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カテゴリ:過去の文 修正再録♪
毎年めぐってくる 6月23日・・・・
年間20箇所ほども いろんなトコで売る そのときいつも カンカラ三線を弾いてる オキナワ風の音を出しておいて オキナワとはいっさいカンケーなく シガケンから来ましたー と落とす しょっぱなの笑いを取る ツカミです お客さんはみんな カンカラ三線を見て 自分で作ったの? と聞く なので・・・ いえこれは 組み立てキットも売ってますし 組みあがったもの も売ってます カンカラ三線 とゆー オキナワの楽器です ちょっと見 オモチャっぽいですけど オキナワの方にとっては 歴史性のある ちゃんとした 楽器なんです 沖縄戦で 本皮張りの三線=蛇皮線はみんな 燃えてしもた そのあとみんな 米軍のキャンプに 収容されて 米軍の配給してくれる ビスケットの缶 ミルクの缶 それに簡易ベットの足をサオにしてね・・・ この弦も 最初はパラシュートの紐を ほどいて撚って 弦にしゃはったそーです・・・・ そーやってできた この楽器で 生き残った祝い=命の祝い=ぬちどぅいわい を このカンカラでしゃはったそーなんです そやからオキナワの方々にとっては オモチャではなく 思い入れのある 特別な楽器として 今も作られてる・・・ 屋嘉:やか ってところがあって 米軍の収容キャンプもあった そこで出来た唄 カンカラ三線で 作曲された 哀切なメロディ =『屋嘉節』 ってゆー曲は こんなイントロ こんな歌詞です・・・ なちかしーやー ウチナー(沖縄) 戦場:いくさばになやいー 戦場:いくさばになやいー 世間御万人;セケンオマンチュぬー 流すナーミーダー 流すナァミィダー この『屋嘉節』はいまでも 本皮張りではなく カンカラ三線で演奏される ことに決まってます こんな粗末な オモチャみたいな 楽器 カンカラ三線 沖縄の歴史が 生み出した楽器 まったく粗末な かっこつけたりしない おもちゃみたいなモンに 詰まってる 歴史と真実・・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2000年3月 那覇 壺屋焼 新垣製陶所にて 絵つけ・裏場工 新垣紀美子(当時75歳)より聞き取り もう・・・65年もやちむんの仕事・・・ おとーさんが キミ子 この仕事やってみなさい とゆーたのが10才の時 できないってゆーたけど キミ子ならだいじょーぶだから やってみなさい って じぇんじぇん 怒られなかった ほめてほめて おしえてくれた キミ子 いい仕事しよーと思たら 目と手と心:くくるがデージ(大事)だよ ってゆーたさぁ 那覇 壺屋焼 キミ子おばぁの絵つけした抱瓶(だちびん) 腰にフィットする水筒状の注器 畑に行く時 泡盛を入れてったそー ヒモのつけ根はシーサー(獅子)になってる ソマツな 仕事場である あたりまえの やきもんの現場 ぼくはこーゆーのに グッとくる性質:たち キミ子おばぁの作業台は 積み上げた漫画雑誌 しなもんは 新聞紙を引いて 床に直置きである 乾燥防止に使う 発布スチロールのトロ箱 多数 まったく粗末な 乱雑にも見える工房 それが合理的で 生産性のある現場の リアルな見かけ そこで くりかえされる 味気なき反復 数を作らなければならない カセギ手間 そんな手の仕事が生み出す 美しいやちむん キミ子おばぁから さまざまに 聞かせてもろた ーーーーーーーーーー やちむんの仕事は ずーっといそがしかったさ ヒマだったことはじぇんじぇんなかったさー 日本軍の仕事で 軍用の飯碗をたーくさん焼いたさー つや消しで黒い色の飯碗や什器 白くて光ると敵に見つかるでしょー わたしら仕事しよるでしょー 兵隊さんが見にくるわけさ そーゆー時でも 士官のえらいヒトが前で 下っ端のヒトは後でいーっぱいで見てるさー 兵隊さんはかわいそーと思もーたさ きびしぃーさー上と下の区別が 収容生活が終わって琉球政府になって 戦後復興てゆーたら 島中から壺屋にやちむん買いに来たんさぁ 水ガメや油壺やみんな いっさいがっさい戦争で 生活の道具がなんも無くなったとこからでしょー 島中のヒトがやちむん買いに来たさ 沖縄の復興は壷屋からはじまったんさー どんどんどんどん作ってから焼いてから それはそれはいそがしかったさー そのあとは内地に輸出もするし アメリカーにも輸出するし ベース=基地のオミヤゲも作るし その頃もいそがしかったさー 本土復帰して海洋博があって たくさんの内地のヒト 沖縄に来るよーなって 壺屋のやちむん買って帰られるよーなったでしょー だからさ ずっといそがしかったさ ヒマだったこと無かったさー 65年もやちむんの仕事して来てからさー この仕事やってきて ほんと良かったさー こーやって観光の内地のヒトと話しできて おばぁは 楽しいさぁ ある時代を生きて 生活のために 生活のための やきものを 作りつづけて来たヒトの言葉 記録しておきます 2010/6/23 沖縄戦終結から65年 慰霊の日 1978年 はじめて行ったオキナワ そのときに買おた 新垣製陶所の湯のみ 化粧掻き落としに 赤絵の仕事がしてあって ¥600 2000年 2回目に行って ふたたび出合った 新垣製陶所の湯のみ 化粧掻き落としに赤絵 ¥1200 素焼しない 生で仕事して 釉薬も 生がけ 電気窯で 本焼きしてから 上絵=赤絵して 上絵の窯 =========================== なにがしか みなさんのお心に とどきましたでしょーか? もしそー思もてくれはったら クリックたのんますー♪ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年06月23日 10時52分54秒
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