こんにちは。 スティッキー少尉です。
Yahoo!ニュース [<ポーランド> 北東部に 「パトリオット」 配備 ロシアは反発 5月27日18時17分配信 毎日新聞](URL: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100527-00000058-mai-int) より引用しました。(2010年5月27日のニュースです)
(以下、引用部分)
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ポーランド北東部モロングに米国の地対空迎撃ミサイル「パトリオット」が初めて配備され、26日に歓迎式典が行われた。パトリオット配備は、ミサイル開発を進めるイランからポーランドや欧州を防衛するためとされているが、モロングはロシア西部の飛び地カリーニングラード州から約60キロと近接しており、ロシアは不快感を示している。
〔中略〕
一方、ロシア外務省はこれに先立ち、「このような軍事活動は地域の安全強化や信頼構築に役立たない」との声明を発表した。
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(以上、引用部分)
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2010年4月10日 ワルシャワ (ポーランド) から 「カチンの森事件」 の追悼式のため、スモレンスク (ロシア) に向かっていたポーランド政府専用機 (ツボレフ154) が墜落し、カチンスキ大統領夫妻等97人の搭乗者全員は死亡した。
「カチンの森事件」 とは、1939年9月、
ナチス・ドイツとソ連 (現在のロシア) から占領を受けた、ポーランドの将校や軍人、民間人の捕虜、消息不明者等約25万人の内、約22000人の同国軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者などが、(第2次世界大戦の最中に) ソ連のグニェズドヴォ近郊の森で、同国の内務人民委員部 (NKVD) によって銃殺された。という事件です。
1941年にナチスドイツとソ連の戦争 (独ソ戦) 勃発後、ポーランド (ロンドンの亡命政府) はソ連と和解。 (和解後) ソ連は、ポーランド人捕虜を全員釈放したが、行方不明となった捕虜の10分の1にも満たなかった。1943年2月に、ドイツ軍はカティン近くの森 「山羊ヶ丘」 でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見。
そのドイツ軍による遺体発見前は 「スモレンスク (ロシア連邦西方の都市) 近郊のグニェズドヴォ村では、1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ、銃殺された」 という噂もあったと言われております。
日本でも 「捕虜」 といえば、「シベリア抑留」「撫順戰犯収容所」 などのことがドキュメンタリー番組で放映されている。
捕虜ではないのだけれども、日本でも、北朝鮮による 「拉致被害者問題」 が未だ解決していない。
また、日本へ来訪した後、居座り、終戦時に 「
朝鮮進駐軍」 として、日本国内で略奪、暴行などをはたらいた、在日韓国人・在日朝鮮人 (特別永住者) らのことを 「日本の強制連行の被害者である」 などと、間違った表現を喧伝する団体もある (通説では 「
民団」「
総連」、及びその団体へ債務がある個人・企業による団体)。
2010年4月10日、ポーランド政府専用機 (ツボレフ154) の墜落で死去された方々のご冥福を祈るとともに、ポーランド、ロシアの両国が戦争とならないよう期待します。しかし、その気持ちとは裏腹に、懸念が生じるようなニュース報道も2010年5月27日ありました。ポーランド北東部モロングで、米国の地対空迎撃ミサイル 「パトリオット」 が初めて配備されたようです。「パトリオット」 の配備に対し、ロシアは不快感を示しています (詳細は、上記ニュース記事引用部分を参照して下さい)。
リンク元 | 哨戒艦船沈没事件 関連ニュース等 (一部)
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