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カテゴリ:やさしい教学
小松原の法難
「きたぞー阿弥陀さまの敵 日蓮がきたぞ」 夕ぐれの木立に、すごみのある声がひびきました。 よろいに身をつつみ、刀や槍をもった兵士たちが木の陰にかくれて日蓮大聖人の一行を待ち伏せしているのです。 なんとその数、数百人。日蓮大聖人の一行はわずか十人です。弓矢をかまえている者もいます。強そうな者ばかりです。 「よし!長年のうらみ、今こそはらしてやるぞ、覚悟しろ日蓮、今日こそ首をはねてやる」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ここは、安房の国・小松原(現在の千葉県鴨川市)。いまから約七百三十年前の文永元年(一二六四年)十一月十一日のことです。 日蓮大聖人はひごろから、法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱えなければぜったいに幸せになれない。それいがいの教えは、人々を不幸にするものである、と説いていました。 とくにそのころ盛んだった念仏の教えは地獄に落ちる悪い教えであることを、強く言われていました。 そのため、念仏の信者たちは大聖人をにくみ、いろいろな邪魔やいやがらせをしたのです。 そのなかでも、武士で地頭の東条景信は、十二年前に大聖人様が立宗宣言をされたときから、いつか大聖人様を殺そうと思っていました。そして大聖人様が近くにきたと聞いて、今日こそはと思って、待ち伏せていたのです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「かかれー」 「ウオォー!」 景信のあいずで、いっせいに兵士たちが襲いかかりました。 静かな松林に、とつぜんの襲撃でした。しかし大聖人様はすこしもひるまず、どうどうとされています。すかさず、すぐうしろで鏡忍房が、大聖人様をかばうように前に立ちました。 そこへまるで雨でも降るように、矢がたくさん飛んできて鏡忍房にささりました。 「お師匠様、早くこちらへ」 ほかのお弟子たちが大聖人様をかばいますが、敵は数百人、とても逃げ切れるものではありません。 「まて日蓮、エイ!」 とつぜんうしろから景信が切りかかりました。大聖人様は手にしていた編み笠でそれをはらいのけましたが、景信の刀は大聖人様のひたいを深く切りつけていました。大聖人様のひたいから血が流れ出しました。 一行はいよいよあぶなくなりました。 しかし大聖人様は 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」 とお題目を唱え、落ち着かれております。 そのときです。 「お聖人様ー、大丈夫ですか、吉隆ただいま参りました!」 敵をかきわけて進んできたのは、強信者で近くの工藤吉隆でした。 「お聖人様、申しわけありません。おまねきしたばかりに、こんなことになって。私が命にかえてお守りいたします。」 家来を引き連れてきた吉隆たちは必死で戦いました。右に左に敵をはらいのけ、なんとか大聖人様を安全な場所へ、そして自分はふたたび敵と戦いました。 やがて小松原に日が沈んで暗くなり、ようやく静かになりました。 「ざんねんだ、もう少しのところで日蓮ににげられた。それにしても、なぜ、わずか十数人なのに殺すどころか、こちらが大勢ケガをしたのだろう、ふしぎなことだ」 景信と兵士たちはがっくりしながら逃げるように去っていきました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「お師匠様、ざんねんながら工藤殿と鏡忍房が亡くなりました。でも最後までお題目を唱えておりました」 弟子の一人が大聖人様に報告しました。大聖人様は、ひたいを切られたほかに左手を骨折するという重傷を負っていましたが、自分のことなど気にもされず二人の死を悲しまれました。 お供の者たちも悔しがって泣き出しました。 そこで大聖人様は 「二人が亡くなったことはざんねんなことだが、これは法華経の経文のとおりのことです。正しい信仰にはさまざまな難がおそってくるのです。この大難と戦って亡くなった二人は必ず仏様のもとに行かれます。