13年目の3.11
毎日書かなくてもこのブログは毎日見ていたのに今はほとんど見なくなった。地震サイトや地震雲サイトも見なくなった。それでも耳鳴りが強かったり、異常な状態の雲が見られるときなど地震が気にかかる。食品もあまり産地を気にしないで買うようになった。酵母炭酸ジュースも作らなくなった。サワードリンクも時々飲む程度になった。やはり毎日摂った方がいいらしいが忘れていることが多くなった。自分の体調に気を使うことが少なくなったというか忘れるようになった。(過敏さはあまり変わっていない)時々でも気にしていた空間線量(室内線量が常だったが)もあまり見なくなった。老眼が進んで新聞も本もほとんど読まなくなった。(テレビとラジオとネットは使うが)精神的には緊張状態だったのがのんびりするようになった。まだ放射能は空から降っていることだろうし、自然も回復しだしているけれど震災前に戻ることは遠く、本当は安心しすぎてもよくないのだろうとは思うものの諦めも出てきた。コロナ後、放射能のことも忘れるくらい忙しくぐちゃぐちゃな日々を過ごしたからかもしれない。本当は忘れてはいけないことなのに。14時46分に黙祷を捧げた。やはり何かやりきれない無念な思いは何年経っても一緒だ。******-*********-********-**********-***********-*****近年世界中で異常気象や自然災害、大地震などが続いている。最近ではお正月早々能登半島地震が起こった。久し振りに響く緊急地震速報のあとの揺れはここは小さかったけれど、すごく怖かった。テレビをつけると能登の大地震。直下に近い能登の惨状はライフラインがずたずたになり、建物が倒れたり崩れるほどの被害だった。地震や津波で亡くなられた方も多くおられた。被災し亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたしますとともに、ご遺族の皆様にお悔やみ申し上げます。地震後、被害の様相はなかなか掴めず救助や物資もなかなか入れなかったようだ。避難生活も長く今も復旧には長い時間がかかっている。今日新聞を読んだ。2か月経ってようやく珠洲市の水道が復旧したそうだ。東日本大震災の時から災害時の救助や対策などはいろいろ進んでいるのだろう。当初土砂崩れなどで孤立した箇所が多く、道路も含め情報がかなり不足していたが自衛隊が入るころには救助、支援などが少しずつではあるものの時間を置かずにあらゆる角度から進められていったと思う。また、被災地の情報が今でも元のBS102(12月にBS101と統合)で24時間見られるようになっていることは本当に画期的だと思った。東日本大震災の前にも地元のFM局が開局していて災害情報などが聴けて良かった。今回、避難所に仕切りの付いた部屋のようなものが並んでいたのにも感心した。それでもまだ寒さが戻り寒い日が続いている。仮設住宅(4600戸3月末までに着工予定)など安心できるところに一日も早く入居できますように。そして、被災地の一日も早い復旧・復興が進みますように。【花球根】ハイブリット ゼフィランサス ビッグピンク 5球入 カネコ種苗の球根