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第二巻 愛の渇き・青の時代・夏子の冒険


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第五巻 女神・沈める滝・幸福号出帆


第六巻 金閣寺/永すぎた春/美徳のよろめき


第七巻 鏡子の家


第八巻 宴のあと/お嬢さん/獣の戯れ


第九巻 愛の疾走/午後の曳航/肉体の学校


第十巻 美しい星/絹と明察


第十一巻 音楽/三島由紀夫レター教室/夜会服


第十二巻 複雑な彼/命売ります


第十三巻 春の雪/奔馬


第十四巻 暁の寺/天人五衰


第十五巻 花山院/みのもの月


第十六巻 世々に残さん/菖蒲前


第十七巻 殉教/花山院


第十八巻 日食/死の島


第十九巻 ラディケの死/志賀寺上人の恋


第二十巻 月澹荘奇譚/孔雀


第二一巻卒塔婆小町/只ほど高いものはない


第二二巻 葵上/鹿鳴館


第二三巻 弱法師/黒蜥蜴


第二四巻 サド侯爵夫人/わが友ヒットラー


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オーラの泉

May 20, 2018
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カテゴリ:オーラの泉
佳き調べと詞をたくさん記憶に残してくださった方、
ご冥福をお祈りいたします。

西城秀樹さん・オーラの泉







Last updated  May 20, 2018 07:00:15 AM
November 29, 2014
カテゴリ:オーラの泉
今朝の新聞で拝見しました。どうぞ安らかにおやすみください。






Last updated  November 29, 2014 03:20:26 PM
March 11, 2014
カテゴリ:オーラの泉
知り合いを転々としながらも、お父さまの交友関係でご実家の焼け跡を訪ね、
立て札に連絡先を書いてくださる方々の中に、
金馬来たる、連絡乞う」の文字を見つけた海老名さん。

終戦記念スペシャルとして2006年に放送された番組の模様を再録します。

***

美…美輪明宏さん
国…国分太一さん
江…江原啓之さん
海…海老名香葉子さん

(昨日の日記より続き)
「訪ねて行ったら、『生きてたのかい、よかったねぇ』と言ってくださって。
その日のうちに、私、拾われました。『うちの子におなり』って言ってくださって。」
昭和25年(1950年)に、落語家・先代柳家金馬氏に引き取られたそう。

「でも、当時は落語家さんたちも大変だったでしょうに。」
「『うちの子におなりよ。苦労しただろうになあ』って言ってくださって、
その日のうちに暖かいお布団に寝かせてくださったときに『これで助かった』と思いました。」

それからお兄様を探して、ようやく再会。幼い顔に似合わぬ大人びた口調で、
神田・今川橋で着物の腰紐を売っておられたそう。
「『なんで東京なんかに出てきちゃったんだ。おばさんの家にいればよかったのに』って
兄は泣いているんですよ。」
「偉いわね、そのお兄さん・・・。」

「それまで、支えていたものは何だったんですか。」
「無我夢中ですね・・・。」
「生きる本能ですよね・・・。」

「無我夢中で、親兄弟から来た手紙の束を背負ってました、いつも肌身離さず。
弟が生きた証はメンコがひとつあるだけ。」
「ずっと持ってたんですか・・・。」
「はい・・・。」

金馬氏の紹介で三平さんに出会い、やがて海老名さんは林家一門を支えるおかみさんに。
「三平の母が、よく来てまして。『丈夫で、元気そうで、長持ちしそうでいいわね
ということで私、嫁にもらわれました。」
海老名さんは本当に嬉しそうに、にこにこと可愛らしい笑顔でおっしゃいます。
玉ねぎコロリン
【海老名香葉子 玉ねぎコロリン】

近年、海老名さんは慰霊碑「哀しみの東京大空襲」(現龍院墓苑前)と、
平和の母子像「時忘れじの塔」(上野公園内)建立に奔走。
「私は大勢の人が集うところに、どんなことをしても『平和の母子像』と
慰霊碑を建てたい一念で、個人で動きました。」

犠牲者が累々と積まれていたという上野の地に、終戦後60年の節目である
2005年に完成。
それまでには数多の苦労と、不思議な出来事に出会われたそう。

空襲のあと、お父さまとお母さまに呼びかけ、
返事の代わりに風を吹かせてください」と祈るも、なんの徴もなかったため、
死んだ後は無」と思っていたという海老名さん。

ところが、慰霊碑建立が難航し、諦めようか迷いながら眠りについたとき、
頭の上から冷たい風が吹き、後ろで白い着物で坊主頭の男性の気配がした。

「とんとんと肩を叩かれて。『なあに、なあに?』と言ったら、頭の中で
頑張って慰霊碑を建ててくれ』って言ってるような気がしたんです。
私、どんなことがあっても、頑張って完成させるから。大丈夫だから』って言ってるのに、
まだとんとん叩いているものですから、私その人の手を持って、引っ張ったんですよ。
そうしたら、その人が私の前に倒れてきて、髭のザラザラが頬に感じられたんですよ。」

気分が悪くなり、起き上がるも、その髭の感触は残っている。そのほかにも
彫刻を作る方の手が腫れ上がり、完成に間に合わないと思われたときも治ってしまったり、
使っていた道具の破片が胸に突き刺さったときも、
たまたまポケットに入れていたラジオに当たって助かったりなど、
他にも様々に、奇跡的なことが起こったようです。

江原さんによると、焼け跡でサツマイモをくださって励ましたのはお父さま
そして、坊主頭の男性は、成長した弟さんなのだそう。
「四つで亡くなった弟さんが、成長して見せるんですよ。
そんなに立派な大人になっちゃうわけ。それと、蓄音機の思い出があるんですか?」

海老名さんのお顔が明るくなり、子供の頃にご実家にあった大きな蓄音機の周りに、
家族全員が集っていた様子をお話になりました。
その愉しい思い出をずっと忘れないで欲しいというお父さまからのメッセージ。

思い出だけは残りますものね。物が焼き消えてもね。」

海老名さんの後ろにいらっしゃり、慰霊碑についても協力してくださったのがお姑さん
「二人羽織のように、一緒になって働いてくれましたよ。」
「そうですか・・・。信仰家でした、義母は。助けてくれたんだわ、それじゃあ。」
「それはひとつには、『世のためにいい事をしている』という感覚もあること。
もうひとつには、『感謝の気持ち』ですって、香葉子さんに対しての。
それとね、三平師匠も助けてくれてますよ、このお母さんと一緒に。」
海老のしっぽ
【海老名香葉子 海老のしっぽ】

三平さんはきちんと浄化していらっしゃるそうで、
それでも海老名さんのおそばにいることも多いのだそうです。
「浄化しているけど、上に行っていない?」
「それはそうかもしれない。」
「上に行っちゃったら、行った切りの状態になったりする場合もあるの。
あまり高いところに行くと。」

お亡くなりになった家族は、海老名さんのことに安心し、完全に浄化されている。
行方不明になっていたお兄様も竿師となってご実家「竿忠」の四代目となり、
江戸和竿協同組合の組合長を務めておられるそうです。

これまで身を律することで生きてきた海老名さんに、
「かよ子ちゃんに戻って、女の子らしいファッションを、青春を、今から楽しんでいい。
ご褒美です。」というメッセージも。
お父さまとお母さまからは「置いていってごめんね」とのお言葉。

「それからこれは、海老名さんだけではなくて、皆さんにもなんですが
家族を大切にしてください。』とおっしゃってます。

世の中みんなに対して、『家族、絆を大切にしてください』ということを伝えたいと、
お父様もお母様も、お姑さんまで。」
「やっぱり家族ですかね。いなくなっても家族ですね、守ってくれるのは。」

「本当にそうですよね。その家族の広がりが世界であれば、
世界と感じ取れれば、戦争はないんですよね。」
「そうですね。」
江原啓之のスピリチュアル子育て
【江原啓之のスピリチュアル子育て】

「世界を見れば、戦争に近い場所もあるわけじゃないですか・・・。」
「近いんじゃなくて、戦争中なのよ。」

「いまの話を聞いていて、この話がどこかで、
そういう気持ちになっている人がいるっていうだけで、
本当にくだらないことを僕らがやっているということを、本当に今日はひしひしと感じました。
このオーラの泉を今日、見た方の中で、同じような気持ちになっていれば、
同じことは繰り返さないのかなと。本当に絶対繰り返しちゃいけないことだと、思うんで。」

「それにしても、いまの時代はねえ。あのころの地獄に比べれば、
有難尽くめだとお思いにならない?」
「だからそれこそ、毎日が勿体無くて。時間ももったいないし、物ももったいないし、
着てるものももったいないしっていう感じ。」
「ですよねえ。」
「本当にありがたいって思います。」

「隙間風の入らない建物にいて、暖かい布団、着るものがあって、
食べるものはお金を出せばいくらでもある。有難尽くめですよね。」
「ええ。」

「かえって今の若い方は不幸かもしれませんね。生まれたときからそれがあるから。
ありがたみがわかりませんよね。一度禅寺へ行って、穀断ち(修行のために誓いを立てて、
米・麦・豆など穀類を食べないこと)をすればいいんですよ。
そうすると、お水一杯でもありがたいもの。」

