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高橋信次先生に学ぶ

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2009.05.16
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カテゴリ:正法誌No37

さて、その天変地異によって、あなたたちが信じていた教祖が死に、拝んでいた偶像が焼け、

流され、土中に埋没し、姿も形もなくなったら、あなたたちの信仰はどうなるというのであろ

うか。


対象物はなくなったのであるから、信仰はやめたということになるのであろうか。

そういうことを信仰とはいわないはずである。


地球にどのような天災地変があろうと、太陽も、月も、太陽系の惑星も、そうして宇宙全体は

そのまま自然の姿を保っているのである。


唯物論者は地球を死物だと考えているが地球は生きているのである。

馬の尻に大きな虻がとまると、馬は筋肉をぶるぶるっとふるわせて虻を払い落そうとする。

それと同じように、地球の生命はにふさわしくない不自然な心を持つと、その人たちが反省し

ない限り、地球の自浄作用が起こる。

それが天災地異である。


どんなに天災地異があろうとも、地球上の人類が全部死ぬということはない。

残る者とそうでない者とがあり、また災害を受ける地区と受けない地区とがある。

残るか残らないかは、その人の心が明るいか暗いかによる。

誰を信じているか、なにを拝んでいるか、すなわち他力信仰は全く関係ないのである。

どんなに天災地異で人類が減ったり増えたりしようと、そういうことには関係ないのが法であ

り、いつの場合でも残る人々は、神の心と調和している神がつくられた正法を信じている人の

みである。


正法は永遠なのである。

釈尊は過去に七回肉体をもって現われて正法を説かれた。

正法を正しく知って説かれた釈尊は「自分が肉体を持って現われようと現われまいと、正法は

永遠に存在するのであるから正法を信じなさい」と説かれたのである。


正法を信ぜよと説きに来られる方を如来というのである。

如来が来生されるのは神の慈悲によるのであるが、その如来の説法を信ずるかどうかは、一人

ひとりの自由に任されている。


信じて救われる道を選ぶか、欲望のままに生き、また他力信仰をして滅びの道を選ぶかは、そ

の人の自由である。

人類の長い歴史の中で、一貫して説かれた永遠不変の正法こそ、われわれの心のよりどころと

しなければならないものである。


この次にまたいつか釈尊が現われて正法を説かれる時が来る。

その時もまた釈尊は「肉体の私を拝んではいけない、私が説く正法を信じて、それをあなた方

の心のよりどころとしなさい」と説かれるのである。

そしてまたつぎも


人間の手でつくったものが神や仏であるはずがない。

正しく神がつくられた法を信ずることである。


正法誌N037号
1981年 9月号より抜粋



わたしたちは元来、国境や民族・宗派の壁を軽やかに超えて、スピリチュアル民族という一つの存在であるはずなのに―。既存の社会システムの綻びは、もはや隠せない。『すべての人の心に花を』で知られ、ネイティブ・アメリカンやインドの精神世界にも詳しい音楽家・喜納昌吉と、みずからのルーツや経験に耳を傾けながら日本の神道研究に新たな視座をもちこんだ宗教学者・鎌田東二のふたりが、霊性の不遇を嘆き、霊性のネットワーキングの復活(ルネッサンス)を提唱する。霊性の知恵・叡智が、物質文明に侵されて硬くなった心を解きほぐす。それは神話であり、おばあちゃんの知恵であり、ユーモアである。目には見えないが、有機的な生命の流れの根底にたしかにあるはずだ。





 





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Last updated  2009.05.16 10:48:47
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