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カテゴリ:布教講演
日寛上人について 理境坊住職 小川只道御尊師 宗祖本仏義を鮮明に つづきです。 これは余談になりますが、五十二年当時、創価学会のはうではいろいろなことを言いましたが、この本因本果につきましても、池田大作がいろいろ言っております。文書になったものもあれば、ただ話しただけで、文書とならなかったものもあります。つまり、創価学会を本因本果に当てはめると、戸田さんの時代は牧口さんが本果で、戸田さんが本因である、自分(池田)の時代は、自分が本因で戸田さんが本果だと、自分が本果で理事長以下、当時の副会長が本因であるということを言っていることもあります。 それから、さきほどの三徳の問題、これは人に言わせているんですが、池田会長が三徳具備の仏であると言っております。他にも、皆さんもご存知だと思いますが、「本門弘通の大導師」等と言っているわけであります。五十二年のときは、今回の問題と違う点は、あの頃はいろいろな面において会長本仏論、会長本仏義を教義的にも思想的にもそういうものを固めていくことが一つあったと思います。 いろいろな理由づけで、大聖人様の仏法を全部すり替えて会長本仏というものを教義的に作っていく作業がありました。 それを、当時日達上人をはじめ、宗門の僧侶方、法華講の人々ががんばってそういったものはつぶしたわけです。 そして池田大作も謝りにきた、その内容を私も日達上人から断片的に伺ったことがございますが、一つの理由が、ここで創価学会を解散させられると五千人の職員が路頭に迷うということも言っているんです。ですからそれを避けていただきたいと、謝ってきた。それが一つの理由です。 他にもいろいろありますけれど、その後、会長辞任という形で収束を得て、日達上人も許されて、その問題を治めて今の猊下にお譲りになったというお話で、今の猊下もそのことを受け継がれ、はじめは創価学会を信じられて池田を総講頭にもなされたわけですけれど、結局、そのとき謝ったけれども、彼の体質としては今に見ていろということを思っていたのでしょう。 その後、あの時はお金がなかったのですが、最近脱会した方はよく御存知だと思いますが、その後の異常な財務の集め方で今回そういうお金もたくさんたまったわけで、これで再び反抗してきまして、今回宗門のほうからいろいろ質問したところが、すべてこれに反抗して、もう自分たちだけでやるということを計画していたのではないかと、今考えるとそう思えるわけです。 ですけれども、結局五十二年当時にもそのまま突っ走っていれば、今日と同じ様な状態になったと思います。一応謝ってこられたから、そういう点において御法主上人も許されたと思うのであります。 それはともかく、本因本果については仏の法体に当てはめて言われる教義ですから、信徒について当てはめるのはとんでもない増上慢であろうと思うのであります。 更に第四番目には、大聖人様の一生の振舞いが大慈大悲の振舞いであるということを示されたものです。 『開目抄』に 「日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・おそれをも・いだきぬべし」(同 二〇二頁) と。あるいは『報恩抄』に 「日蓮が慈悲廣大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが(流布)るべし」(同 三二九頁) と仰せになられています。 こういう御文から、大聖人様がそうした難を忍ばれたのは、御本仏としてのお振舞いであることの証明とされたわけです。 「日蓮は大難四箇度、そのほかの難は数知れず」 と仰せです。大難というのは、小松原の剣難、伊豆の御配流、竜の口の法難、佐渡の御配流で、そのほかに念仏の衆徒が押し寄せて来たり、草庵の焼討ち等があります。そういう難を忍ばれて仏の境地を得られた、これはすべて末法の衆生を救わんがためで、そのために仏としてのお振舞いを示されたのであるということを言われているのであります。 第五番目には、日蓮大聖人様という名称は、仏の別号であるというふうに言われています。 『開目抄』に 「世尊は実語の人なり故に聖人・大人と号す」(同 一九一頁) と。仏は、聖人、大人、そういう人であると。宗門の古来の文書を見てきますと、日興上人でもまだ大聖人という言葉は使われていないんです。日蓮聖人という言葉を使われているのです。 三位日順の書に一つだけ大聖人という言葉が出てまいります。これはちょっと他の書き物では出てまいりませんで、一カ所だけですので、誤写等の間違いではないかとも思っております。 ですから、大聖人様といってきたのがいつ頃からかということは歴史上の問題ではありますが、大聖人様のこの『開目抄』の御文の、聖人あるいは大人と号す、これを両方併せれば大聖人ですから、大聖人という呼称は間違いではないわけであります。 九世の日有上人の御言葉の中でも、まだ大聖人という言葉は出てこないと思います。今日では、私共も皆さんも大聖人という呼称を使っているわけですけれど、こういう点も日寛上人がきちんとまとめられたということが言えると思います。 このように日蓮大聖人を末法の御本仏であるということを整足されたことが、日寛上人の教義の一番大きなことであると言えると思います。もちろん、新たに発明したなどということではなく、すべて大聖人様の御書、日興上人の御言葉など、そういうものを集められて、大聖人様の御真意を顕揚し、法門を確立なされたのであります。 けっして古来の宗門の伝統教学を踏み外したということはないのです。そういうことをふまえて教学の振興に努められたという点において、素晴らしい意義があると思います。 (大白法370号) つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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