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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2022.03.19
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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法

《憲法典による基本的人権保障の狙いが,立法に優位し,立法を拘束することにある以上,「基本権制限の制限」条項が憲法典に内蔵されておかねばならない》(阪本昌成『憲法2 基本権クラシック』(有信堂)[全訂第3版]、p. 63)

 <憲法典による基本的人権保障の狙いが,立法に優位し,立法を拘束することにある>と考えるのがどこまで妥当なのかは扨て措き、一旦そうだとすれば、<「基本権制限の制限」条項が憲法典に内蔵されておかねばならない>という阪本氏の主張は理解できる。

《「公共の福祉」(public welfare)にいう「公共」(public)とは,統治権力に関係する,②多数者にとって,③社会にとって,④公益に必要な,⑤n人(誰)にとって,共通の,といったさまざまな意味をもつ,要警戒語である。また,「福祉」(welfare)とは,「よい状態」(wellbeing)を指すとはいえ,「よい」という指標には,善,正,幸福等々無数がある》(同)

 以前、私も指摘したように、<公共の福祉>という言葉が具体的にどういう意味であるのかははっきりしない。恐らく憲法の専門家の間でも、論者によって区々(まちまち)であろう。

《人のルースな集まりを指すpublicを「多数/少数」「強者/弱者」に分断して,一方に対して憲法的保護を与え,そのぶん,他方の保障水準を相対化しようとすることは正しい理解ではない。なぜなら,この法的な分類は,第1に,可動・可変的であるはずの人間の地位を固定化して既得権とするおそれがあり,第2に,帰責事由としての自由概念を掘り崩すことになり,第3に,不動の識別基準をもたないだけに,結託する集団の声を政治過程に過剰代表させがちとなろうからである》(同、p. 64

 public welfare とは、「社会の多数派の利益」という意味でもなければ、「社会的弱者の保護」という意味でもない。もしそうなら、そのように書かねばならない。<公共の福祉>は、具体的な誰かないしは集団を想定したものではなく、もっと一般的なものでなければならないということだ。

《「公共の福祉」条項は,国会に対して〈法律の制定にあたって,この普遍的ルールとなるよう条件を満たせ〉,〈基本権を制約するには,法律という法形式によるだけでは足らず,憲法上,正当化されねばならない〉と指示している》(同、p. 65

 国は議会制定に際し、<公共の福祉>を根拠に基本権に制約を課す場合、憲法上の正当性が問われるということである。

《「公共の福祉」は,国家機関が「立法その他の国政」に従事するさい,〈ある人の基本権行使を法律によって制限せざるをえない場合,その法律は,誰に対しても等しく適用されうる,一般性・普遍性・抽象性という形式を満たさなければならない〉と,国家,なかでも,議会の法律制定権を統制しているのだ。だからこそ,公共の福祉というフレーズは,「制限の制限ルールである」,「法律の留保とは異なって,立法権をも拘束する」,「国家が基本権を制限するには,憲法上,正当化されねばならない」(同)






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Last updated  2022.03.19 21:00:07
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