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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
大窪 僕は、明治国家の原則は祭政一致だったと思うんです。しかし、その祭は、決して復古神道の祭ではない。そうではなくて、儒学的合理主義の神観念を基盤にしながら、新しい近代国家に適応するような祭祀(さいし)の体系をつくり出した。形式としては復古神道を使っているけれども、中身はかなり違うと恩うんです。(三上治×富岡幸一郎×大窪一志『靖国問題の核心』(講談社)、p. 44)
大窪 天皇そのものも相当違うものであって、あれは、祭祀(さいし)王と政治王が一致するという形で古代の王権に戻っているように見えるけれども、実際には決してそうではなくて、近代的なものです。そのへんのつくり方のうまさというのは明治国家は絶妙で、きわめてユニークな祭政一致の近代国家をつくったのではないかと思います。(同、pp. 44-45) 大窪 政教分離、祭政一致についての明治政権の考え方が明治15年ぐらいに変わるんです。それまで神祇官(じんぎかん)のほかに教導職というのが置かれていて、神祇官は国家の祭祀をするんだけれども、教導職は神道の鼓吹(こすい)をしていたわけです。そのときにはまだ神道国教化の動きも強くて、政教一致と祭政一致が混同されたような状態があった(同、p. 46) 神道には、西洋のキリスト教のような「権力」はない。だから、<政教一致>のような「権力集中」にはなりようがない。大窪氏の言うように、明治政府は、祭祀と政治を一元化、一体化させた<祭政一致>を目指したと言うべきである。 大窪 あるところから、もうそれでは近代国家はできないということにはっきり気がついた。ですから、神道国教化はしないと。それに代わって、皇室に対する崇敬の国民感情を精神的な統合の基盤にして、祭政一致の近代国家をつくっていくという方向になったのは、憲法と皇室典範の2本立てで典憲体制をつくっていこうとする過程の明治15年から17年あたりの行政改革においてのこと(同) 西洋流の「国家と教会の分散」は、権力の分散を目指すものであるから、明治期の<祭政一致>がこれに抵触するはずもない。神道を宗教権力であるかのように「国家神道」と言い換え、戦前が悪しき<政教一致>の状態にあったかのように非難するのは間違っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.04.01 21:00:06
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