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2009年10月07日
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はい きのうあさ 窯出しした素焼き 一窯びっしり

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手作りは 生産性が低い って思われてるけども
あんがい そーでもないんやないかなー
まあ 機械生産と比べたら はるかに低いけども・・・あんがい

9月末の27日 浜名湖クラフトからもどり
28日は その荷解きと7ミリ厚のタタラ板45枚作った
29日は そのタタラで 6年生のお皿作り をやり
水挽きは その午後? 30日水曜から?

ともかく 水木の2日で 6寸の鉢21 7寸の皿24
湯のみやメシ碗 一個挽きのカップ ゼンブで230点 作ったし
金曜日1日で その削り 一個挽きは 削り無しで底を押さえるだけ
必要最小限の数3アイテム54点の取っ手をつけて 白化粧までやった

 ここまで たったの3日間で 
 あたらしく230点の作り が出来てる
 
土日は長浜のクラフトイベントで売る 初日はカミさんも
日曜はカミさん家にいて 取っ手つけとか 天日干しの管理とか
乾燥は 天日干しもするけども 夜通し棚で扇風機の風を当ててる
 
そやし おととい月曜 白生地在庫のタタラ物とあわせて 
掻き落とし=生での絵付け をして夕方6じはんには素焼き点火


980

一窯びっしり きのう1日カミさんと 下絵付け
はい 今日もそのつづき 今日本焼が 一窯立ちます
きっと 明日ももう一窯立つんやないかなぁ・・・・

 ムチャガンバリ してるわけでもない
 あさ7じはんとかからやって よるは7じ前には風呂に入り メシ
 9じころには寝て 4じはんに目が覚める
 カミさんは11じとか12じに寝て 6じに起きる

 しゃかりき でやってるわけでもない
 カミさんと2人 ウダウダ話しながらの 日日の仕事
 タラタラやってる感じなんやけども そんだけできてる・・・

カミさんと2人で 段取りよくやれば かなりの量が作れる これが実感

手作りの陶器を作ってそれを売る そのお金で 米を買う
手作りの陶器を作ってそれを売る 
ぼくには それ以外に お金を稼ぐ方法がない・・・・ 

そろそろ6じ 今日も絵付け
今日も ハワイの踊り2 でつなぎます
       ↓
917

 昭和40年ころの まだまずしかった日本
 ほどよく まずしかったころの日本
 ぼくは8才 カミさんは2才のころ
 
日本の人口 江戸おわり 3000万人
      昭和20年 7000万人
      昭和40年 9800万人
      そのあとで 一億2000万人に


人口の増加は・・・・国力が付く 生産力があがる 
みんなが食えること と 医療が発達することで そーなる 
衛生環境 病院や医院 そのインフラ=社会資本の整備がすすむ 

そのインフラの都市と農村の格差が縮小する ことで
つまりは 乳幼児の死亡率が 下がることで 人口は増え
平均寿命が延びて行く

 昭和40年の平均寿命 男 67.24才
女 72.94才

フラガールの主人公=キミコの兄(トヨエツ)
の名前は 洋次郎 きっと最初の兄は育たなかった

キミコは高校に行ってるが キミコを
フラガールにさそった サナエ は行っていない

 この年の全国平均の高校進学率 70%
 男子と女子 農村と都市 富と貧 
 進学するしない 格差は大きかったはず

昭和40年は 1965年
東京オリンピックがあり 1970年 大阪万博があり 
高度経済成長は1970年代のどこかまで続く・・・・


京都府の郡部の小1と 京都市内の小4まで
石炭ストーブやったなぁ 昭和42年ころかぁ

ストーブ当番は 石炭置き場に行って 
自分の組の分を持ち帰る

ブリキでできた石炭用バケツに入ってる
片側が広口のクチバシみたい ペリカンみたいなバケツ

とても重い 二人で両脇から持ち手をにぎって運ぶ
新聞を燃やして 焚き付ける これは用務員さんの仕事
けど 火が消えてしまうこともある

5年になって奈良の小学校に転校したら ガスストーブやった
昭和38年生まれのカミさん 石炭ストーブは知らないそう


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長崎の炭鉱で働いてたヒトと 
京都の窯元でいっしょに働いたことがある
かつて長崎の炭鉱で働いていた ハラダさんと
1983年ころ 京都の窯元で 窯出し窯詰めしてました♪

ぼくは美術の短大の洋画科 京都精華短大 いまは4年生大学
学校の就職課の掲示板に 絵付け師募集の求人票
その年は 嵯峨美や芸短など ほかの美術短大から
その窯元に行ったのは5人 2人は男 あと3人は女 
おんなし洋画科からのハラダリョウコさんもいた

4年ほどたって ハラダリョウコさんのお父さんが
その窯元に勤めはることになって ぼくが先輩として(当時25)
いっしょに 窯詰め窯出し 釉薬:くすり掛け など裏場仕事した

お父さんのハラダさんの働いてきた道筋は 
まさしく時代の変化と流れに翻弄された 労働の歴史

==========================

宮崎県の農家の次男か3男 中学を出て就職のときに 
学校の斡旋で 大阪の松下電気に決まりかけてた 父親が猛反対 

 松下電気て ナショナルでしょ? 
 いまのパナソニック 伸び盛りの優良企業やのに・・・
 なんでオヤジさんは 反対しゃはったんですか?

