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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2022.03.31
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テーマ:憲法議論(166)
カテゴリ:憲法

《アメリカにおけるプロテスタントの重要な意味は、それが、もともと自発的に結成される分派(セクト)だったという点である。これは、アメリカに向けて脱出したピューリタン諸派が、イギリスの国教会と対立したいわば非正統派だという歴史的経緯を踏まえれば当然のことであろう。

 こうして制度化され位階化された国教とは区別された分派(セクト)が、アメリカにおいて、相互に対等の「教派(デノミネーション)」を作ることになる。そしてここに、アメリカ憲法にも記されている政教分離の意味もある。政教分離(Separation of Church and State)とは「政治と宗教の分離」ではなく、「国家と教会の分離」なのである。

 だから、大統領就任式が牧師を前にして聖書に対して誓約し、さらには賛美歌まで歌うことからもわかるように、決して厳密な意味で政治と宗教が分離されているわけではない。そうではなく、国家が特定の宗教を立て、また支援すること、つまり端的にいえば国教会制度を禁止しているということである。

 イギリスの国教会だけではなく、ローマのカトリックにせよ、ルター教会にせよ、東方正教会にせよ、ヨーロッパの代表的なキリスト教が多かれ少なかれ国家と結びついてきたところをみると、アメリカの「政教分離」は、キリスト教会制度の中でもむしろ例外的というべきだろう》(佐伯啓思『新「帝国」アメリカを解剖する』(ちくま新書)、pp. 173-174




 西洋概念における「政教分離」とは、「国家と教会の分離」であって「政治と宗教の分離」ではない。政治の場から宗教的なものを一切排除するということでは決してない。

《神は背後に存在する。しかし、具体的な宗教のかたち(教会や教派)を決定するのは国家である。こうして、宗教(教会)に対する世俗権力の優位を確立したわけです。ですから、宗教的内乱で互いが殺戮(さつりく)し合う当時の状況下で、ホッブズのこの議論も、ピューリタンの側からも国教会の側からも引用できるような論理になっています。

 しかし、国家が絶対的権力をもって宗教(教会)を抑えるという意味では、事実上、イギリス国教会の立場に近いでしょうね。従ってホッブズの国家を簡単に政教分離などということはできません。宗教をかりに、内面的信仰と儀礼的組織性(教会)に分けるなら、内面的信仰と政治は分離しますが、教会と政治は決して分離していないのです。

 ホッブズの『リヴァイアサン』の本には口絵があって、王冠をかぶった巨人のような人間の半身が描かれ、丘陵地に姿を現しています。

 手前には教会もあります。よく見ると、この巨人を構成しているのは一人ひとりの小さな人間たちです。人々が寄り集まって、王冠をかぶった巨人をつくっている。この王冠をかぶった人間は右手に剣をもち、左手に教会の司祭がもつ杖を携えています。これはもちろん、リヴァイアサンの主権者を示しています。

 これを見ても、ホッブズの論理からは簡単には政教分離など出てこないのです。少なくともホッブズが描き出した近代的主権国家は、あくまで宗教的背景があってはじめて形成されるものなのです》(佐伯啓思『西欧近代を問い直す』(PHP文庫)、pp. 138-140







(参照:ウィキペディア:リヴァイアサン (ホッブズ))






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Last updated  2022.03.31 21:00:08
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