこと)この三神は総称して、住吉三神と呼ばれています。これに、三韓征伐の話で名高い神功皇后が祭神に加わります。住吉三神というのは、日本神話に登場する神で、古事記・日本書紀によると、イザナギの禊祓いの儀式により、生まれてきたということになっています。イザナギは、黄泉国(死の世界)に旅立ったイザナミを引き戻そうとしますが、それが果たせず、地上に戻ってから、黄泉国の汚れを洗い清める禊を行います。そのとき、瀬の深いところで洗うと底筒男命が、瀬の流れの中間で中筒男命が、水表で洗うと表筒男命が、それぞれ生まれてきたのだとされています。イザナギの禊祓いの儀式というのは、この時に多く神々が生まれてくるという話になっていて、色々興味深いのですが、この儀式の一番最後に生まれてくることになるのが、アマテラスとスサノオ。いわば、住吉三神というのは、アマテラス・スサノオのお兄さんにあたると言えなくもありません。この神社の創建譚については、神功皇后の三韓征伐の話と関連があります。「三韓を征討せよ」との神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて三韓へ向けて出航。このとき、住吉三神が現れて、神功皇后の身辺を守りつつ、時には突風に身を変え、神功皇后の船団を後押したといいます。帰国後、この住吉三神からのお告げがあり、神功皇后がこの地に創建したのが住吉大社であったとされているのです。 神功皇后の三韓征伐については、前にこのブログで書いたことがあります。 神功皇后三韓征伐についての過去の掲載記事 よければ、参照下さい。「住吉大社で、ここ見といたほうがいいよ、とかあったら教えて」ここに来る前、友人に聞くと、いくつか見どころを教えてくれました。住吉鳥居、手水舎、舞台、おみくじ、石灯籠などこれを探してみるのですが、人ごみであまり動けないのと、雪も降ってきて、寒いから帰ろ、と家族が急ぐので、結局、3つくらいしか見つけられませんでした。残念。本殿で参拝を済ませたあとは、お守りを買って、住吉大社をあとにしました。住吉大社は活気があって、なかなか良い神社ですね。また、通常の日に一人で来て、ゆっくりと歩き回わってみたいなと思いました。思えば昨年は、色々な意味で人とのつながりが深まった一年でもありました。このブログを通じて出会った人たちにも、何かとお世話になりましたし、また、それ以外の部分においても・・・。そうした人との出会いというのは、今年も大切にしていきたいなと思っています。そして、何より健康に留意し、平凡でもいいから、災禍なく穏やかに過ごせる一年であることを願っています。皆さまにとっても、この一年が良い年でありますように。本年もよろしく、お願い申し上げます。