♪ 若き血を躍らせ眼(まなこ)光らせる無常の風を耳に受けつつ
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昨日の朝、爺さまがPCに向かって何やらやっている時、どこかで妙な音がするのに気づいた。音のする方へ行ってみると廊下の隅でカタカタカタカタと音を立てているものがいる。何とキジバトの幼鳥だった。幼鳥といってもかなり大きく、もう少しで巣離れするぐらいまで育っている。
アランが捕まえてきて直前まで弄んで、動かなくなったので放置したらしい。外へ出て行ったらしい気配があったけれど、アランの声も聞こえず、幼鳥もまったく鳴かなかったので気付かなかったようだ。
獲物を見れば狙いたくなる。絶対に捕まえてやるという狩猟本能を抑えることはできない。心臓は高鳴るものの冷静さは保ちつつ、身を伏せて息を殺し、飛び掛かるチャンスをじっと待つ。この瞬間のスリルがたまらない。
6月のアラン この頃よりもずっと逞しくなっている。
猫が体を舐めているのはただ単に毛づくろいをしているわけじゃない。身体のにおいを消すためだ。おしっこが臭いのも体臭を出さないように、尿にして排泄するためだ。折角持って生まれた狩りのためのパフォーマンスを発揮できるチャンスを逃すわけにはいかない。
スーパーボールを追いかけ回していたのだってこの日のためにやっていたんだし、登り棒を駆け上がってついでに爪を研ぐのもそのためだ。そんな訓練の成果を実際に試すチャンスは、そうそう有るものじゃない。このぬくぬくとした毎日のなかで、ただ寝てるだけじゃあ猫が廃るというものだ。
掴み上げてみるとまだ元気があって、翼をばたつかせて逃げようとする。聞こえてきたのは、苦しいのか怖いのか、しきりに嘴を鳴らしている音だった。声は決して出さないのは身を護る本能なのかも知れない。ケガをしているかどうかは分からないけれど、飛んで行けそうな感じもしない。
爺さまはどうしたものか、ハタと困ってしまっている様子。
ここまで大きくなっていればもう普通の餌をもらっているだろうし、保護して育てるのも難しそうだ。以前、巣から落ちた雛を見つけて「日本野鳥の会」に問い合わせたら、元の場所に戻してくださいと言われたことがある。自然に戻すことが自然界に生きてるものへの最も意味のある事らしい。
しょうがないので、塀の上に乗せて様子を見ることにしたようだ。
こうして見てみるとかなりダメージを受けてるようにも見える。しばらくじっとしていたけれど、爺さまがPCに向かってしばらく目を離しているうちに姿が見えなくなった。塀の向うへ落ちてしまったのかも知れない。
可哀想だと思うかも知れないけれど、動物はもともと危険がいっぱいのなかに生きている。運命と諦めてもらうしかないなあと、爺さまは呟くばかり。
人間世界のように可哀想とか、哀れとかいう感傷に浸るような世界じゃあない。倫理も道徳もへったくれもない。生きるか死ぬかのどっちかしかない。人間ほど残酷な生き物もいないのにその罪滅ぼしか知らないけど、妙な同情心なんて向けられても困るってもんだ
僕も以前、キジバトの成鳥を捕まえてきたことがあったし、5年前にはヒヨドリ、3年前にはメジロを咥えて帰って来たりもした。その度に爺さまが奪い取って逃がしてしまった。
猫は、ダメージを与えずに咥えることができる特殊な技術があるので、生んだ子を咥えて移動させたりすることができる。そのテクニックを使って咥えて来るのは、殺すのが目的じゃないからだ。自分の狩りの腕を認めてほしいだけなの。
でもアランみたいに声も出さないんじゃ、何やってるか分かんない。普段もあまり声を出さないし、変な奴だよあいつは。
僕たち飼い猫は小さい時からキャットフードで大きくなったので、小鳥を捕まえても滅多に食べることはしない。チャミーという先住のメス猫は食っちまったらしいので、腹が減ってたまらん時は食っちまうかもしれない。でも、まだそんな目に遭ったことがない。
今、電線にキジバトが止まっている。まるで剥製のように身じろぎもしない。放心状態のようにも見える。親鳥だろうか。
何だか切なくなってきたような爺さまです。
このブログは8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。
日によって文体が違ったりしますが、そのうち一つの形に収斂していくと思いますのでそれまでは、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。
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