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以前、自由な茶寮掲示板において、会長は世間からみると代表取締役社長であり、説明責任を負うとの書込みがあったが、おいらも当然そう思う。
会長を社長、会員を社員、消費者を対象者?に置換えて読んでみてください。 (表現が悪いかも知れません。ご容赦願います) 例えば、世間に於いては、問題があった場合、どうしても責任者の情報開示、説明責任が求められる。 ところが、社員は社長想いで、ひたすら社長さんのことを信じており、説明責任を果たしている、または、深い考えがあり社員に対して、いちいち細かいことまでは、喋らないのだと思っているようだ。 しかし、本当にそのとおりなのだろうか? 世間では、牛肉・産地偽装等のさまざまな問題がおこり、消費者に対する嘘は、一部上場の企業とはいえ、即、企業存亡に関わるようになってきているのです。 もちろん、会社の財務状況等を社員に心配かけないと、語らない社長は居られるかも知れません。 ですが、消費者に対し、ニセ物を売っているとの風評が流れた場合でも、それでも沈黙している社長は、責任を果たしているのでしょうか? 責任逃れだと思いませんか? 堂々と、世間に対し、「うちの商品は、偽装などしていません」と、説明すべきではないですか? 万一の場合、被害を被るのは消費者です。実際に購入するのは消費者です。 さらに社員は偽装商品を消費者に売りつけた精神的な苦痛はいかばかりか。 本来、社員が営業しやすいようにするのが、社長でしょう? 自社の商品に対し、様々な疑難がでてきた場合には、その社長は、確実な製造元、仕入先、商品数を堂々と公表することが、それが、社員・消費者に対して、誠実な対応ではないのでしょうか? ましてや、製造元からそんな商品はないといわれているのですから・・ 社員のみなさんが、社長を信じるのは勝手ですが、それによって大きな被害を被る人もでてくると認識しましょうね。 社長のこれまでの生き方ではなく、現在の社長をみて、世間では判断するのですよ。 「世法即仏法」ではないのですか? 顕正会員のみなさん、おいらが言いたいこと分りますか? 大聖人様は 「まことのみち(道)は世間(せけん)の事法(じほう)にて候(そうろう)。(中略)やがて世間の法が仏法の全体と釈(しゃく)せられて候」(白米一俵御書・御書1545頁) と仰(おお)せですよ。 現実社会の私たちの生活のなかに仏法の真理があることを仏様は教えられている ( ̄。 ̄)そ(  ̄。)う(  ̄)な( )ん( ̄ )で(。 ̄ )す( ̄。 ̄)よ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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