テーマ:大相撲全般について(394)
カテゴリ:スポーツ
大相撲の元大関若嶋津の二所ノ関親方が重体だそうで心配ですね。
さて、勤務先の大相撲ファンが毎月購入している「大相撲名力士風雲録」というDVD付きの雑誌ですが、今回は横綱旭富士に大関の小錦、さらに霧島という3力士です。
この3人が活躍した時期は、大横綱の千代の富士に衰えが見え始め、また若貴兄弟や曙が台頭してきた時期に当たります。
横綱にまでなった旭富士は昭和35年の生まれ、父親が草相撲で活躍していたとのことで小さいころから相撲をやっていて、近大の相撲部に入りました。
しかし、相撲部の世界になじめなかったとのことで近代を中退しました。ところが、その相撲センスを見込んだ大島親方(元大関旭國)に勧誘され、大相撲の世界に入りました。
もともと相撲のセンスが抜群だったのですが、親方と同じ膵臓炎にかかってしまい、横綱にまで出世したわりには、生涯の優勝回数は4回と意外に少なかったです。
さて、小錦ですが、ご存じのようにハワイからやってきた巨漢力士で昭和38年の生まれです。
ハワイの先輩力士の高見山に連れられて日本にやってきて、その破壊力抜群の押し相撲ではじめのうちは横綱・大関をなぎ倒し「黒船来襲」などと言われました。
その後は、各力士も小錦への対応を考えだして、なかなか思うように勝てなくなり、また膝をけがしたこともあって、横綱にはなれませんでした。
それでも大関時代に優勝を3回しています。小錦は大関陥落後も長い間、平幕で相撲を取り続けたことが印象に残っています。
その小錦と同様に大関陥落後も平幕で長く相撲を取り続けたのが霧島でした。二人は大関陥落後も良いライバルだったと思います。
ちなみに霧島は昭和34年生まれで、力士としては筋肉質の体で、つり出しを得意としていました。
個人的には、旭富士よりも大関陥落後に長い間にわたって、幕内で相撲を取り続けた小錦と霧島のほうが印象に残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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