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高橋信次先生に学ぶ

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2005.09.07
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カテゴリ:法語
- 男の役割と女の役割1 -

…キリストの教から…


キリストが説かれたその夫婦の道は、東洋の道徳とも一致するのである。

夫婦の道だけではない。
親子の道も一致するのである。


神道と仏教とキリスト教が、同じ神理を説いているのである。


仏教とキリスト教が一致していることについて、ある有名な仏教学者が書いていられるものがあるが、これはパウロと親鸞上人の言行が一致点が多いことを書いたもので、真の意味にわいて仏教とキリスト教の一致を説いたものとはいい難い。

高橋信次先生が説かれた、輪廻転生の話を聞かれた方には、キリストの弟子であったパウロが後に日本に親鸞上人として生れられたのであることを知っていられるであろう。

パウロと親鸞上人といっても、それは同一人物であったのであるから、説いたことが同一であるのは当然のことである。


キリストは

「天にいます我らの父よ」と、

直に神に祈ることを教えられたが、パウロは、イエス・キリストという個人の、み名を通さなければ救われないと説いた。

これは親鸞上人が、念仏を唱えるという手段を通して阿弥陀如来に頼まないと救われないと言われた事と同じである。



男女は平等ではないのか


「女は、夫の生命を拝んで神に祈らないと、女の祈りは効かれないのである」


妻を愛するということは、実際は夫が自分を愛し大事にすると同様であって同じ事なのである。

男といえども精神異常者でない限り、自分で自分の身体を傷つける者はいない。

皆自分の身体を大事にする。


妻を愛するという事は、自分で自分の身体を大事にするのと同じであるという事で、もっとはっきり言えば、

妻を愛するということは自分を愛することであり、夫が自分を愛するというその愛の心と、妻を愛するという心に距離があってはならない。


妻もまた自分であるということである。


「夫はその分を妻に尽し、妻もまた夫に然かすべし」


「分」を、ということはどんな事であろうか。


夫婦の縁は、天上界からこの地上界に生れて来る時の待機所で結ばれる。

夫の魂は今度は地上へ出て行って、どういう勉強をしなければならぬかを、よく知っている。

その魂の勉強をするのに一番ふさわしい人を、自分の妻として選ぷのである。


夫にとっては、妻のいい処、悪い処の全てが夫の魂を磨く勉強の資料なのである。

いい処は愛するが、悪い処は愛さないというのであってはいけないのである。

いい処も悪い処もすべて含めて、そのままを愛して行かなければならないのである。

その分をとは、是非善悪、愛憎もすべてを超えたところの愛を以ってということであり、妻もまた夫をそうしなければならないというのである。



~正法誌 第30号 1981年2月号より抜粋~

(一部加筆訂正してあります)





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Last updated  2005.09.07 23:27:48
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