そして法のために命をささげたことはいつまでも永く人々にたたえられるでしょう」 と言ってみんなをはげまされました。 大聖人様は、鏡忍房を手あつく葬り、工藤殿には『妙隆院日玉上人』という法名をつけて、ていねいに葬儀をおこなわれたのでした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ この小松原の法難は、武器らしい武器を持たない僧侶や信徒が、かねてじゅんびをしていた数百人の兵士の襲撃をうけながら、二人の犠牲はありましたが、大聖人様の命までおよばなかった不思議な事件でした。 また、私たちは仏法を守るために苦難と戦うこともあるのです。 御本尊様を心から信じ、しっかり唱題をして広宣流布のお役に立つ立派な人間に育っていきましょう。 (大白法第392号より転載) *************************** おいら、打ち込みしながら、泣けてきました。御在世の信徒はやっぱりすごいなぁ~ おいらだったら、どうだろう?とても、いまの信心では・・・ねぇ(笑) 唱題、がんばろう!っと。 しかし、顕正会の時に教えてもらったのと違うところが、大聖人様が工藤吉隆殿をていねいに葬儀をしたとは、顕正会の書籍「南無日蓮大聖人」にものっていなかったなぁ~? あれ????(-"-)???? たしか、会長さんは、『顕正会においては戒名などは要らない。御在世に立ち還って、俗名のままでいきたい。御在世には戒名などはなかったのであります。』 ・・って違うだろ(笑) (*~▼~)ノ☆(;>д<) 『富士の清流の地下水に達した』ほどの教学の持ち主が、大聖人様が、法名(戒名)つけていたことを、知らないとは・・・・ 顕正会員の皆さん、会長さんの己義の破折文は、くーまんさんのブログを読んでね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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凄い いつ読んでも 鏡忍房様と工藤吉隆様 には …言葉になりません…(;_;) こう ありたい と
(2007年12月30日 21時42分07秒)
『抜け参り』も『小松原の剣難』も本当に、ここまでの信心をさせていただけるようになりたいと思う目標です。
とっさの時の信心が、日々の積み重ねの答えになるんですね。 気を引き締めて、頑張らねばです。 (2007年12月30日 21時49分51秒)
源遠長流さん、コットンあめさん
>こう ありたい と >とっさの時の信心が、日々の積み重ねの答えになるんですね。 う~む、やっぱ、日々の積み重ねしかないですよね。 (2007年12月30日 22時49分10秒)
YouTudeの動画で「日蓮」がUPされていて見たのですが、細かい所は色々と?て思う部分もありましたが、大聖人様の生涯は凄いてしか言えない思いでした。
さすがは、浅井会長! >『富士の清流の地下水に達した』ほどの教学の持ち主が、大聖人様が、法名(戒名)つけていたことを、知らないとは・・・・ 時におおじてご都合主義に走る姿は、さすが~としかいえませんね。 襲われる法難! なにか、某会館で起きた事を、そのうち法難とか言い出しかねませんね。 それにしても、襲撃する準備をして、学会本部を襲撃した?(デモ行進?)のって、景信=浅井会長側て感じてしまいましたね。 (2007年12月31日 05時51分12秒)
由依子さん
コメントありがとね。 >お題目を、いつ何時も忘れないでいたいなぁ。 >まだまだ、です(ヘ;_ _)ヘ 皆、まだまだです。共に成長していきましょう。 これからです。 (2007年12月31日 18時48分36秒)
山門入り口さん
>襲われる法難! >なにか、某会館で起きた事を、そのうち法難とか言い出しかねませんね。 >それにしても、襲撃する準備をして、学会本部を襲撃した?(デモ行進?)のって、景信=浅井会長側て感じてしまいましたね。 ----- まさしく、私もダブってしまいました。(笑) 顕正会って、当時の念仏の信徒にやっぱ近いですよね。 暴力的だし、人のせい(なんでも学会の謀り)にするし。(笑) (2007年12月31日 18時55分38秒) |