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高橋信次先生に学ぶ

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2006.03.06
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カテゴリ:法語

- 先祖供養は道徳であって宗教ではない -


宗教は自分の霊性を自覚し、心を高め深めて、神仏との一体を自覚して行くことである。

道徳とは、人の生き方の間題である。

親鸞上人は
「父母に孝養のためにとて、わたしは一ぺんも念仏を唱えたことはない」
といっていられる。


先祖の供養をしたら自分の運命がよくなるといってお経を上げさせているが、それは信者の功利的な心を助長させ執着を作らせることになる。

もし、思いがけない不幸な事が起ったりすると、見せかけのその先祖供養の心は、一転して「これだけ供養したのに…」と先祖を怨む心になりかねない。


感謝とか愛という言葉を口にしていながら、何かあるとそれがすぐ僧しみや怨みに変るようなものは、真の愛でも感謝でもない。


先租供養をすることが信仰だと説いている教団では、「子孫のために徳を積め」といって、献金や奉仕を強制し、本や新聞を沢山買わせ、会員を増やさせている。


自分が積んだもの(徳)は自分のものになるのであって、子孫のものになるのではない。


徳を積んだ家の子孫にいい人が出てくるのは、この世は「類を以って集まる」という世界であるからである。

自分が豊かな心を待っていると、そういう魂を持っている子孫と縁が作られて、いい子孫が約束して生れてくるのであって、子孫の作ったものは、子孫そのものが持っていた徳なのである。


先祖供養の儀式は、永年立派にやっているといっても、また、子孫のためにとやっていても、確かに心は感謝に満ちていたとしても、一向に、心を大きく成長させることが出来ないでいる人が一杯いる。


太陽は万生万物に光と熱とを与えて、少しも報いを求めない。

神の愛はその如くである。


正しい宗教家は正しく法を説くだけであって、その報いを求めることをしない。

しかし、その恩を感ずる人があって心から報謝されるものは、有り難く受ける。


それが釈尊の乞食の精神であった。




~正法誌 第32号 1981年4月号より抜粋~





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Last updated  2006.03.06 21:02:11
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