♪ 雪原の黄金の地平おさな子の胸に沸き立つ未知の憧憬(しょうけい)
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再び、図書館で借りた本「2011 ベスト・エッセイ」からの引用です。2ページほどの短い文なので、全文を載せます。とても感じ入った「マイ・フェバリット・エッセイ」です。
「のすたるじあ」 藤沢周(作家)
たとえば、雪。何時間でも降る様を見つめていられた子供の頃の自分は、今何処にいるのだろう。あるいは、金色の地平線。鉛色に渦巻く雲が暴風で流され、山の稜線に現れた黄金の光に、茫然と立ち尽くしていた幼子の驚き・・・・。
正月に故郷新潟に帰省して、雪や金色の光を眺めながら、私は自分の心の底に眠る幼子を探そうとする。「ああ、雪。・・・・・光」と呟いていて、胸奥の感動するわななきのツボが疼くことは疼くが、あの頃のように分からなさに涙を溜めているということもなくなった。ただ何かが自分自身に対して訴えているような、空回りした脈動を覚え、「もう少し、もう少し」と思う。後ほんのわずかで、幼児だった時に体験したサブライム(崇高美)に届きそうなのに、すでに「サブライム」などという言葉を使って、逃している。
雪や光そのものになっていた幼児は、いつも独りで自然の只中で自然の粒子になって遊んでいた。親の「早く家に入りなさい」の声も、幼稚園の「お遊戯しましょう」の声も聞こえずに、町に流れる新川の辺で過ごしているまま、現実から難破していたのである。時々、座礁して、家に戻ることになったという方が正しいのかも知れない。
ぼんやりと生まれ育った町を歩いているうち、空気の冷たさや電線の揺れや灰色の空が、「もめえは、よう、ここ歩いたる」「よう、独りで歩いていたわや」と低い声を震わせる。そうらった。こうやって、爪先ばっか見て歩いてたっや。時々、立ち止まって顔を上げては、降る雪や金色の光に圧倒されて、自分の存在の不思議さに動揺していたのだ。ふと視線を投げると、通っていた町医者や神社があって、すでに廃院となった洋風の建物や寂れて子供たちの姿のない境内がある。一瞬だけだが、大人には分からない、あの頃の複雑な感覚の迷路の入り口が開いているようにも見えた。そして、小雪がまたちらつき始める。
「神奈川新聞」1月16日
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◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆短歌集「ミソヒトモジ症候群」円居短歌会第四歌集2012年12月発行
●「手軽で簡単絞り染め」
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プロフィール
sunkyu
日本の四季と日本語の美しさ、面白さ、不可思議さ、多様性はとても奥が深い。日々感じたことを「風におよぎ 水にあそぶ」の心持ちで短歌と共に綴っています。 本業は染色作家
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