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カテゴリ:美術館・博物館
レオナルド・ダ・ヴィンチの誕生から青年期までを、もう一度振り返ってみました
パリ・ルーヴル美術館 レオナルド・ダ・ヴィンチ年譜=1 1426年4月19日、父:セル・ピエロ誕生 1451年、父:セル・ピエロ、フィレンツェのポデスタ館 (現:バルジェッロ美術館)内に公証人事務所を開く。 1452年(0歳)4月15日、[ヴィンチ]ヴィンチ村に生まれる。 父は、公証人:セル・ピエロ、 母は、カテリーナ。両親結婚せず、 父方の祖父:アントニオ宅で育てられる。 父は、アルピエーラと結婚。 実母:カテリーナは、窯焼き職人:アカッタブリーガ (アントニオ・ブーティ)に嫁ぐ。 1454年(2歳)、実母:カテリーナ、 レオナルドの異父妹にあたる長女:ピエらを生む。 1457年(5歳)2月27日、祖父:アントニオの 税申告書に、レオナルド5歳の記述、家族構成がわかる。 1459年(7歳)10月15日、アカッターブリーガによる 税申告書に、妻:カテリーナ、長女:ビエラ5歳、 マリア2歳の記述。 1461年(9歳)、実母:カテリーナ、 レオナルドの異父弟にあたる長男:フランチェスコを生む。 1464年(12歳)8月1日、継母:アルビエーラ、 出産がもとで死亡。 1465年(13歳)、フィレンツェに移り、 ヴェロッキオ工房に入る。 父:セル・ピエロ、フランチェスカ・ディ・ セル・シュリアーノ・ランフレディーニと結婚。 1468年(16歳)、祖父:アントニオ死去。 1469年(17歳)、父:セル・ピエロによる 税申告書にレオナルド17歳の記述あり、 父は、二番目の妻:フランチェスカと、フィレンツェの ピアッツァ・ディ・サンタ・フィレンツェの 向かいの家に住んでいる。 1472年(20歳)6月、フィレンツェの サン・ルカ画家組合に親方として登録。 この頃から『受胎告知』に着手か? また同時にヴェロッキオが『キリストの洗礼』に着手か? 1473年(21歳)8月5日、『雪のサンタ・マリアの日』 風景画に年紀[1473,8,5] 1474年(22歳)、継母:フランチェスカ、 おそらく産褥熱で死亡。 1475年(23歳)3月6日、ミケランジェロ生まれる。 父:セル・ピエロ、マルゲリータと結婚。 レオナルドを中心に『キリストの洗礼』に着手。 1476年(24歳)4月9日、ヤコボ・サルタレッリをめぐる 男色行為で告発される。 6月7日、サルタレッリ事件の再審、同文書に、 レオナルドがヴェロッキオ工房にいるとの記述。 12月26日、最初の義母弟アントニオが生まれる。 1478年(26歳)1月10日、ヴェロッキオ宮殿 サン・ベルナルド礼拝堂の祭壇画の依頼。 3月16日、同祭壇画の手付金として35フィオリーニの前払いを受ける。 12月、「1478年12月、2点の聖母像にとりかかった」 『ブノワの聖母』か? 1479年(27歳)12月28日、パッツイ事件の逃亡犯 ベルナルド・ディ・バンディーノ・バロンチェッリの処刑、 レオナルドは、これをスケッチし特徴を記入。 1480年(28歳)、父:セル・ピエロによる税申告書、 レオナルドの名が無い。セル・ピエロはフィレンツェの ギベッリーナ通りに事務所をかまえている。 1481年(29歳)3月、『東方三博士(マギ)の礼拝』 サン・ドナート・ア・スコペート修道院より注文。 7月、同契約書締結。 8月、サン・ドナート・ア・スコペート修道院、 薪や丸太、小麦や葡萄酒をレオナルドに与える。 (写真撮影:ほしのきらり) (参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより) レオナルドにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.07.06 00:10:11
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