「考えさせられましたね。僕が知っている戦争っていうのは学校で習ったことであり、
それは『19○○年に東京大空襲がありました。』そこで話は止まっていたので、
こんなに悲惨なんだっていうことを、初めて聞いたような気がして。」
CDブック「わたしたちの平和のうた」
【CDブック わたしたちの平和のうた】

「若い人にはね、じゃあこう考えたらどう?って言うの。
『家へ帰ったときに、もう明日からお父さんいないのよ
愛するご主人はいないの、わが子も会えないのよ。
孫が可愛い可愛いって言っても、孫が死ぬのよ。兵隊にとられちゃうの、赤紙一枚で。
一生会えないの。死ぬんですよ、その人たち。
考えてみてください、どういう思いをします?
可愛いわが子が明日からいなくなるのよ。
自分が殺したわけでもなく、病死でもなく、理不尽に人に命令されて死に追いやられるのよ。
それが戦争なのよ。』って。」

***

ご覧いただきありがとうございました。

「オーラの泉・日記リンク」






Last updated  March 11, 2014 08:34:39 AM
March 10, 2014
カテゴリ:オーラの泉
2時間で10万人の命と東京の6分の1を奪いつくした東京大空襲。
終戦記念スペシャルとして2006年に放送された番組の模様を再録します。

***

美…美輪明宏さん
国…国分太一さん
江…江原啓之さん
海…海老名香葉子さん

(昨日の日記より続き)
「3月9日の夜半から、沼津で退避命令がでましてね、
山の上に登っていったんですよ。

真夜中過ぎましたらね、東の空がボーっと赤くなってて。
東京がやられてるぞー』って大人の声が聞こえましてね。
子供でしたからもうとにかく、正座して拝んで拝んで拝んで、一生懸命拝みました。
それで明け方戻ってきましたら、
本所深川は全滅だってよ。』ってお友達に言われたんですよ。

それでも元気な兄達、父も元気でしたし、絶対大丈夫って、祈りながら思ってましたけど、
それから四日目。
すぐ上の兄(喜三郎さん。当時13歳)が、もうぼろぼろになって現れまして。
着てるものから何からぼろぼろで
ごめん、ごめん・・・。みんな死んじゃったんだ。』って言って現れたの。

『父ちゃんも母ちゃんもみんな死んじゃったんだ・・・。
かよ子、ごめんね、ごめんね・・・』って泣いて現れましたの。」

「『ごめんね・・・』っていうのが哀れですね・・・。
自分のせいみたいに思っているっていうのが・・・。
自分ひとりだけが生き残ったっていうね。」

「はい。父は警防団(父 忠吉さんは警防団・班長で消火を指揮)に詰めてましたから、
途中で帰ってきたんですよ。そこの学校が焼け落ちちゃったんで、
違う学校へ行ったら門が閉まってて。
中に入れば助かったんですけど、門が閉まってて入れなかった

それで学校の校舎と塀の間を乗り越えて。炎を避けるために
母が弟を胸に抱いて突っ伏して、その上から父が覆いかぶさったんです
三人の兄達は寄り添って。

一番上の兄が『日本男児だ。潔く舌を噛んで死のう』って言ったら、
父が『喜三郎、あそこに逃げろ!』

無我夢中で、気がついたら自分ひとりが学校の中に入ってて、助かっちゃった。
自分ひとりが生きてるのが悪いように、私に『ごめん、ごめん』って。

一晩、抱き合って泣いて・・・。
二人でお世話になるのは悪いからって、ひとりで東京に帰っていっちゃったんですよ。」
ガラスのうさぎ新版
【高木敏子 ガラスのうさぎ】

中学一年生のお兄様が、麦畑の中で手を振りながら去ってゆくのを、「大丈夫かなあ」と
心配しながら見送った11歳の海老名さん。
「もちろん、止めたわけですよね。『一緒にいよう』・・・。」
「『一緒にいよう』って言ったんですけど、私の手を取って涙をぽとんぽとん、兄が垂らすの。
その涙が熱いんですよ。熱い涙なんて、あのとき以来知りません。」

「お兄様は当ても何もおありにならなかったでしょうにね。
だって東京全部、焼け野原ですものね。」
「何もないです。それなのに戻って行っちゃって。闇市だとか、その辺りを歩いていて、
兄は行方不明になっちゃいました。」

「もう本当にね、憎らしいわよ。だって日本中、じゅうたん爆撃
(じゅうたんを敷き詰めるように目標一帯を集中的に爆撃すること)。
じゅうたんをひいたみたいに全部、やっちゃう。」

じゅうたん爆撃は、下町の密集地ですよ、紙と木でできた
爆弾を周り中に落として、(逃げ道を全部断ってしまってから)
そこに焼夷弾(火炎や高熱で殺傷・破壊する爆弾)を落としたんですよ。
ガソリンの塊みたいなものですよね。地上何百メートルのところで、炸裂して落ちるんです
だから火の海になって・・・。

東京大空襲はたった二時間で、十万人の人が死んだんですよ。
もう火の海の中でみんな苦しんで・・・。」

「すごい残酷でしょう?だってね、戦闘要員、つまり兵隊さんとか軍事施設だけだったら
わかるわよ。戦う能力のない、非戦闘員の女、老人、子供をやる?
(第二次大戦の犠牲者6000万人のうち、その半数は民間人だった)

だからある空軍大佐は、軍事施設だけやりましょうって。アメリカにも良心的な人がいるのね。
でもその人はぽーんと左遷されてしまって。皆殺しにしろってことになったの。
それの私たちは犠牲になったんですよね。」
「そうですよ。」

東京大空襲の5ヵ月後、1945年8月には広島に次いで長崎に原子力爆弾が投下され、
7万人が犠牲に。
当時10歳の美輪さんは、ご自宅でその惨状に出会います。

「私は原爆が落ちたときに長崎にいたんだけど、全然、何の音もしないのよ。
ああいい天気』って、防空頭巾被って、夏休みの宿題の絵を描いて、
出来上がりを見ようとちょっと下がった途端に、ピカってなったのよ。

え?こんな雲ひとつない、いい天気に?』
マグネシウムをたいたみたいに、雷?って思うか思わないかのうちに、
雷を一千万個くらい集めたみたいな轟音がして、瓦が全部、降ってきちゃったの。」
ふたりのイーダ新装版
【松谷みよ子 ふたりのイーダ】

カフェーを経営していた美輪さんのご実家は洒落た洋館で、ガラスをふんだんに使った造り。
そのガラスが爆風で全て、一瞬にして砕け
立っていたすぐ後ろの壁や、床に鋭く、直角に突き刺さった。

ところが、顔にもどこにも、何一つ傷を負っていない。
一緒に逃げたお手伝いさんやお兄さんも、裸足だったにも関わらず、
まったく怪我をしていなかったそう。
「帰ってきたときにどうやって逃げたのか。ガラスが全部、針山みたいに刺さってるの。」

原爆が投下された長崎では、爆風と熱線で半径1キロメートル以内は全壊
半径2キロメートル以内も80%が倒壊したほどの被害。

「外に出たら・・・」
「もう、地獄ですよ。
馬は横倒しになっていて、引きつけを起こしているし。
馬車引きのおじさんは飛び上がって叫んで。全身、皮が剥けているのよ。もう地獄。

あちこち逃げて・・・。塀の下敷きになっている人が
助けて』って腕をつかむのよ。
キャー』って逃げたら、その人の肉が剥けて、腕にぴたっとくっつくの。
もう、すごいわよ、戦争っていうのはね。」

終戦後、戦災孤児となった海老名さんはご実家の処理をするために中野のご親戚のもとに
引き取られるも、そのお家そのものが、焼け野原に焼けトタンを立てただけの小屋で、
親子が肩寄せ合っているようなところ。
居たたまれずに、親戚や知り合いのもとを転々とする日々だったそうです。

「東京に戻ってきてからは、生きる戦いでした。どこのお家もそんなに長くいられないで。
子守をすれば新制中学に行かせて下さるっていう家があって。
そのうちもおじさんが職が無くなったから『あんたの面倒みられない』って言われて。
葛篭を背負って、あっちの家、三日、こっちの家、三日って転々として、学校も行かずに。」

「数日で変わっていっちゃうんですか?」
「だいたい、『こんにちは』って言って、いられそうだなと思うと、三日、四日いるの。
で、『これが限界だな』ってわかるんですよ、自分で。そうすると
おばさん、さようなら。ありがとう』って言って、次のところに行くの。」

「あの頃はね・・・。
親が子を食べさせるのに自分が食べないで、子供達だけ食べさせるって言うでしょう?
おにぎりを三つ持ってたら、大金持ちなのよ。(終戦後、食料不足で米は貴重品だった)
お金が何の役にも立たないの、品物がないんだから。

ご親戚をたらいまわしっておっしゃったけれど、親戚も自分達が子供に食べさせるだけで精一杯。
そういう時代だったのよ。だから、
日本人はどうやって生きてきたのかしら?』ってお思いにならない?」

雑草が生えてきたんですよ、焼け跡に。ふすま粉(小麦をひいて粉にしたとき残る皮の屑)を
すいとん(雑炊)のようにするんですけど、固まらないからどろどろ。
そこに雑草を入れて食べてました。」
「かぼちゃのヘタとかね、大豆のカスね。」
はだしのゲン(6)
【中沢啓治 はだしのゲン】

