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- 世界平和の理念は『正法』にしかない -
武器を持って戦う戦争だけが戦争であるのではなく、心と心の戦いも一つの戦争である。 一つの教団が特定の教義を楯にして他の教団を攻撃し、またその信者違が他の教団の信者を非難攻撃するならば、それも一つの戦争である。 正法とは釈尊が説かれた道であり、それを現代に明らかにして下さったのが高橋信次先生である。 正法とは 一、この大宇宙は神が創造された。神は智恵であり慈悲である。 一、大宇宙はすべて調和されている。 一、万生万物は神の生命の顕現されたものである。 一、万生万物はすべて相依相関関係の存在である。 一、地球は人間の霊の修業の場である。 一、人間は神の子とし、神によって創造された万物を霊を磨く素材として霊を磨いてゆかなければならないのである。 一、天体が運行し地球が自転公転することによって昼と夜があり春夏秋冬があるように、人間の霊はあの世とこの世を輪廻転生するのである。 一、神は人間が霊を磨く基準として因果の理法をつくられた。 心の場合は善因善果、悪因悪果の因縁の法則として現われ、物質の場合は因果律として物理化学や科学の法則として現われている。 このことからして、この大宇宙そのもの地球そのものが神殿であって、大宇宙を創造された神が、人間がこしらえた小さな神殿の中にいられることはない。 神に金銭は必要はない。 神に沢山金銭をあげてもそれで救われることはない。 霊を向上させるためには心を綺麗にする以外にない等のことが導き出されてくるのである。 神が万人のための神なのであって、限られた一民族のためだけの神ではない。 ユダヤ民族だけを守ってその他の民族は守らないとか、西洋の白色人種だけを守って東洋の有色人種は守らないとか、或は一つの宗教団体だけを守って他の宗教団体は守らないとか、そういうものは神ではない。 神というべきではない。 神は全人類を愛し給うのであるから、神を愛するという人達は全人類を愛しなければならないのである。 その教団の特定の教義を信ずることによって、他の人達が自分よりも劣って見えるならばその信仰は正しくない。 本当の信仰はみんなが神の子だとして拝まれて、どんな人でも愛せられるようになってこなければ、いけないのである。 人間が神の子だということは、人間はみな責任を持たなければならないということである。 責任回避する人は、本当の信仰人ではない。 愛し合うのが人間の本質なのであるから、戦争や破壊を計画する人も信仰人ではない。 茜洋諸国の指導者達は神の名に於て、戦争を計画したことを反省しなければならない。 戦争を計画した人達が既に死んでしまっていたとしたら、現在の指導者達が戦争を計画し他国を侵略することを考えてはならない。 正法誌No21より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.01.13 00:26:03
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