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テーマ:世界遺産紀行(1089)
カテゴリ:ユネスコ【世界遺産】
ルクセンブルク【世界遺産】の街を友人のミーちゃんと歩いたのは、2019年4月13日(土)の午後のこと。
ギョーム2世広場からノートルダム大聖堂へ向かって歩いております。 きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第7回 City of Luxembourg:its Old Quarters and Fortifications 【世界遺産】ルクセンブルクの旧市街と要塞群 旧市街と要塞の緑に囲まれた世界遺産を楽しんでおります 旧市街の地図 ブリュッセルから電車→ルクセンブルク中央駅→ バスで旧市街に到着→ダルム広場で骨董市→ ギョーム2世広場で土曜日朝の花市場に遭遇 ノートルダム大聖堂へ向かっております RUE DE LA CONGREGATION joffergassel 1・3 2 MINISTERE DES FINANCES IN SPECTION GENERALE DES FINANCES ノートルダム大聖堂のトンガリ屋根が見えて来ました おゃ〜小さな子どもが台座に乗って楽しそうにしています 右手を挙げた銅像は・・・国民に広く愛された女大公 「シャルロット女大公の銅像」 シャルロット・・・とは? ルクセンブルク女大公 Charlotte Aldegonde Elise Marie Wilhelmine シャルロット・アルデゴンド・エリザベート・マリー・ウィユエルミーヌ 1919年1月14日-1964年11月12日(89歳没) 子どもたちからママまで大好きな大公みたいです シャルロットは・・・ ルクセンブルク大公ギヨーム4世の次女。 1919年、共和制を望む左翼の暴動のため 退位した姉マリー・アデライドに代わり即位した。 同年、バルマ公ロベルト1世の子で互いに母方の従兄妹である フェリックス公子(オーストリア皇后ツィタの弟)と結婚。 2男4女をもうけた。 1940年、ルクセンブルクがドイツに占領されると ポルトガルを経てカナダに亡命 1945年、帰国。 長男のジャンに大公位を譲って退位した。 シャルロットは・・・ 家名をルクセンブルク(リュクサンブール)家と改称したが ナッサウ=ヴァイブルク家の名称は、現在でも用いられる。 (ウィキペディア様より) RUE DE LA CONGREGATION joffergassel 中世の町並みを楽しみながら 覗いてみますが〜真っ暗で中世は見えません さぁ〜ここを進むと「ノートルダム大聖堂」です。 ・・・つづく・・・ シャルロットにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.11.07 00:10:07
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