実家が焼け落ちたあとに、初めて行く気になったのは、
もしかしたらみんな生きているかもしれない』と思ったから。

「どきどきして、三ノ橋っていう橋の上に立ったときに、
これはだめだな・・・』と思ったのは、町が全部消えちゃってなかったんですよ。
人もいなくなったし、家も消えちゃったし、『皆消えたなあ・・・。』ってその時思いました。

うちの焼け跡の前に立ったとき、初めて大声で泣きました。
とうちゃーん、かあちゃーん』って叫んで焼け跡に入って。

3月に空襲があって、そのときはもう12月の終わりで。
ザクザクと焼け跡を掘っていったら、最初に弟の昼寝布団が出てきたんですよ。

これ、こうちゃんのだぁ』と思って、抱きしめました。
母のお茶碗のかけらや何か、みんなの生きていた証が出てきて、泣いて泣いて。」

12月の寒空のもと、雪が降ってきても『もうこのまんまでいいや・・・』と
ご実家の石段のあった場所に膝を抱えてじっとしていたとき、
通りかかったのが黒っぽい姿の男性。

「『助けて』って言おうと思ったけれど、言わないで座っていたら、
その人が戻ってきたんですよ。
『姉ちゃん、しっかりしなくちゃだめだよ。こんなところでこんなことしてたら
死んじゃうじゃないか。頑張ろうよ、頑張ろうよ・・・。』って言ってくれて。

顔をみないでじっとしていたら『おあがり、おあがり』って。
何の気なしに手を出したら、さつまいもを半分割ったのをくれて
それを夢中で食べましてね。体に本当に伝わって。

ああ、今の人、神様だったかしら?』って、そのとき思いました。」
「まだあの頃は、人情っていうものが残ってましたからね。」
「そんな方がいるんですね。」
半分のさつまいも
【海老名香葉子 半分のさつまいも】

明日は海老名さんが建立に奔走された上野の慰霊碑にまつわるお話です。

***






Last updated  March 10, 2014 08:48:14 AM
March 9, 2014
カテゴリ:オーラの泉
終戦記念スペシャルとして2006年に放送された番組の模様を再録いたします。

***

美…美輪明宏さん
国…国分太一さん
江…江原啓之さん
海…海老名香葉子さん

「つい60年前まで、日本が戦争をしていたことが考えられないんですけれども。」と太一くん。
「アメリカと日本が戦争したことを知らない若い人がいっぱいいるんですよ。
建物とか、生命だけじゃなくてね、伝統とか文化とか人の心も、全てを灰にしたんですよ。

それまで日本は、アインシュタインもエジソンもチャプリンも、モネもマネもゴーギャンも、
ロートレックもゴッホも、『日本ってなんて素晴らしい。』世界中から尊敬されてたんですよ。
だから、60年たってもいまだに取り戻せないっていうのがね、本当に腹立たしいですよ。」

「私も戦後の生まれですからね、戦争を知らないわけですけれども。」
「でも名残があったでしょう?」
「そうなんですね。祖母からしっかり聞かされてて。

私は東京の下町生まれですから東京大空襲がありました。
だからその時の話で、どうやって生き延びていったか、常に聞かされていたので、
私にとってはものすごくリアルなんです。その想像の域だけでもリアルなんですね。」

「これは絶対に、語り継いで、語り継いで、語り継いでね、その時代、その時代の人たちに、
二度とこんな愚かなことをさせないように、語り継いでゆく義務があるんですよ。」
戦争と平和愛のメッセージ
【美輪明宏 戦争と平和愛のメッセージ】 

☆ 東京大空襲・・・1945年3月10日 第二次大戦中、
アメリカのB29爆撃機が、焼夷弾(しょういだん)1600トン以上を投下。
東京の6分の1が焼失し、10万人以上の生命が奪われた。

第二次世界大戦は世界中で6000万人以上の犠牲者を出し、
日本人だけでも犠牲者は300万人以上。

東京大空襲は終戦の5ヶ月前。このとき6人の家族をいっぺんに失ってしまったのが
故・林家三平さんの奥さま、海老名香葉子さん。
とても可愛らしい少女のような声と笑顔の女性で、苦労を微塵も感じさせない明るい雰囲気の方。
番組をよくご覧になっていらっしゃるようです。

「もう観ていてどきどきして。美輪さんも江原さんも的確にお話になっていらっしゃるから。
そうそうって思いながら。」
お二人とは初対面ながら、夫君の林家三平さんは美輪さんとご交流があったようです。
「ご主人の三平さんは、よく新宿七丁目のライブハウス『銀パリ』ってところへ。
ずっと40年出てましたからね。そこへね、しょっちゅういらしてたの。」

戦時中のお話を聞きたいんですけれども、海老名さんは当時11歳?」
海「はい、小学校五年生でした。」
本所深川(墨田区)生まれで、生家は江戸時代から続く竿師(釣竿職人)。
お父さまは竿師として日本一だったそう。

東京大空襲があったとき、海老名さんは、たったひとり沼津の親戚へ疎開(そかい)中。
「父も母も祖母も。祖母は国防婦人会の副会長をやってました。
兄は3人おりまして、4人目が女の子の私で、8歳下に可愛い弟がいたんです。
この8人家族で、私ひとりだけ疎開しまして、家族は残ってたんです。」

「家族と別れるときのことは覚えてますか?」
「よーく覚えてます。母が二階の母の箪笥の前に座りましてね、私の手をギュっと持ってね、
かよ子、あんたは明るくて元気で強い子だから大丈夫ね。』って言ったんですよ。

その後、母は涙をぽろ、ぽろ、ってこぼしたの。
それまで私は、はしゃいでたんです、出かけるので。
でも母の涙を見たら、心細くなったんですよ。

もし疎開してお友達ができなかったらどうしよう。』って言ったら、
また私の手をギュっと持って、
あんたは明るくて元気だから人に好かれるのよ。だから大丈夫よ。』って
念を押して言ったんですよ。で、疎開しました。」

「お父さんは?」
「父は葛篭(つづら 衣類を収納する箱)を持ってくれて、弟にね
『こうちゃん、姉ね(ねえね)はね、頑張って疎開するからね。』

弟は数えの四つで、可愛い子でしたの。『姉ね・・・』って言っておもちゃ箱に行きましてね、
私に、ひょっとこの絵が描いてあるメンコをひとつ持ってきてくれたんです。
それをポケットに入れて、父に連れられて疎開しました。」

「ちょっとわからないんですけれども、何故、海老名さんだけが疎開したんですか?」
「軍で強制的でございました、あのころは。ちょうど私が五年生から、
強制的に全員、疎開することに。」

「お兄さんはおいくつだったんですか?」
「兄は中学一年でした。」
「なるほど。中学一年生だったから疎開せずに。」
☆ 強制疎開・・・第二次大戦末期、戦火を逃れるため、
幼児・老人・学童などが地方へ避難させられた。

「それは大人の手が足りなくて、学徒動員で疎開できなかったの。
何故、小学生が疎開になったか。次の日本を背負って立つ種を絶やしちゃいけないから、
強制的に無事なところへ疎開させられたの。」
☆ 学徒動員・・・第二次大戦中、中学生以上の学生は軍需産業などの労働力として動員された。

沼津に行っても、三日に一度は家族から手紙が来て、寂しさを紛らわせてくれていたそう。
「どんなことが書かれていましたか?」
「父はね、いつも頭のところで、『かよ子ちゃんの夢を見ます』って書いてあるんですよ。
『寂しくなったら、東京の空に、父ちゃん、父ちゃん、父ちゃんと、三回呼んでごらんなさい。』
って書いてあるんです。」
「やさしいお父さまね。」
「ええ。」
さみしくなんかなーいよ
【海老名香葉子 さみしくなんかなーいよ】

危険を避けて疎開した沼津にも1945年には8回もの空襲があり、
市街地の大半は破壊されたそう。また、人を直接攻撃する機銃掃射も。
「低空で飛行機が飛んで来るんですよ。一度なんか学校で帰宅命令が出まして、
空襲警報のサイレンも何も鳴らないうちに、米軍機がワーと来まして。

防空頭巾を被ったまま夢中で、垣根に頭を突っ込みましたの。
しばらくたってみたら、防空頭巾に鉄の破片が刺さっていて、慌てて落としました。
火みたいに熱かったんです

それから近くに自転車がひっくり返って、ぐるぐる輪っかだけ回っていて。
はっと気がついたら血がぱっと広がって・・・。」
目の前で自転車に乗っていた人が、飛行機が来たことによって・・・。」

「飛行機の上から撃つのよ。ほとんど面白がって撃つの。」
低空飛行っていうのは、どのくらいまで下がってくるんですか?」
顔が見えますよ。」
顔が見えるくらい。」
お二人が同時に答えるのに、太一くんは驚き、江原さんは何かが腑に落ちた表情に。

「実は祖母からね『本当に操縦しながら笑ってた』とかね。
作り話だろうと思ってたんですよ。顔が見えるまでね、
そんな低空飛行ないだろう』と思っていて。」

「面白がって来るのよ。それで飛んで来るときにエンジンを切ってくるの、
音がしないように。スーッと無音のまま、爆音がないのよ
そばに来てから、急にエンジンをかけて。

