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高橋信次先生に学ぶ

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2008.10.04
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カテゴリ:正法誌No37
因縁を越える道と助力 園頭先生の解説-5



守護霊は、その人がこの世に生まれてくる時に、その人の一生を守る

使命を持っているのであるから、守護霊に協力をお願いすることは筋

が通っているが、それでもいたずらに、みだりに口にしてはならない

というのである。


 例えば学校の先生は生徒に数学を教える役目を持っている。だからと

いって生徒が自分では少しも考えずに、最初からの数式を根掘り葉掘り

一つ一つ、これはどうなるんですか、これはどうするんですか、そうして

答えはこうですかと、自分では少しも考えずにいちいち聞いたとしたら

その生徒は力がつくであろうか、絶対に力はつかない。



 それと同じように、この世は魂の勉強の世界なのであるから、やはり

自分で考えて自分で実践して、そうして力をつけてゆかねばならないのである。



 だからよく正法を知っている指導者は個人指導をする時に、いきなり「こう

しなさい」ということは言わないのである。


 いろいろ話をしているうちに、その人が自分で答えを出すように話をしてゆく

のである。


 自分で考えて考えてどうにも分からないという時にはじめて守護霊に助力を

求め、また祈願文を唱えて助力を求めるべきであって、いきなり「高橋先生助けて

下さい」と固有の天使の名を口にしてはならないのであるというのである。


 どうしてそうしてはならないかは、この次に説明してあるからそれまで待って

もらいたい。



 「ユダヤ教のヤーヴェ(キリスト教ではエホバともいう)も、このことを再三注意

している」と書かれてあるが、これは、ヤーヴェが「わが名をみだりに呼ぶな」といわ

れたことであり、キリストが「主よ、主よと呼ぶ者がみなすくわれるのではない」と

戒めていられることに当たるのである。


 そういわれた趣旨は、自分自身を反省することなく、いたずらに助力を求める傾向

が強くなると、自分で努力するということをせずに、信仰が他力になってしまうから

であるというのである。




 「また、天使も地上の人々が求めれば、他の重要な仕事をおいても、その声に耳を

貸さなければならなくなり、それが時には、より多数の人々を犠牲にしなければなら

ないことも起きてくるからだ。



 それだけに、自分の都合の身を願って、固有の天使の名を口にしてはならないのである」



 例えば、あなたの家の前の道路が悪くなったので、それを舗装してくれということを、

国の政治の責任者であるからということで直接総理大臣に陳情されるであろうか。


 そんなことはされないであろう。必ず自分の住んでいる市町村役場に行って陳情される

はずである。


 その場合でも一人でするということはされないであろう。隣組全部の人と話し合って、

その地区の責任者である区長さんを通してということになるであろう。



 この世が秩序をもって政治されると同じように、あの世はこの世よりも霊の段階によって

整然と秩序だった世界であるのである。



正法誌第37号 1981年9月号より抜粋



第1章 希望実現の最高の秘訣は感謝力にある/第2章 感謝の心が人間関係に調和をもたらす/第3章 よい人脈は感謝力で決まる/第4章 感謝力で人生のすべてがうまくゆく/第5章 感謝力は心の浄化に比例する/第6章 感謝を引き出すための五つの方法/付録













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Last updated  2008.10.04 16:34:13
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