|
カテゴリ:美術館・博物館
アンリ・ルソーがパリ市の税関吏の仕事と画家の仕事について自作の文章を残しています
Henri Rousseau 『ポルト・ド・ヴァンヴから見た市壁』1909年 油彩・カンヴァス サンクトペテルブルク「エルミタージュ美術館」所蔵。 アンリ・ルソー Henri Rousseau 1844年5月21日〜1910年9月2日(66歳没) 19世紀末〜20世紀初頭に自由な画法で制作。 フランス『素朴派』の代表的な画家。 パリ市の税関吏(ぜいかんり)を務め、 退職後に本格的に画家となる。 「税関吏」という聞こえは良いが・・・ 実際には、近郊から酒や食物などを 運び入れる業者から市税を徴収する 下級の番人だった。 当時まだパリは、 城壁で囲まれていて その一つの城門にある入市税関で 一日中見張っているのが仕事だったという。 アンデパンダン展の誕生 アンデパンダン展の話を聞いたとき、 私は会長で、 当時憲兵隊長だった デュボワ=ピエに会いに行った。 私はこの組織について 説明を受けた。 そしてそれは私の気に入ったので、 私は入会することにし、 サロンを放棄した。 要するにそれは もっともよい団体だったのだ。 もっとも合理的なものだった。 誰もが同じ権利を持っているのだから。 『コメディア』紙のインタビューより 1885年のルソーのスクラップブックより。 『現代生活』誌の記事には、 「私は、 鑑賞者の顔をじろじろ見ながら、 その傑作を前に1時間ほどいたが、 涙を流して笑わぬ者は 一人としていなかった。 なんて幸せなルソーよ!」 とある。 それが酷評であれ、 嘲笑の混じったものであれ、 ルソーにとっては、 人々から注目を浴びていること自体が 嬉しかったらしい? 『カーニヴァルの夕べ』1886年 1886年、第2回「アンデパンダン展」に出品。 この展覧会でルソーの絵を初めて目にした 『印象派』の画家:ピサロは、 「素描の素朴さにもかかわらず、 その色価が正確で、 色彩が豊かだ」 と賞したという。 ・・・・・・・・・・ 『入市税関吏の仕事』 私は常に私自身の内面と 自分の仕事だけに専心しています。 それに、たとえ 別のやり方があったとしても、 私は、自分の内にあって、 私の両親でさえも気づかない 私の自然の本能を 作品として展開することは 出来なかったでしょう。 なぜなら 芸術の世界にデビューしたとき、 私はおよそ40歳だったからです。 [・・・] パリ市入市税関の上官たちは、 私にできるだけ軽い仕事をさせ、 私により制作をしやすいようにと 取りはからっていました。 というのも、 私は23年間、 連続24時間勤務を こなしたのですから。 プーシェ予審判事宛手紙より (1907年12月13日付) [画家に仕事は] 市税官吏の仕事とは違うことは確かです。 それは辛い仕事でした。 1日14時間の労働です。 でも画家としては 我が身を憂う必要はありません。 [・・・] 『コメディア』紙のインタビューより 『自由』 おお自由よ、 おまえが常に各々の労働により、 フランスの栄光と医大のために 尽くそうとするすべての人々の 先導者であるように。 『第51師団の最後の一人』 長い戦闘の末、 連隊は完全に殲滅され、 負傷した哀れな兵士が、 その下で、 先輩たちが多くの栄光を 勝ち得た軍旗を扱うために、 ただ一人取り残されている。 1893年、第9回アンデパンダン展に出品した 5点のうちの2点に添えられた説明文 これらの作品は、すべて所在不明となっている。 (参考資料:八坂書房、アンリ・ルソーより) (写真撮影:ほしのきらり) ルソーにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.09.12 00:10:07
コメント(0) | コメントを書く
[美術館・博物館] カテゴリの最新記事
|