事実上の国立戒壇2
浅井会長が次のようなことを云い出さないか心配です。(笑)「事実上の国立戒壇とは決してゴールインを意味するものではない。なにか終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思う。……国立戒壇は、流れの到達点ではなく、流れ自体である」<(T◇T)>うぉぉぉぉぉ!!!おいらはの意見としては(浅井会長の過去の発言風に)六千万人が顕正会に入信したら、事実上の国立戒壇と言うならば、浅井会長のこの論法は、広布の達成すなわち「終着点」を曖昧(あいまい)にするために云い出したものである。(笑)広宣流布には厳然と終着点がある。すなわち「日本一同に南無妙法蓮華経と唱へ」て「勅宣並びに御教書」が申し下されるその一時点こそ、終着点であり、戒壇建立の時なのである。これをごまかそうとするから、日本一同にとも言わず、また残り半数近くの不信者には触れず、「事実上の国立戒壇」などといい、「いずれ時が来たら、詳しいことを申します。」となるのである。_( ̄▽ ̄)ノ彡☆ばんばん!