 オヤジん頭ん中にゃ 戦後すぐん記憶が 詰まってたごたぁ・・・
 遠い大阪ん街がたで 工場勤務やらしょったら 寮に入るとでしょ
 寮やら食料事情 悪かごたぁ 思いこんでから 
 結核ばかかる ちゅーてから 猛反対しょったと
 そげん時代や もーなかゆーても 聞かんオヤジやったとよ

 なら 好きんする
 もっと危なかトコ 行っちゃる! てから・・・
 
ハラダさんは 家を飛び出して親戚頼って 
石炭が 黒いダイヤモンド だった時代の 長崎の炭鉱:ヤマへ

切り羽やったそー
坑道を切り開いていく 最前線の仕事
発破:はっぱ=ダイナマイト を仕掛ける仕事
危険手当ついて 現代のオカネで 
月100万くらい稼いでたそー

 あー そのオカネで 
 芦屋に家買ったんですね!

 いやぁ 違うと・・・
 そん時 稼いだカネは 
 みーんな呑んでしもーたとよ 
 それが 炭鉱:ヤマの男の 気風ばい

 へぇーっ!・・・・・・
 そやけど あれでしょ 
 あとでエネルギー革命で 人員削減 労使対立
 全学連とか労組のオーエン戦闘部隊 九州に続々 とかあって
 三井三池炭鉱労働争議のときとか 機動隊と実力対決ってことで
 ツルハシふりまわしたりしたんやないですか

 なーも あげんこつやんのは バカタレたい
 国が決めとるこつ 変えれるわけなかとー
 もう石炭は無理かと はっきりわかっちょったとー
 そんでわしは 会社ん世話で 神戸に来たとー

ハラダさんはそのあと 神戸の鉄の会社 に就職 
JIS規格の 鉄の焼き入れ技術 を持つ鉄の会社

 大阪万博のパビリオン建築急務 
 その巨大な鉄の構造材の 焼き入れ
 新幹線の車輪の焼き入れ 原子力発電所の巨大なパイプの焼き入れ

さまざまなカタチの 真っ赤に焼けた巨大な鉄の部品を
吊り上げる そのために 重心を崩さないように 
何本ものチェーンを掛けるのが ハラダさんの仕事

チェーンで吊り上げたら 一定程度に熱した油のタンクに浸す
油のタンクに入れた途端 チョー巨大な炎が立ちのぼるらしー
こーやって 鉄に焼きを入れる 男の仕事やなー♪ 

さまざまなカカチの重量物を バランスよく
吊り上げるためにチェーンをかける技術を 玉掛け ってゆー
玉掛け は国家試験 重心計算して重量計算して運動物理計算して
ものすごむずかしい 国家試験認定の技術

 ハラダさん 玉掛けの資格とらはったんですかー

 いやぁ とっちょらん
 あげな免許は 課長とか主任がとっとらすけん
 ばってん 現場はケーケンでやっととよー

 ふーん!

で 石炭=炭鉱:ヤマから 鉄
その鉄の会社で働いて 芦屋(庶民的なほーの芦屋)に家を持ち
子どもを育て上げ ムスメは京都の美術短大を卒業した・・・と

と 鉄がもーダメになったわけで・・・人員整理
で もーすこしは働いていきたい 
と ムスメが絵付けしてる
  京焼の窯元はケーキいいってことで
  ぼくといっしょに 窯詰め窯出し することになった 
で 毎日ウォークマンで演歌を聴きながら 
  新快速で 芦屋から京都まで 通勤することになった と

  重厚長大から軽薄短小の時代へ
   
  このころ竹村健一がよーゆーてたなぁ・・・・

ハラダさんの労働の道筋は
まさしく男らしい男の労働の現場 炭鉱:やまから鉄へ
石炭だって鉄を作るために掘ってたんやもんなー

鉄は国家なり って時代が かつてはあった
鉄で 船を造り 街を作り ビルを作り クルマを作り・・・

高度経済成長時代って そーゆーこと 
鉄の生産量がケーキと国民総生産のバローメーターやった時代 
科学と工業の発展ははかがやかしい未来の種 それが時代の気分
それが起こした負のツケ 公害 環境破壊・・・

いつしか 急速に流れが変わった 時代の変化
モーレツからビューティフルへ は大阪万博のころかなぁ

このころ戦後第何次かの陶芸ブーム民芸ブームがあったらしー
京都の窯元 ウケに入った 電気窯ガス窯への転換は少し前すでに
だから窯元の次男も3男もやきもの屋になり 陶芸家になり・・・ 
たーくさんの マンガ好きが 美大に行く時代が来た・・・
ぼくらがそんな ムスメやムスコ 就職先に 絵付け師

 石炭や鉄よりも
 美術的な要素のある=付加価値の高い
 京焼=陶芸が もてはやされる時代が そのとき来てた

 オトーサンのハラダさんとぼくは 
 そんな時代の場を いっしょにハタライてたんやなぁ・・・

美大出の ムスムたちやムスコたちがはたらいてる窯元
そーいった若者 とそれ以前の 最後の徒弟制をくぐった
ほんとの たたき上げの職人 とが混在してる
それが1977~84年ころの京焼の現場でした

=============================

ハラダさんのムスメ=リョウコさんは
その窯元の先輩絵付け師と結婚し
自分も焼き物を焼き もうすでに 
2人の子どもを育て上げた

この春先に電話があって 
だいぶ前に 宮崎に帰った両親
母に痴呆の症状 介護のため単身宮崎へ と 

ああ 個人のライフサイクルとしては
   そんな時代がきたんやなぁ


==============================

好むと好まざるとに関わらず

ぼくらは 時代の子 である

と同時に 次の時代の親 でもある

何を変え 何を変えず 次の世代に 何を手渡すのか

それぞれが それぞれの 場で 誠実に

----------------------------------

なにがしか 
みなさんのお心に 
とどきましたでしょーか? 
もしそー思もてくれはったら 
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bana-






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最終更新日  2009年10月07日 07時11分01秒
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