私も千々石(ちぢわ 長崎県)ってところに疎開して、機銃掃射やられたんだけど、
面白がって撃ってるの。標的をゲームでダーっと撃つみたいに。

私たちは逃げ惑うじゃない?そうしたら、また引き返してくるのよ。
もう、面白がって楽しんでるの。」
「信じられないですね。」
「そうよ。」

明日は海老名さんの東京大空襲のお話と
長崎に投下された原爆を体験された美輪明宏さんのお話です。

***

「オーラの泉・日記リンク」






Last updated  March 9, 2014 08:49:06 AM
August 17, 2013
カテゴリ:オーラの泉
知り合いを転々としながらも、お父さまの交友関係でご実家の焼け跡を訪ね、
立て札に連絡先を書いてくださる方々の中に、
金馬来たる、連絡乞う」の文字を見つけた海老名さん。

終戦記念スペシャルとして2006年に放送された番組の模様を再録します。

***

美…美輪明宏さん
国…国分太一さん
江…江原啓之さん
海…海老名香葉子さん

(昨日の日記より続き)
「訪ねて行ったら、『生きてたのかい、よかったねぇ』と言ってくださって。
その日のうちに、私、拾われました。『うちの子におなり』って言ってくださって。」
昭和25年(1950年)に、落語家・先代柳家金馬氏に引き取られたそう。

「でも、当時は落語家さんたちも大変だったでしょうに。」
「『うちの子におなりよ。苦労しただろうになあ』って言ってくださって、
その日のうちに暖かいお布団に寝かせてくださったときに『これで助かった』と思いました。」

それからお兄様を探して、ようやく再会。幼い顔に似合わぬ大人びた口調で、
神田・今川橋で着物の腰紐を売っておられたそう。
「『なんで東京なんかに出てきちゃったんだ。おばさんの家にいればよかったのに』って
兄は泣いているんですよ。」
「偉いわね、そのお兄さん・・・。」

「それまで、支えていたものは何だったんですか。」
「無我夢中ですね・・・。」
「生きる本能ですよね・・・。」

「無我夢中で、親兄弟から来た手紙の束を背負ってました、いつも肌身離さず。
弟が生きた証はメンコがひとつあるだけ。」
「ずっと持ってたんですか・・・。」
「はい・・・。」

金馬氏の紹介で三平さんに出会い、やがて海老名さんは林家一門を支えるおかみさんに。
「三平の母が、よく来てまして。『丈夫で、元気そうで、長持ちしそうでいいわね
ということで私、嫁にもらわれました。」
海老名さんは本当に嬉しそうに、にこにこと可愛らしい笑顔でおっしゃいます。
玉ねぎコロリン
【海老名香葉子 玉ねぎコロリン】

近年、海老名さんは慰霊碑「哀しみの東京大空襲」(現龍院墓苑前)と、
平和の母子像「時忘れじの塔」(上野公園内)建立に奔走。
「私は大勢の人が集うところに、どんなことをしても『平和の母子像』と
慰霊碑を建てたい一念で、個人で動きました。」

犠牲者が累々と積まれていたという上野の地に、終戦後60年の節目である
2005年に完成。
それまでには数多の苦労と、不思議な出来事に出会われたそう。

空襲のあと、お父さまとお母さまに呼びかけ、
返事の代わりに風を吹かせてください」と祈るも、なんの徴もなかったため、
死んだ後は無」と思っていたという海老名さん。

ところが、慰霊碑建立が難航し、諦めようか迷いながら眠りについたとき、
頭の上から冷たい風が吹き、後ろで白い着物で坊主頭の男性の気配がした。

「とんとんと肩を叩かれて。『なあに、なあに?』と言ったら、頭の中で
頑張って慰霊碑を建ててくれ』って言ってるような気がしたんです。
私、どんなことがあっても、頑張って完成させるから。大丈夫だから』って言ってるのに、
まだとんとん叩いているものですから、私その人の手を持って、引っ張ったんですよ。
そうしたら、その人が私の前に倒れてきて、髭のザラザラが頬に感じられたんですよ。」

気分が悪くなり、起き上がるも、その髭の感触は残っている。そのほかにも
彫刻を作る方の手が腫れ上がり、完成に間に合わないと思われたときも治ってしまったり、
使っていた道具の破片が胸に突き刺さったときも、
たまたまポケットに入れていたラジオに当たって助かったりなど、
他にも様々に、奇跡的なことが起こったようです。

江原さんによると、焼け跡でサツマイモをくださって励ましたのはお父さま
そして、坊主頭の男性は、成長した弟さんなのだそう。
「四つで亡くなった弟さんが、成長して見せるんですよ。
そんなに立派な大人になっちゃうわけ。それと、蓄音機の思い出があるんですか?」

海老名さんのお顔が明るくなり、子供の頃にご実家にあった大きな蓄音機の周りに、
家族全員が集っていた様子をお話になりました。
その愉しい思い出をずっと忘れないで欲しいというお父さまからのメッセージ。

思い出だけは残りますものね。物が焼き消えてもね。」

海老名さんの後ろにいらっしゃり、慰霊碑についても協力してくださったのがお姑さん
「二人羽織のように、一緒になって働いてくれましたよ。」
「そうですか・・・。信仰家でした、義母は。助けてくれたんだわ、それじゃあ。」
「それはひとつには、『世のためにいい事をしている』という感覚もあること。
もうひとつには、『感謝の気持ち』ですって、香葉子さんに対しての。
それとね、三平師匠も助けてくれてますよ、このお母さんと一緒に。」
海老のしっぽ
【海老名香葉子 海老のしっぽ】

三平さんはきちんと浄化していらっしゃるそうで、
それでも海老名さんのおそばにいることも多いのだそうです。
「浄化しているけど、上に行っていない?」
「それはそうかもしれない。」
「上に行っちゃったら、行った切りの状態になったりする場合もあるの。
あまり高いところに行くと。」

お亡くなりになった家族は、海老名さんのことに安心し、完全に浄化されている。
行方不明になっていたお兄様も竿師となってご実家「竿忠」の四代目となり、
江戸和竿協同組合の組合長を務めておられるそうです。

これまで身を律することで生きてきた海老名さんに、
「かよ子ちゃんに戻って、女の子らしいファッションを、青春を、今から楽しんでいい。
ご褒美です。」というメッセージも。
お父さまとお母さまからは「置いていってごめんね」とのお言葉。

「それからこれは、海老名さんだけではなくて、皆さんにもなんですが
家族を大切にしてください。』とおっしゃってます。

世の中みんなに対して、『家族、絆を大切にしてください』ということを伝えたいと、
お父様もお母様も、お姑さんまで。」
「やっぱり家族ですかね。いなくなっても家族ですね、守ってくれるのは。」

「本当にそうですよね。その家族の広がりが世界であれば、
世界と感じ取れれば、戦争はないんですよね。」
「そうですね。」
江原啓之のスピリチュアル子育て
【江原啓之のスピリチュアル子育て】

「世界を見れば、戦争に近い場所もあるわけじゃないですか・・・。」
「近いんじゃなくて、戦争中なのよ。」

「いまの話を聞いていて、この話がどこかで、
そういう気持ちになっている人がいるっていうだけで、
本当にくだらないことを僕らがやっているということを、本当に今日はひしひしと感じました。
このオーラの泉を今日、見た方の中で、同じような気持ちになっていれば、
同じことは繰り返さないのかなと。本当に絶対繰り返しちゃいけないことだと、思うんで。」

「それにしても、いまの時代はねえ。あのころの地獄に比べれば、
有難尽くめだとお思いにならない?」
「だからそれこそ、毎日が勿体無くて。時間ももったいないし、物ももったいないし、
着てるものももったいないしっていう感じ。」
「ですよねえ。」
「本当にありがたいって思います。」

「隙間風の入らない建物にいて、暖かい布団、着るものがあって、
食べるものはお金を出せばいくらでもある。有難尽くめですよね。」
「ええ。」

「かえって今の若い方は不幸かもしれませんね。生まれたときからそれがあるから。
ありがたみがわかりませんよね。一度禅寺へ行って、穀断ち(修行のために誓いを立てて、
米・麦・豆など穀類を食べないこと)をすればいいんですよ。
そうすると、お水一杯でもありがたいもの。」

「考えさせられましたね。僕が知っている戦争っていうのは学校で習ったことであり、
それは『19○○年に東京大空襲がありました。』そこで話は止まっていたので、
こんなに悲惨なんだっていうことを、初めて聞いたような気がして。」
CDブック「わたしたちの平和のうた」
【CDブック わたしたちの平和のうた】

「若い人にはね、じゃあこう考えたらどう?って言うの。
『家へ帰ったときに、もう明日からお父さんいないのよ
愛するご主人はいないの、わが子も会えないのよ。
孫が可愛い可愛いって言っても、孫が死ぬのよ。兵隊にとられちゃうの、赤紙一枚で。
一生会えないの。死ぬんですよ、その人たち。
考えてみてください、どういう思いをします?
可愛いわが子が明日からいなくなるのよ。
自分が殺したわけでもなく、病死でもなく、理不尽に人に命令されて死に追いやられるのよ。
それが戦争なのよ。』って。」

