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カテゴリ:正法誌No40
正法とは宇宙大の心の広さを持つことである
法華経こそは釈尊真実の教説であると日蓮上人が思われたのは、法華経の初めに ある、「無量義」をよまれたからであるといわれている。 この「無量義」にはなにが書かれているかというと無上覚(悟り)の道が書かれ ているのである。 「無量義は一法より生ず。 一法とは無相なり、而も無相は無相不相、不相無相なり。 名付けて実相という」 無量、即ち量ることのできない義(教え)はただ一つの法から生ずる。 その一つの法は無限の姿相となって現われ、これといって特定の相をとどめるこ とはなく、いろいろな無限な相となって現われる。 それが実相(真実の相)である。 「法とはどのようなものであるか」 「それは水がよく垢や穢れを洗い落とすのと同じように、人々は法によって心の 苦悩、罪悪を洗い落とすことができる。 法とは水のようなものである。 その水は、井戸の水、池の水、大きな河の水、小川の水、谷川の水、渓谷の水、 大海の水等と、いろいろな形にあらわれていても、その水はもろもろの垢や穢れ を洗い流すことが出来るように、法の水もまた衆生の煩悩を洗い落すことができ る。 水の性は一つであるが、井戸、池、河、河、大海と各々別な相をとる。 法もそのように、よく人々の苦悩煩悩を洗い清めるということは差別はないが、 法を聞く者の機根、性格等がいろいろに違うのでその受け取り方も千差万別とな る。 ある者はこれほど素晴らしい最上の教えはないと思う者、まあまあ少しばかり良 い教えだと思う者、みながよいというからよいのであろうが自分にはどこがよい のかまだはっきりわからないという者、同じ仏弟子とはいっても、その得るとこ ろはみな同じではない。 正法誌N040号 1981年 12月号より抜粋 【内容情報】(「BOOK」データベースより) いまも新しいブッダの2500年前の教え。それは認知科学であり心理学であり、きわめて実践的な心のトレーニングメソッドである。巻末に編訳者による「ブッダの生涯『超』ダイジェスト」収録。 【目次】(「BOOK」データベースより) 1 怒らない/2 比べない/3 求めない/4 業を変える/5 友を選ぶ/6 幸せを知る/7 自分を知る/8 身体を見つめる/9 自由になる/10 慈悲を習う/11 悟る/12 死と向き合う
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