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歌 と こころ と 心 の さんぽ

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2015.02.03
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カテゴリ:一日一首


♪ 産土の尺度に生きて疑わず誤爆の陰に死にゆく子供



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 興味深いエッセイに出合った。北海道で生まれ育った作家・佐々木譲の「歴史を読むための地理感覚」というもの。
 北海道で生まれ育った人間は、日本の文学を楽しんだり、歴史を学ぶ上で、かなりハンディキャップがあるという。梅も桜も五月半ばに同時に咲くとか、土地柄の季節感覚では、日本の文学を読む時に、外国語を読むときのような解読努力と意識操作が必要だという。特に最近になって思うのは、北海道的地理感覚と「内地」のそれとの差が、肌が知っている広さと距離に隔たりがあるという事だという。
 夏目漱石を読んでいても、古典の時代の京都同様、別世界であってそこが自分の住む土地と連続しているという感覚は持ちえないでいた。文豪・漱石が日本の首都を舞台に書いていると思っていたものが、実はごく狭い「本郷」を舞台にしたローカルな話だったのに気付く。そうして、戦国時代を扱った小説を書くに当って同じような経験したという。

 北海道の住人にとって、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と言えば、歴史の授業で習ったもの以外の判断基準を持っていない。壮大な権力意識を持った英雄くらいの認識で、地元とはまるっきりかけ離れた存在としてのものでしかない。彼ら三人の活躍圏は、相当に広大なものだとインプットされていて、いくら日本地図を眺めていても、中国古代史と同じほどの広さで繰り広げられた天下取りの物語と思い込んでしまっているという。
 
 それで、自分の作品を書くために現地取材を重ねているうちに、ようやく自分の地理感覚が歪んでいたことに気づく。信長が生きた、名古屋から岐阜、安土、そして京都、大阪を、資料を読み、地図を眺めて、意識化する作業。岐阜から安土まで約60キロ、安土から京都までおよそ40キロとか、そういった数字を絶えず思い起こしながら。
 しかし、現地を取材で訪れ、歩いたり移動したりしている時に、どうしても違和感を感じてしまう。二次情報をもとに成立させていた認識が、皮膚によって否定されてゆく気分。日本史の巨大なドラマが繰り広げられた舞台の意外な狭さに、改めて驚き、信長の人生って、この範囲に収まる程度だったのか?と。






 たとえば、北海道の札幌を中心にして言うなら、安土と京都とのあいだというのは、札幌と千歳のあいだほどの距離。岐阜と安土とのあいだは、美唄と札幌との距離ほどのもの。つまり、岐阜、安土、京都を結んで起こる歴史的事件というのは、石狩平野の内側程度の範囲で起こっているに過ぎないのだ。天下統一を目指した男たちの壮大な戦いの物語、という戦国史に対する刷り込みが、現実の舞台サイズを見て吹っ飛んでしまうのだった。
 北海道で生まれ育った人間にとって、それは不良高校生たちの縄張り争いより小さいって感じなのだ。たとえば「上洛」という言葉には、最低でも十勝地方の独立国家の軍が、日高山脈を越えて札幌に進んできた、というほどのスケールを期待してしまう。ところが実際は、美唄から札幌経由で千歳に行ったという程度。自転車で一日もかからないという距離なのだ。

 現地を知らない北海道の住人が、本州の歴史の舞台の大きさを実際よりも広いものと誤解していたとして、それは歴史の記述者たちの操作が加わったせいだという事はないか。たとえば三国志に匹敵するスケールの歴史が日本にもあったのだと、意識的に舞台を現実の広さの何倍にも拡大して書いてきたということはないのか、とも書いている。




 このエッセイを読んでいて、北海道をアメリカに置き換えたらどうなるかと考えた。全く同じことがアメリカの住人にも当てはまるのではないだろうか。
 自国よりも小さな国へ向かってする戦争。距離感も全体のスケール感も全く違う処へ、無人機やら有人機で空爆を仕掛ける。その誤爆の中で、多くの女子供を含めた一般市民が犠牲になっている。米兵の心は、誤差の尺度が、数値以上に粗くなっていやしないか。











◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。

「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)

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最終更新日  2015.02.03 10:14:52
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◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題しました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
◆2017年10月10日より つれずれにつづる「みそひともじ」と心のさんぽに改題しました。
◆2019年6月6日より 「歌とこころと心のさんぽ」に改題しました。
「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)

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