***

ご覧いただきありがとうございました。

「オーラの泉・日記リンク」






Last updated  August 17, 2013 08:11:58 AM
August 16, 2013
カテゴリ:オーラの泉
2時間で10万人の命と東京の6分の1を奪いつくした東京大空襲。
終戦記念スペシャルとして2006年に放送された番組の模様を再録します。

***

美…美輪明宏さん
国…国分太一さん
江…江原啓之さん
海…海老名香葉子さん

(昨日の日記より続き)
「3月9日の夜半から、沼津で退避命令がでましてね、
山の上に登っていったんですよ。

真夜中過ぎましたらね、東の空がボーっと赤くなってて。
東京がやられてるぞー』って大人の声が聞こえましてね。
子供でしたからもうとにかく、正座して拝んで拝んで拝んで、一生懸命拝みました。
それで明け方戻ってきましたら、
本所深川は全滅だってよ。』ってお友達に言われたんですよ。

それでも元気な兄達、父も元気でしたし、絶対大丈夫って、祈りながら思ってましたけど、
それから四日目。
すぐ上の兄(喜三郎さん。当時13歳)が、もうぼろぼろになって現れまして。
着てるものから何からぼろぼろで
ごめん、ごめん・・・。みんな死んじゃったんだ。』って言って現れたの。

『父ちゃんも母ちゃんもみんな死んじゃったんだ・・・。
かよ子、ごめんね、ごめんね・・・』って泣いて現れましたの。」

「『ごめんね・・・』っていうのが哀れですね・・・。
自分のせいみたいに思っているっていうのが・・・。
自分ひとりだけが生き残ったっていうね。」

「はい。父は警防団(父 忠吉さんは警防団・班長で消火を指揮)に詰めてましたから、
途中で帰ってきたんですよ。そこの学校が焼け落ちちゃったんで、
違う学校へ行ったら門が閉まってて。
中に入れば助かったんですけど、門が閉まってて入れなかった

それで学校の校舎と塀の間を乗り越えて。炎を避けるために
母が弟を胸に抱いて突っ伏して、その上から父が覆いかぶさったんです
三人の兄達は寄り添って。

一番上の兄が『日本男児だ。潔く舌を噛んで死のう』って言ったら、
父が『喜三郎、あそこに逃げろ!』

無我夢中で、気がついたら自分ひとりが学校の中に入ってて、助かっちゃった。
自分ひとりが生きてるのが悪いように、私に『ごめん、ごめん』って。

一晩、抱き合って泣いて・・・。
二人でお世話になるのは悪いからって、ひとりで東京に帰っていっちゃったんですよ。」
ガラスのうさぎ新版
【高木敏子 ガラスのうさぎ】

中学一年生のお兄様が、麦畑の中で手を振りながら去ってゆくのを、「大丈夫かなあ」と
心配しながら見送った11歳の海老名さん。
「もちろん、止めたわけですよね。『一緒にいよう』・・・。」
「『一緒にいよう』って言ったんですけど、私の手を取って涙をぽとんぽとん、兄が垂らすの。
その涙が熱いんですよ。熱い涙なんて、あのとき以来知りません。」

「お兄様は当ても何もおありにならなかったでしょうにね。
だって東京全部、焼け野原ですものね。」
「何もないです。それなのに戻って行っちゃって。闇市だとか、その辺りを歩いていて、
兄は行方不明になっちゃいました。」

「もう本当にね、憎らしいわよ。だって日本中、じゅうたん爆撃
(じゅうたんを敷き詰めるように目標一帯を集中的に爆撃すること)。
じゅうたんをひいたみたいに全部、やっちゃう。」

じゅうたん爆撃は、下町の密集地ですよ、紙と木でできた
爆弾を周り中に落として、(逃げ道を全部断ってしまってから)
そこに焼夷弾(火炎や高熱で殺傷・破壊する爆弾)を落としたんですよ。
ガソリンの塊みたいなものですよね。地上何百メートルのところで、炸裂して落ちるんです
だから火の海になって・・・。

東京大空襲はたった二時間で、十万人の人が死んだんですよ。
もう火の海の中でみんな苦しんで・・・。」

「すごい残酷でしょう?だってね、戦闘要員、つまり兵隊さんとか軍事施設だけだったら
わかるわよ。戦う能力のない、非戦闘員の女、老人、子供をやる?
(第二次大戦の犠牲者6000万人のうち、その半数は民間人だった)

だからある空軍大佐は、軍事施設だけやりましょうって。アメリカにも良心的な人がいるのね。
でもその人はぽーんと左遷されてしまって。皆殺しにしろってことになったの。
それの私たちは犠牲になったんですよね。」
「そうですよ。」

東京大空襲の5ヵ月後、1945年8月には広島に次いで長崎に原子力爆弾が投下され、
7万人が犠牲に。
当時10歳の美輪さんは、ご自宅でその惨状に出会います。

「私は原爆が落ちたときに長崎にいたんだけど、全然、何の音もしないのよ。
ああいい天気』って、防空頭巾被って、夏休みの宿題の絵を描いて、
出来上がりを見ようとちょっと下がった途端に、ピカってなったのよ。

え?こんな雲ひとつない、いい天気に?』
マグネシウムをたいたみたいに、雷?って思うか思わないかのうちに、
雷を一千万個くらい集めたみたいな轟音がして、瓦が全部、降ってきちゃったの。」
ふたりのイーダ新装版
【松谷みよ子 ふたりのイーダ】

カフェーを経営していた美輪さんのご実家は洒落た洋館で、ガラスをふんだんに使った造り。
そのガラスが爆風で全て、一瞬にして砕け
立っていたすぐ後ろの壁や、床に鋭く、直角に突き刺さった。

ところが、顔にもどこにも、何一つ傷を負っていない。
一緒に逃げたお手伝いさんやお兄さんも、裸足だったにも関わらず、
まったく怪我をしていなかったそう。
「帰ってきたときにどうやって逃げたのか。ガラスが全部、針山みたいに刺さってるの。」

原爆が投下された長崎では、爆風と熱線で半径1キロメートル以内は全壊
半径2キロメートル以内も80%が倒壊したほどの被害。

「外に出たら・・・」
「もう、地獄ですよ。
馬は横倒しになっていて、引きつけを起こしているし。
馬車引きのおじさんは飛び上がって叫んで。全身、皮が剥けているのよ。もう地獄。

あちこち逃げて・・・。塀の下敷きになっている人が
助けて』って腕をつかむのよ。
キャー』って逃げたら、その人の肉が剥けて、腕にぴたっとくっつくの。
もう、すごいわよ、戦争っていうのはね。」

終戦後、戦災孤児となった海老名さんはご実家の処理をするために中野のご親戚のもとに
引き取られるも、そのお家そのものが、焼け野原に焼けトタンを立てただけの小屋で、
親子が肩寄せ合っているようなところ。
居たたまれずに、親戚や知り合いのもとを転々とする日々だったそうです。

「東京に戻ってきてからは、生きる戦いでした。どこのお家もそんなに長くいられないで。
子守をすれば新制中学に行かせて下さるっていう家があって。
そのうちもおじさんが職が無くなったから『あんたの面倒みられない』って言われて。
葛篭を背負って、あっちの家、三日、こっちの家、三日って転々として、学校も行かずに。」

「数日で変わっていっちゃうんですか?」
「だいたい、『こんにちは』って言って、いられそうだなと思うと、三日、四日いるの。
で、『これが限界だな』ってわかるんですよ、自分で。そうすると
おばさん、さようなら。ありがとう』って言って、次のところに行くの。」

「あの頃はね・・・。
親が子を食べさせるのに自分が食べないで、子供達だけ食べさせるって言うでしょう?
おにぎりを三つ持ってたら、大金持ちなのよ。(終戦後、食料不足で米は貴重品だった)
お金が何の役にも立たないの、品物がないんだから。

ご親戚をたらいまわしっておっしゃったけれど、親戚も自分達が子供に食べさせるだけで精一杯。
そういう時代だったのよ。だから、
日本人はどうやって生きてきたのかしら?』ってお思いにならない?」

雑草が生えてきたんですよ、焼け跡に。ふすま粉(小麦をひいて粉にしたとき残る皮の屑)を
すいとん(雑炊)のようにするんですけど、固まらないからどろどろ。
そこに雑草を入れて食べてました。」
「かぼちゃのヘタとかね、大豆のカスね。」
はだしのゲン(6)
【中沢啓治 はだしのゲン】

実家が焼け落ちたあとに、初めて行く気になったのは、
もしかしたらみんな生きているかもしれない』と思ったから。

「どきどきして、三ノ橋っていう橋の上に立ったときに、
これはだめだな・・・』と思ったのは、町が全部消えちゃってなかったんですよ。
人もいなくなったし、家も消えちゃったし、『皆消えたなあ・・・。』ってその時思いました。

うちの焼け跡の前に立ったとき、初めて大声で泣きました。
とうちゃーん、かあちゃーん』って叫んで焼け跡に入って。

3月に空襲があって、そのときはもう12月の終わりで。
ザクザクと焼け跡を掘っていったら、最初に弟の昼寝布団が出てきたんですよ。

これ、こうちゃんのだぁ』と思って、抱きしめました。
母のお茶碗のかけらや何か、みんなの生きていた証が出てきて、泣いて泣いて。」

12月の寒空のもと、雪が降ってきても『もうこのまんまでいいや・・・』と
ご実家の石段のあった場所に膝を抱えてじっとしていたとき、
通りかかったのが黒っぽい姿の男性。

