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カテゴリ:正法誌No42
人間がどんなに神に叛こうとも、その人が気づくまで神はじっと待っていられ
る。 決して強制的に神に振り向けさせようとはされない。 それはちょうど大きな魚がかかって、暴れる時には、どこまでも糸をくれてや り、そのうちにそろそろたぐり寄せるのに似ている。 人間が悪に走るときには、神は悪に走るままに委せていられる。 この世で悟らなければ次の世で、次の世で悟らなければ、そのまた次の世でと、 必ず救われることになっているのである。 人生をこの世限りで見ると、一生悪いことをしたままで終わる人もあるから、中 には、神も仏もない、という人もあるのであるが、神仏はないことはない。 必ずいつかは救われることになっているのである。 あの世とこの世の仕組みの不可思議さは賛嘆するほかはない。 高橋先生はさらに言葉を続けられた。 「明治維新によって天皇制に返し、国民に自由を得させるつもりであったが、明 治政府は官僚による権力金権政治となり、天皇を宇宙創造の神の代理者である現 人神とし、その天皇の御名において、国民を束縛するものとなり、寛永二年に天 上界で計画した通りにはゆかなかった。 (西郷隆盛が鹿児島に下野したのは、征韓論に敗れたからであるという歴史学 者が多いが、西郷さんが考えていられたのは「徳をもってする政治」であった。 だからいよいよ鹿児島に帰られる時、大久保利通に言われたのは「おいどんは、 こんな政府をつくるつもりで明治維新をやったのではなかった」ということで あった) 世界の情勢は、白色人種が有色人種を支配するという体制が強まっていった。 その世界の趨勢は、やがて第二次世界大戦となり、日本は敗戦するということが 天上界ではわかっていた。 その敗戦による混乱した日本をまとめるには、それだけ徳を持たれた方を日本の 天皇として生まれさせる必要があるということになって、大正天皇の御子とし て、かつてインドで阿育王として出られた方を生まれさせるということになった のである。 敗戦によって天皇は現人神の座から下りられて「人間宣言」をされ、国民は完全 な自由を得ることになった。 もし、終戦前のような状態であったとしたら、とても正法は説かれなかった。 「神は神社の中にいられない」「神を祭る儀式は必要ない」とか、さらに「天皇 は神ではない」等といおうものなら、たちまち不敬罪で刑務所行きとなるところ であった。 天皇も法の実践者であるのである。 かくしてインドの当時から二千5百有余年を経て、日本は正法が説かれるにふさ わしい国となったのである。 終戦の時、今日のように日本が繁栄することを考えた人は一人もいなかった。 交通機関は発達し、昔は一部の人しか外国へは行けなかったのに、今は普通の人 でも、どしどし海外へ出かけるようになり、日本人でも外国語を話す人が多くな り、日本の経済発展は海外に日本ブームを巻き起こし、外国の人たちが日本語を 習い、日本食を食べ、日本文化を吸収しようと努力するようになった。 豆腐、味噌、醤油は日本人だけのものであったのに、今はアメリカ人がそれらを 製造している。 日本との間は、終戦前には全く想像することもできなかったほど融和が深まって きた。 世界が平和になっていくためには、日本人は外国人の思想宗教を、外国人は日本 人の思想宗教を理解しなければならないことになってきた。 そこに「正法」が出現したのである。 世界は「正法」を基準としてユートピアになっていかなければならない。 二千五百年前の釈尊の予言通り「正法」がひろがりやすい情勢がつくられつつあ る。 (おわり) (正法誌1982年2月号より抜粋)
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Last updated
2013.03.02 22:02:55
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