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高橋信次先生に学ぶ

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2012.08.15
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カテゴリ:正法誌No41
まわりはすべて我が師

感謝とは、天に向かってだけ、人に向かってだけ、偶像に向かってだけ、と考え

ている人が多い。


釈尊の悟りは、肉体を苦しめては悟りにならないことを知られて、まず、自分の

肉体に感謝し、肉体を大事にされることから開かれたのであった。

肉体に感謝できない人は永遠に悟れないのである。



宗教団体の指導者や学校の教師だけが師ではない。

周囲のすべてが我が師である。

ある人はこうすればよいということを教え、ある人はこうするとこうなるから、

こうしてはならないということを教えてくれる。



浪花千栄子さんは、五歳で母を亡くして、弟の守りをしながら、ご飯を炊いてこ

られた。

今の五歳の女の子はそれができるだろうか。

小学校には、わずか二ヶ月しか行かなかった。

九歳の女の子が、新聞や雑誌の切れ端を見て、立派に文字が読め書けるように

なった。


「瞼の母」「一本刀土俵入り」で有名になられた作家・長谷川伸氏も、小学校に

は行かれなかった。

仕出し料理屋のおつたさんという女の人から、文字を書けるように勉強しなさい

といわれ、それからやはり浪花千栄子さんと同じように、新聞の切れ端を便所の

中で読んで勉強したといっておられた。


勉強をしようという気さえあれば、本はなくても、教材はなくても、特定の先生

はいなくても、勉強部屋はなくても、勉強できるのであるということを教えてく

ださっている。



今の子供たちが、恵まれた環境の中で勉強できないというのは全くおかしい話で

ある。


まじめに生きている人なら、その人でなければならない貴重な人生体験というも

のを持っていられるものである。


自分の体験していない体験を持っている人があったら、そのことは、その人を師

として学べばよい。


そういう目で周りを見れば、周囲はみな「我が師」ということになる。


正法誌N041号
1982年 1月号より抜粋







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Last updated  2012.10.03 09:18:49
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