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カテゴリ:正法誌No37
因縁を越える道と助力 園頭先生の解説-4
どうしてそうなったのかということを反省することがなくて、 困ったことが起こるとすぐ「高橋信次先生助けて下さい」と 「固有の天使の助力を求めることは、それはとりもなおさず 他力の所業であり、他力はやがて欲望充足の道具と化してしまう」 ということになる。 光の天使は困った人が助けて下さいと呼ぶと、放って置くわけには 行かないからと行って助けるのである。 するとそこに奇蹟が起こって苦しみがなくなる。 それに味をしめるとなにかあると、すぐまた光の天使の名を口にしてしまう。 そうなると遂には、自分の都合の悪いことは、みな光の天使にお願いしさえ すればいいという、安易に自分の欲望を充たすための道具としてしまうのである。 だから、最初、光の天使の名を呼んで奇蹟があったという人が、次に何かあって 光の天使の名を呼んでも、お蔭が起こらなかったという場合は、その教えが だめなのではないのであって、いつまでもそういう心であっては、あなた自身の が向上しないのであるから、今度は自分でやってみなさいという、光の天使の 慈悲であることをよく知らなければいけないのである。 ゆめゆめ、光の天使を疑ってはならないのである。 「このことは、自分自身を守っている守護霊をいたずらに口にする場合も 同じことである」 私が高橋信次先生に帰依したのは昭和48年3月であったが、私より1カ月早く 帰依した京都のTという人があった。この人は高橋先生に帰依する前は○○氏 主宰の○○会の京都の幹部で真言密教をやっていた人であった。 T氏は人が何かを相談するとすぐ眼をつむって首をかしげ、「あ、あなたの 守護霊が見えます、あなたの守護霊がこういっています」という指導をするので T氏は守護霊が見えるというので評判になった。 この人の指導は間違っていると思ったので、その年の6月に私が「Tさん、 あなたがすぐ守護霊に聞いてみますというやり方は間違っているのである。 我々には智慧が与えられてあり、神の慈悲として反省とということが与え られているのであるから、どうして、そうなったのであるかを智慧によって 反省し、自分で自分を向上させようとする、まじめな努力をして祈った時に 守護霊さんお願いしますといわなくても守護霊は協力してくれるのであって、 どうしてそうなったかも反省させず、いきなり守護霊に聞いてみますという やり方をしては霊を向上することにならないのである」と注意したのであった。 京都のT氏は、高橋先生公認の指導法であると言ってウソを言ってやって いたのである。 高橋先生公認といえば、誰しもが簡単に信じてしまった。 ある人が、高橋先生がこう言われたからと言っても、それをすぐ信じて はならないのである。 このことについては高橋先生が「如来のいうことといえどもすぐ信じては なりません。果たしてそれは正しいかどうかをよく判断して、間違いないと わかった時にはじめて信ずることです」といわれた言葉を大事にしなければ ならないのである。 正法誌第37号 1981年9月号より抜粋 のびのびと生きるために!精神世界から見た心の特質を分析し、心の世界の構造とその働きを追求した一冊。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.09.28 16:40:42
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