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高橋信次先生に学ぶ

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2009.10.09
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カテゴリ:正法誌No38
その素直なおっとりとした妻が早く死んでしまった。

いろいろな女遍歴をしたあとでその人は二度目の妻を迎えた。


その人はやはり名門の出で、昔の殿様の家のお姫様であった。

料理裁縫から社交まで、あらゆる点で出来ないことは一つもないという実に優れた賢妻であっ

た。


天地が逆さまになっても、夫にご飯だけの弁当を持たしてやるようなことはないという実によ

く気がつく人であった。



その二度目の妻を迎えたその人が、森田たまさんのところに来て言うには、「前の妻は、絹の

ようなあたたかさを通わせてくれる妻でした。

やることなすことへまだらけでなんにもできない妻でしたが、その度に「すいません」「ごめ

んなさい」と自分の失敗を素直にみとめて謝ってくれるやさしい妻でした。

しかし、それに反して今度の妻は、なんにも出来ないことはないという素晴らしい妻ですが、

前の妻が絹のような心を持っていてくれたのにくらべて、今度のはズックの袋ですよ」



あなた方は夫にとって、絹のような温かさを通わせるやさしい思いやりの深い妻なのか、それ

ともあのズックみたいに、ごわごわした荒っぽいがさがさした感じを与える妻なのか、よく考

えて見られることである。



終戦後、女が強くなった。


花嫁学校ができ、大学へ行く人も多くなった。

だから昔の女の人よりはいろいろなことを知っているし、おいしい料理が作れるかもしれな

い。



だから、森田たまさんはいわれるのである。



「気性の勝った、どんな落ち度もない女というのは、他人からはほめられる存在であるかもし

れないが、夫の愛情はそういう女からはうすれていくものであるらしい」と。

そうして最後にこういわれるのである。


「七十になろうが八十になろうと、女を忘れない人の心には、羽二重のようなすべすべした、

きめのかまかな思いがひそんでいるのであって、お弁当にご飯ばかりをつめた新妻の、あのお

っとりとした、素直な気持ちが一生つづいているようであってほしい。


それは、人の中へしゃしゃり出て、なんでも牛耳るという社交夫人ではなく、といって家庭の

中で、子供の勉強をはげます教育ママでもなく、格別、内助の功のある良妻でもなく、ただい

つも涙もろく、人のあわれな話を身にしみて聞くというふつうのやさしい女、私はその心を絹

の心と思うのである」と。



正法誌N038号
1981年 10月号より抜粋



序章 ブッダの生きた幸福の境地(ブッダと資産家の対話/雨が降るなら降ればよい ほか)/第1章 「生き方」はどうすればわかる?(生きる方法を知らない/「生きている」証しは充実感 ほか)/第2章 正しい生き方をやってみる(正しい生き方って何だろう?/戒律とは「生き方」のこと ほか)/第3章 慈しみの心を育てる(犬や猫とのギブアンドテイク/人間同士のギブアンドテイク ほか)/第4章 人生に意味はあるのか?(目の前の「意味」を知る/なぜ、いま、これをしているの? ほか)










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Last updated  2009.10.09 20:07:22
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