|
カテゴリ:正法誌No39
夫婦の場合であっても、性を罪悪視していることが夜の生活を臆病にさせ、それ
がなんとなく不調和の原因となっている場合もある。 調和の方法は夫婦が話し合って決めればよい。 釈尊はこのように夫婦の性生活の大事さを説かれたのであったが、そのことは後 世に伝わらなくなってしまった。 夫婦の性をも罪だとしてしまったことによって、仏教伝来以来、どんなにたくさ んの人々が正しい生活が出来なくなったことか。 性が罪となるのは、中道をはずれて極端に放縦となるか、極端に潔癖になるか、 また、不当な相手に向けられた時である。 だからそこには、感情に流されないところの知性と理性によるコントロールが必 要となってくるのである。 魂の成長 人間はやがて年齢とともに、性を必要としなくなってくる。 それは神が、肉体的な欲望執着をなくして魂の成長のみをめざし、なに一つ不安 なくあの世の世界へ行けるように準備せしめていられるのであるから、そういう 年齢になったら、肉体的欲望は捨てて、あっさりと魂の成長のための勉強をすべ きである。 そういうことがなくなったことを人生の楽しみがなくなったと考え、いろいろな 薬品を使って取り戻そうとすることは大きな執着となり、地獄行きの原因とな る。 自然の法則に逆らわずに、魂の修行をすることである。 正法誌N039号 1981年 11月号より抜粋 ブッダの教えで最初の際立った特色は、あらゆるものの中心に“心”をおいたことである。“心”は物事に先んじ、支配し造り出す。もし“心”を完全に把握すれば総ての事も把握できる。“心”は総ての働きを導くものであり、主人であり、“心”そのものがその働きでできている。先ず専心すべきことは心の修練である。第二の特色は、我々の内外に起る総ての善悪は心が生み出す。悪や悪に関連し悪に属する一切の事柄は心から生じる。善についても同様である。閉ざされた心で語り行為すれば、牛に曳かれる牛車の車輪のように苦しみがついて回る。それ故心が澄み切っていることが宗教の核心でなくてはならない。第三の特色は一切の罪深い行為を避けよ。第四に真の宗教は宗教書の中ではなくその教えの実践にあるとした点である。インド仏教徒1億人のバイブルの歴史的名著、ついに復刻。インド仏教徒の最高指導者・佐々井秀嶺氏の解説を新たに収録。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.28 22:36:55
コメント(0) | コメントを書く
[正法誌No39] カテゴリの最新記事
|