「『助けて』って言おうと思ったけれど、言わないで座っていたら、
その人が戻ってきたんですよ。
『姉ちゃん、しっかりしなくちゃだめだよ。こんなところでこんなことしてたら
死んじゃうじゃないか。頑張ろうよ、頑張ろうよ・・・。』って言ってくれて。

顔をみないでじっとしていたら『おあがり、おあがり』って。
何の気なしに手を出したら、さつまいもを半分割ったのをくれて
それを夢中で食べましてね。体に本当に伝わって。

ああ、今の人、神様だったかしら?』って、そのとき思いました。」
「まだあの頃は、人情っていうものが残ってましたからね。」
「そんな方がいるんですね。」
半分のさつまいも
【海老名香葉子 半分のさつまいも】

明日は海老名さんが建立に奔走された上野の慰霊碑にまつわるお話です。

***






Last updated  August 16, 2013 07:28:35 AM
August 15, 2013
カテゴリ:オーラの泉
終戦記念スペシャルとして2006年に放送された番組の模様を再録いたします。

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美…美輪明宏さん
国…国分太一さん
江…江原啓之さん
海…海老名香葉子さん

「つい60年前まで、日本が戦争をしていたことが考えられないんですけれども。」と太一くん。
「アメリカと日本が戦争したことを知らない若い人がいっぱいいるんですよ。
建物とか、生命だけじゃなくてね、伝統とか文化とか人の心も、全てを灰にしたんですよ。

それまで日本は、アインシュタインもエジソンもチャプリンも、モネもマネもゴーギャンも、
ロートレックもゴッホも、『日本ってなんて素晴らしい。』世界中から尊敬されてたんですよ。
だから、60年たってもいまだに取り戻せないっていうのがね、本当に腹立たしいですよ。」

「私も戦後の生まれですからね、戦争を知らないわけですけれども。」
「でも名残があったでしょう?」
「そうなんですね。祖母からしっかり聞かされてて。

私は東京の下町生まれですから東京大空襲がありました。
だからその時の話で、どうやって生き延びていったか、常に聞かされていたので、
私にとってはものすごくリアルなんです。その想像の域だけでもリアルなんですね。」

「これは絶対に、語り継いで、語り継いで、語り継いでね、その時代、その時代の人たちに、
二度とこんな愚かなことをさせないように、語り継いでゆく義務があるんですよ。」
戦争と平和愛のメッセージ
【美輪明宏 戦争と平和愛のメッセージ】 

☆ 東京大空襲・・・1945年3月10日 第二次大戦中、
アメリカのB29爆撃機が、焼夷弾(しょういだん)1600トン以上を投下。
東京の6分の1が焼失し、10万人以上の生命が奪われた。

第二次世界大戦は世界中で6000万人以上の犠牲者を出し、
日本人だけでも犠牲者は300万人以上。

東京大空襲は終戦の5ヶ月前。このとき6人の家族をいっぺんに失ってしまったのが
故・林家三平さんの奥さま、海老名香葉子さん。
とても可愛らしい少女のような声と笑顔の女性で、苦労を微塵も感じさせない明るい雰囲気の方。
番組をよくご覧になっていらっしゃるようです。

「もう観ていてどきどきして。美輪さんも江原さんも的確にお話になっていらっしゃるから。
そうそうって思いながら。」
お二人とは初対面ながら、夫君の林家三平さんは美輪さんとご交流があったようです。
「ご主人の三平さんは、よく新宿七丁目のライブハウス『銀パリ』ってところへ。
ずっと40年出てましたからね。そこへね、しょっちゅういらしてたの。」

戦時中のお話を聞きたいんですけれども、海老名さんは当時11歳?」
海「はい、小学校五年生でした。」
本所深川(墨田区)生まれで、生家は江戸時代から続く竿師(釣竿職人)。
お父さまは竿師として日本一だったそう。

東京大空襲があったとき、海老名さんは、たったひとり沼津の親戚へ疎開(そかい)中。
「父も母も祖母も。祖母は国防婦人会の副会長をやってました。
兄は3人おりまして、4人目が女の子の私で、8歳下に可愛い弟がいたんです。
この8人家族で、私ひとりだけ疎開しまして、家族は残ってたんです。」

「家族と別れるときのことは覚えてますか?」
「よーく覚えてます。母が二階の母の箪笥の前に座りましてね、私の手をギュっと持ってね、
かよ子、あんたは明るくて元気で強い子だから大丈夫ね。』って言ったんですよ。

その後、母は涙をぽろ、ぽろ、ってこぼしたの。
それまで私は、はしゃいでたんです、出かけるので。
でも母の涙を見たら、心細くなったんですよ。

もし疎開してお友達ができなかったらどうしよう。』って言ったら、
また私の手をギュっと持って、
あんたは明るくて元気だから人に好かれるのよ。だから大丈夫よ。』って
念を押して言ったんですよ。で、疎開しました。」

「お父さんは?」
「父は葛篭(つづら 衣類を収納する箱)を持ってくれて、弟にね
『こうちゃん、姉ね(ねえね)はね、頑張って疎開するからね。』

弟は数えの四つで、可愛い子でしたの。『姉ね・・・』って言っておもちゃ箱に行きましてね、
私に、ひょっとこの絵が描いてあるメンコをひとつ持ってきてくれたんです。
それをポケットに入れて、父に連れられて疎開しました。」

「ちょっとわからないんですけれども、何故、海老名さんだけが疎開したんですか?」
「軍で強制的でございました、あのころは。ちょうど私が五年生から、
強制的に全員、疎開することに。」

「お兄さんはおいくつだったんですか?」
「兄は中学一年でした。」
「なるほど。中学一年生だったから疎開せずに。」
☆ 強制疎開・・・第二次大戦末期、戦火を逃れるため、
幼児・老人・学童などが地方へ避難させられた。

「それは大人の手が足りなくて、学徒動員で疎開できなかったの。
何故、小学生が疎開になったか。次の日本を背負って立つ種を絶やしちゃいけないから、
強制的に無事なところへ疎開させられたの。」
☆ 学徒動員・・・第二次大戦中、中学生以上の学生は軍需産業などの労働力として動員された。

沼津に行っても、三日に一度は家族から手紙が来て、寂しさを紛らわせてくれていたそう。
「どんなことが書かれていましたか?」
「父はね、いつも頭のところで、『かよ子ちゃんの夢を見ます』って書いてあるんですよ。
『寂しくなったら、東京の空に、父ちゃん、父ちゃん、父ちゃんと、三回呼んでごらんなさい。』
って書いてあるんです。」
「やさしいお父さまね。」
「ええ。」
さみしくなんかなーいよ
【海老名香葉子 さみしくなんかなーいよ】

危険を避けて疎開した沼津にも1945年には8回もの空襲があり、
市街地の大半は破壊されたそう。また、人を直接攻撃する機銃掃射も。
「低空で飛行機が飛んで来るんですよ。一度なんか学校で帰宅命令が出まして、
空襲警報のサイレンも何も鳴らないうちに、米軍機がワーと来まして。

防空頭巾を被ったまま夢中で、垣根に頭を突っ込みましたの。
しばらくたってみたら、防空頭巾に鉄の破片が刺さっていて、慌てて落としました。
火みたいに熱かったんです

それから近くに自転車がひっくり返って、ぐるぐる輪っかだけ回っていて。
はっと気がついたら血がぱっと広がって・・・。」
目の前で自転車に乗っていた人が、飛行機が来たことによって・・・。」

「飛行機の上から撃つのよ。ほとんど面白がって撃つの。」
低空飛行っていうのは、どのくらいまで下がってくるんですか?」
顔が見えますよ。」
顔が見えるくらい。」
お二人が同時に答えるのに、太一くんは驚き、江原さんは何かが腑に落ちた表情に。

「実は祖母からね『本当に操縦しながら笑ってた』とかね。
作り話だろうと思ってたんですよ。顔が見えるまでね、
そんな低空飛行ないだろう』と思っていて。」

「面白がって来るのよ。それで飛んで来るときにエンジンを切ってくるの、
音がしないように。スーッと無音のまま、爆音がないのよ
そばに来てから、急にエンジンをかけて。

私も千々石(ちぢわ 長崎県)ってところに疎開して、機銃掃射やられたんだけど、
面白がって撃ってるの。標的をゲームでダーっと撃つみたいに。

私たちは逃げ惑うじゃない?そうしたら、また引き返してくるのよ。
もう、面白がって楽しんでるの。」
「信じられないですね。」
「そうよ。」

明日は海老名さんの東京大空襲のお話と
長崎に投下された原爆を体験された美輪明宏さんのお話です。

***

「オーラの泉・日記リンク」






Last updated  August 15, 2013 09:21:59 AM
March 11, 2013
カテゴリ:オーラの泉
知り合いを転々としながらも、お父さまの交友関係でご実家の焼け跡を訪ね、
立て札に連絡先を書いてくださる方々の中に、
金馬来たる、連絡乞う」の文字を見つけた海老名さん。

