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カテゴリ:正法誌No42
昭和四十八年一月、私(園頭先生)がはじめて高橋信次先生著「心の発見」 (当時は「縁生の舟」といっていた)をよんだ時、ふと疑問に思ったことは 「仏教とキリスト教のことは書かれてあるのに、どうして日本の神道関係の ことが書かれていないのか」ということであった。 正法が宇宙の大原則たる法であるならば、仏教もキリスト教も神道も、また、 ユダヤもイスラム教も、やがてはそれぞれの教義の間違いを捨てて、正法に 帰一して来なければならないし、正法を将来に伝えて行くとするならば、 その帰一の道を示さなければならない。 高橋先生存命中、神道関係の人で講演を聞くという人は少なかった。 それは無理もない。 高橋先生の著書のどこを見ても、日本の神道について書かれたところは ないからである。 宇宙創造の神は、仏教、キリスト教関係の人は救うが、神道関係の人は 救わないというのであろうか、そんなことはないはずである。 正法が宇宙の大法であり、すべての人類がそこに帰一してこそ はじめて救われる道であるならば、神道関係の人も救われてゆく道を 示さなければならない。 高橋先生が説かれ、また、書かれたものの中には、その時機が来なければ はっきりというわけにいかないし、また、書くわけにも行かないというものが あったことをわれわれは知らなければならない。 例えば、「資本主義も共産主義も、どちらも唯物的であるからいけない のである」といわれたことは、この二つの主義は、ユダヤのフリーメーソンが、 世界を資本主義国家群と共産主義国家群の二つに分けて、それを相戦わせる ことによって、ユダヤによる世界支配を実現しようとして考え出した謀略思想 なのであって、神理ではないのであるから、正法を信ずる者は、資本主義すなわ 民主主義の奴隷になってもいけないし、もちろん共産主義の奴隷になっても いけないし、どちらの主義思想をも冷静に第三者の立場で(これが正見である) 批判しなければならないのであり、それは当然、ユダヤのフリーメーソンの 政策を批判しなければならないことになるわけである。 高橋先生の著書をよみ、また、講演を聞いた人は合計すると何十万人と なるであろう。 (正法誌1982年2月号より抜粋)
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Last updated
2013.04.08 07:21:37
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