終戦記念スペシャルとして2006年に放送された番組の模様を再録します。

***

美…美輪明宏さん
国…国分太一さん
江…江原啓之さん
海…海老名香葉子さん

(昨日の日記より続き)
「訪ねて行ったら、『生きてたのかい、よかったねぇ』と言ってくださって。
その日のうちに、私、拾われました。『うちの子におなり』って言ってくださって。」
昭和25年(1950年)に、落語家・先代柳家金馬氏に引き取られたそう。

「でも、当時は落語家さんたちも大変だったでしょうに。」
「『うちの子におなりよ。苦労しただろうになあ』って言ってくださって、
その日のうちに暖かいお布団に寝かせてくださったときに『これで助かった』と思いました。」

それからお兄様を探して、ようやく再会。幼い顔に似合わぬ大人びた口調で、
神田・今川橋で着物の腰紐を売っておられたそう。
「『なんで東京なんかに出てきちゃったんだ。おばさんの家にいればよかったのに』って
兄は泣いているんですよ。」
「偉いわね、そのお兄さん・・・。」

「それまで、支えていたものは何だったんですか。」
「無我夢中ですね・・・。」
「生きる本能ですよね・・・。」

「無我夢中で、親兄弟から来た手紙の束を背負ってました、いつも肌身離さず。
弟が生きた証はメンコがひとつあるだけ。」
「ずっと持ってたんですか・・・。」
「はい・・・。」

金馬氏の紹介で三平さんに出会い、やがて海老名さんは林家一門を支えるおかみさんに。
「三平の母が、よく来てまして。『丈夫で、元気そうで、長持ちしそうでいいわね
ということで私、嫁にもらわれました。」
海老名さんは本当に嬉しそうに、にこにこと可愛らしい笑顔でおっしゃいます。
玉ねぎコロリン
【海老名香葉子 玉ねぎコロリン】

近年、海老名さんは慰霊碑「哀しみの東京大空襲」(現龍院墓苑前)と、
平和の母子像「時忘れじの塔」(上野公園内)建立に奔走。
「私は大勢の人が集うところに、どんなことをしても『平和の母子像』と
慰霊碑を建てたい一念で、個人で動きました。」

犠牲者が累々と積まれていたという上野の地に、終戦後60年の節目である
2005年に完成。
それまでには数多の苦労と、不思議な出来事に出会われたそう。

空襲のあと、お父さまとお母さまに呼びかけ、
返事の代わりに風を吹かせてください」と祈るも、なんの徴もなかったため、
死んだ後は無」と思っていたという海老名さん。

ところが、慰霊碑建立が難航し、諦めようか迷いながら眠りについたとき、
頭の上から冷たい風が吹き、後ろで白い着物で坊主頭の男性の気配がした。

「とんとんと肩を叩かれて。『なあに、なあに?』と言ったら、頭の中で
頑張って慰霊碑を建ててくれ』って言ってるような気がしたんです。
私、どんなことがあっても、頑張って完成させるから。大丈夫だから』って言ってるのに、
まだとんとん叩いているものですから、私その人の手を持って、引っ張ったんですよ。
そうしたら、その人が私の前に倒れてきて、髭のザラザラが頬に感じられたんですよ。」

気分が悪くなり、起き上がるも、その髭の感触は残っている。そのほかにも
彫刻を作る方の手が腫れ上がり、完成に間に合わないと思われたときも治ってしまったり、
使っていた道具の破片が胸に突き刺さったときも、
たまたまポケットに入れていたラジオに当たって助かったりなど、
他にも様々に、奇跡的なことが起こったようです。

江原さんによると、焼け跡でサツマイモをくださって励ましたのはお父さま
そして、坊主頭の男性は、成長した弟さんなのだそう。
「四つで亡くなった弟さんが、成長して見せるんですよ。
そんなに立派な大人になっちゃうわけ。それと、蓄音機の思い出があるんですか?」

海老名さんのお顔が明るくなり、子供の頃にご実家にあった大きな蓄音機の周りに、
家族全員が集っていた様子をお話になりました。
その愉しい思い出をずっと忘れないで欲しいというお父さまからのメッセージ。

思い出だけは残りますものね。物が焼き消えてもね。」

海老名さんの後ろにいらっしゃり、慰霊碑についても協力してくださったのがお姑さん
「二人羽織のように、一緒になって働いてくれましたよ。」
「そうですか・・・。信仰家でした、義母は。助けてくれたんだわ、それじゃあ。」
「それはひとつには、『世のためにいい事をしている』という感覚もあること。
もうひとつには、『感謝の気持ち』ですって、香葉子さんに対しての。
それとね、三平師匠も助けてくれてますよ、このお母さんと一緒に。」
海老のしっぽ
【海老名香葉子 海老のしっぽ】

三平さんはきちんと浄化していらっしゃるそうで、
それでも海老名さんのおそばにいることも多いのだそうです。
「浄化しているけど、上に行っていない?」
「それはそうかもしれない。」
「上に行っちゃったら、行った切りの状態になったりする場合もあるの。
あまり高いところに行くと。」

お亡くなりになった家族は、海老名さんのことに安心し、完全に浄化されている。
行方不明になっていたお兄様も竿師となってご実家「竿忠」の四代目となり、
江戸和竿協同組合の組合長を務めておられるそうです。

これまで身を律することで生きてきた海老名さんに、
「かよ子ちゃんに戻って、女の子らしいファッションを、青春を、今から楽しんでいい。
ご褒美です。」というメッセージも。
お父さまとお母さまからは「置いていってごめんね」とのお言葉。

「それからこれは、海老名さんだけではなくて、皆さんにもなんですが
家族を大切にしてください。』とおっしゃってます。

世の中みんなに対して、『家族、絆を大切にしてください』ということを伝えたいと、
お父様もお母様も、お姑さんまで。」
「やっぱり家族ですかね。いなくなっても家族ですね、守ってくれるのは。」

「本当にそうですよね。その家族の広がりが世界であれば、
世界と感じ取れれば、戦争はないんですよね。」
「そうですね。」
江原啓之のスピリチュアル子育て
【江原啓之のスピリチュアル子育て】

「世界を見れば、戦争に近い場所もあるわけじゃないですか・・・。」
「近いんじゃなくて、戦争中なのよ。」

「いまの話を聞いていて、この話がどこかで、
そういう気持ちになっている人がいるっていうだけで、
本当にくだらないことを僕らがやっているということを、本当に今日はひしひしと感じました。
このオーラの泉を今日、見た方の中で、同じような気持ちになっていれば、
同じことは繰り返さないのかなと。本当に絶対繰り返しちゃいけないことだと、思うんで。」

「それにしても、いまの時代はねえ。あのころの地獄に比べれば、
有難尽くめだとお思いにならない?」
「だからそれこそ、毎日が勿体無くて。時間ももったいないし、物ももったいないし、
着てるものももったいないしっていう感じ。」
「ですよねえ。」
「本当にありがたいって思います。」

「隙間風の入らない建物にいて、暖かい布団、着るものがあって、
食べるものはお金を出せばいくらでもある。有難尽くめですよね。」
「ええ。」

「かえって今の若い方は不幸かもしれませんね。生まれたときからそれがあるから。
ありがたみがわかりませんよね。一度禅寺へ行って、穀断ち(修行のために誓いを立てて、
米・麦・豆など穀類を食べないこと)をすればいいんですよ。
そうすると、お水一杯でもありがたいもの。」

「考えさせられましたね。僕が知っている戦争っていうのは学校で習ったことであり、
それは『19○○年に東京大空襲がありました。』そこで話は止まっていたので、
こんなに悲惨なんだっていうことを、初めて聞いたような気がして。」
CDブック「わたしたちの平和のうた」
【CDブック わたしたちの平和のうた】

「若い人にはね、じゃあこう考えたらどう?って言うの。
『家へ帰ったときに、もう明日からお父さんいないのよ
愛するご主人はいないの、わが子も会えないのよ。
孫が可愛い可愛いって言っても、孫が死ぬのよ。兵隊にとられちゃうの、赤紙一枚で。
一生会えないの。死ぬんですよ、その人たち。
考えてみてください、どういう思いをします?
可愛いわが子が明日からいなくなるのよ。
自分が殺したわけでもなく、病死でもなく、理不尽に人に命令されて死に追いやられるのよ。
それが戦争なのよ。』って。」

***

ご覧いただきありがとうございました。

「オーラの泉・日記リンク」






Last updated  March 11, 2013 07:45:45 AM
March 10, 2013
カテゴリ:オーラの泉
2時間で10万人の命と東京の6分の1を奪いつくした東京大空襲。
終戦記念スペシャルとして2006年に放送された番組の模様を再録します。

***

美…美輪明宏さん
国…国分太一さん
江…江原啓之さん
海…海老名香葉子さん

(昨日の日記より続き)
「3月9日の夜半から、沼津で退避命令がでましてね、
山の上に登っていったんですよ。

真夜中過ぎましたらね、東の空がボーっと赤くなってて。
東京がやられてるぞー』って大人の声が聞こえましてね。
子供でしたからもうとにかく、正座して拝んで拝んで拝んで、一生懸命拝みました。
それで明け方戻ってきましたら、
本所深川は全滅だってよ。』ってお友達に言われたんですよ。

それでも元気な兄達、父も元気でしたし、絶対大丈夫って、祈りながら思ってましたけど、
それから四日目。
すぐ上の兄(喜三郎さん。当時13歳)が、もうぼろぼろになって現れまして。
着てるものから何からぼろぼろで
ごめん、ごめん・・・。みんな死んじゃったんだ。』って言って現れたの。

『父ちゃんも母ちゃんもみんな死んじゃったんだ・・・。
かよ子、ごめんね、ごめんね・・・』って泣いて現れましたの。」

「『ごめんね・・・』っていうのが哀れですね・・・。
自分のせいみたいに思っているっていうのが・・・。
自分ひとりだけが生き残ったっていうね。」

「はい。父は警防団(父 忠吉さんは警防団・班長で消火を指揮)に詰めてましたから、
途中で帰ってきたんですよ。そこの学校が焼け落ちちゃったんで、
違う学校へ行ったら門が閉まってて。
中に入れば助かったんですけど、門が閉まってて入れなかった

それで学校の校舎と塀の間を乗り越えて。炎を避けるために
母が弟を胸に抱いて突っ伏して、その上から父が覆いかぶさったんです
三人の兄達は寄り添って。

一番上の兄が『日本男児だ。潔く舌を噛んで死のう』って言ったら、
父が『喜三郎、あそこに逃げろ!』

無我夢中で、気がついたら自分ひとりが学校の中に入ってて、助かっちゃった。
自分ひとりが生きてるのが悪いように、私に『ごめん、ごめん』って。

一晩、抱き合って泣いて・・・。
二人でお世話になるのは悪いからって、ひとりで東京に帰っていっちゃったんですよ。」
ガラスのうさぎ新版
【高木敏子 ガラスのうさぎ】

中学一年生のお兄様が、麦畑の中で手を振りながら去ってゆくのを、「大丈夫かなあ」と
心配しながら見送った11歳の海老名さん。
「もちろん、止めたわけですよね。『一緒にいよう』・・・。」
「『一緒にいよう』って言ったんですけど、私の手を取って涙をぽとんぽとん、兄が垂らすの。
その涙が熱いんですよ。熱い涙なんて、あのとき以来知りません。」

「お兄様は当ても何もおありにならなかったでしょうにね。
だって東京全部、焼け野原ですものね。」
「何もないです。それなのに戻って行っちゃって。闇市だとか、その辺りを歩いていて、
兄は行方不明になっちゃいました。」

「もう本当にね、憎らしいわよ。だって日本中、じゅうたん爆撃
(じゅうたんを敷き詰めるように目標一帯を集中的に爆撃すること)。
じゅうたんをひいたみたいに全部、やっちゃう。」

じゅうたん爆撃は、下町の密集地ですよ、紙と木でできた
爆弾を周り中に落として、(逃げ道を全部断ってしまってから)
そこに焼夷弾(火炎や高熱で殺傷・破壊する爆弾)を落としたんですよ。
ガソリンの塊みたいなものですよね。地上何百メートルのところで、炸裂して落ちるんです
だから火の海になって・・・。

東京大空襲はたった二時間で、十万人の人が死んだんですよ。
もう火の海の中でみんな苦しんで・・・。」

「すごい残酷でしょう?だってね、戦闘要員、つまり兵隊さんとか軍事施設だけだったら
わかるわよ。戦う能力のない、非戦闘員の女、老人、子供をやる?
(第二次大戦の犠牲者6000万人のうち、その半数は民間人だった)

だからある空軍大佐は、軍事施設だけやりましょうって。アメリカにも良心的な人がいるのね。
でもその人はぽーんと左遷されてしまって。皆殺しにしろってことになったの。
それの私たちは犠牲になったんですよね。」
「そうですよ。」

東京大空襲の5ヵ月後、1945年8月には広島に次いで長崎に原子力爆弾が投下され、
7万人が犠牲に。
当時10歳の美輪さんは、ご自宅でその惨状に出会います。

「私は原爆が落ちたときに長崎にいたんだけど、全然、何の音もしないのよ。
ああいい天気』って、防空頭巾被って、夏休みの宿題の絵を描いて、
出来上がりを見ようとちょっと下がった途端に、ピカってなったのよ。

え?こんな雲ひとつない、いい天気に?』
マグネシウムをたいたみたいに、雷?って思うか思わないかのうちに、
雷を一千万個くらい集めたみたいな轟音がして、瓦が全部、降ってきちゃったの。」
ふたりのイーダ新装版
【松谷みよ子 ふたりのイーダ】

カフェーを経営していた美輪さんのご実家は洒落た洋館で、ガラスをふんだんに使った造り。
そのガラスが爆風で全て、一瞬にして砕け
立っていたすぐ後ろの壁や、床に鋭く、直角に突き刺さった。

ところが、顔にもどこにも、何一つ傷を負っていない。
一緒に逃げたお手伝いさんやお兄さんも、裸足だったにも関わらず、
まったく怪我をしていなかったそう。
「帰ってきたときにどうやって逃げたのか。ガラスが全部、針山みたいに刺さってるの。」

原爆が投下された長崎では、爆風と熱線で半径1キロメートル以内は全壊
半径2キロメートル以内も80%が倒壊したほどの被害。

「外に出たら・・・」
「もう、地獄ですよ。
馬は横倒しになっていて、引きつけを起こしているし。
馬車引きのおじさんは飛び上がって叫んで。全身、皮が剥けているのよ。もう地獄。

あちこち逃げて・・・。塀の下敷きになっている人が
助けて』って腕をつかむのよ。
キャー』って逃げたら、その人の肉が剥けて、腕にぴたっとくっつくの。
もう、すごいわよ、戦争っていうのはね。」

終戦後、戦災孤児となった海老名さんはご実家の処理をするために中野のご親戚のもとに
引き取られるも、そのお家そのものが、焼け野原に焼けトタンを立てただけの小屋で、
親子が肩寄せ合っているようなところ。
居たたまれずに、親戚や知り合いのもとを転々とする日々だったそうです。

「東京に戻ってきてからは、生きる戦いでした。どこのお家もそんなに長くいられないで。
子守をすれば新制中学に行かせて下さるっていう家があって。
そのうちもおじさんが職が無くなったから『あんたの面倒みられない』って言われて。
葛篭を背負って、あっちの家、三日、こっちの家、三日って転々として、学校も行かずに。」

「数日で変わっていっちゃうんですか?」
「だいたい、『こんにちは』って言って、いられそうだなと思うと、三日、四日いるの。
で、『これが限界だな』ってわかるんですよ、自分で。そうすると
おばさん、さようなら。ありがとう』って言って、次のところに行くの。」

「あの頃はね・・・。
親が子を食べさせるのに自分が食べないで、子供達だけ食べさせるって言うでしょう?
おにぎりを三つ持ってたら、大金持ちなのよ。(終戦後、食料不足で米は貴重品だった)
お金が何の役にも立たないの、品物がないんだから。

ご親戚をたらいまわしっておっしゃったけれど、親戚も自分達が子供に食べさせるだけで精一杯。
そういう時代だったのよ。だから、
日本人はどうやって生きてきたのかしら?』ってお思いにならない?」

雑草が生えてきたんですよ、焼け跡に。ふすま粉(小麦をひいて粉にしたとき残る皮の屑)を
すいとん(雑炊)のようにするんですけど、固まらないからどろどろ。
そこに雑草を入れて食べてました。」
「かぼちゃのヘタとかね、大豆のカスね。」
はだしのゲン(6)
【中沢啓治 はだしのゲン】

実家が焼け落ちたあとに、初めて行く気になったのは、
もしかしたらみんな生きているかもしれない』と思ったから。

「どきどきして、三ノ橋っていう橋の上に立ったときに、
これはだめだな・・・』と思ったのは、町が全部消えちゃってなかったんですよ。
人もいなくなったし、家も消えちゃったし、『皆消えたなあ・・・。』ってその時思いました。

うちの焼け跡の前に立ったとき、初めて大声で泣きました。
とうちゃーん、かあちゃーん』って叫んで焼け跡に入って。

3月に空襲があって、そのときはもう12月の終わりで。
ザクザクと焼け跡を掘っていったら、最初に弟の昼寝布団が出てきたんですよ。

これ、こうちゃんのだぁ』と思って、抱きしめました。
母のお茶碗のかけらや何か、みんなの生きていた証が出てきて、泣いて泣いて。」

12月の寒空のもと、雪が降ってきても『もうこのまんまでいいや・・・』と
ご実家の石段のあった場所に膝を抱えてじっとしていたとき、
通りかかったのが黒っぽい姿の男性。

「『助けて』って言おうと思ったけれど、言わないで座っていたら、
その人が戻ってきたんですよ。
『姉ちゃん、しっかりしなくちゃだめだよ。こんなところでこんなことしてたら
死んじゃうじゃないか。頑張ろうよ、頑張ろうよ・・・。』って言ってくれて。

顔をみないでじっとしていたら『おあがり、おあがり』って。
何の気なしに手を出したら、さつまいもを半分割ったのをくれて
それを夢中で食べましてね。体に本当に伝わって。

ああ、今の人、神様だったかしら?』って、そのとき思いました。」
「まだあの頃は、人情っていうものが残ってましたからね。」
「そんな方がいるんですね。」
半分のさつまいも
【海老名香葉子 半分のさつまいも】

明日は海老名さんが建立に奔走された上野の慰霊碑にまつわるお話です。

***






Last updated  March 10, 2013 07:27:15 AM

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