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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
《信教の自由は、信じない自由をもふくむといっても、ある宗教を信じない自由を意味するにとどまり、無宗教の自由を説いたものではかならずしもないことが、明らかだろう》(小林昭三『日本国憲法の条件』(成文堂)、pp. 129-130) <信教の自由>とは、「宗教選択の自由」ということであって、「宗教からの自由」つまり<無宗教の自由>を説いたものではないということである。 《つまり、信じる自由こそが、信教の自由にとって本質的な自由だった。とはいえ、なにを信じるのも自由だといっても、信教の自由を殊(こと)のほか主唱した人びとの脳裡にあったのがキリスト教の世界だったことは、注意していい》(同) <信教の自由>とは、西洋産の思想であるから、キリスト教圏の話であることは疑いようもない。 《このような信教の自由の確認と保障では、だから政治生活からの強い影響力排除に主眼が置かれたのであって、政治的・社会的生活への宗教の影響のことがまったく否定される、というのではなかった》(同) ここが重要な点である。<信教の自由の確認と保障>は、宗教が政治に対し大きな権力を行使するのを嫌ったのであって、政治から一切の宗教色を排除しようとしたものでは毛頭ないということである。 《このような影響のことが考えられ、むしろ当てにされていたふしも見えた。つまりは、宗教の重要性がみとめられていたということなのだ。そのために、宗教の世界が現世の政治的葛藤にまき込まれて汚染することがないよう、配慮された。それは、いってみれば神の純粋化の試みだった。 神の純粋化の試みは、宗教的権力支配の後退をきっかけとし、宗教政治拒否の動きにたいする宗教固有領域の自衛を意図するものであった》(同) 宗教が自らの生き残りを賭け、小林氏言うところの<神の純粋化>を目指したということである。<神の純粋化>ということについては、別の考察が必要だろうが、先を急ごう。 《もともと、政教分離の原則には聖俗分離の近代版といった側面があった。すぐれて世俗的な近代的の政治生活と聖なる宗教の領域との明確な区別の要請が、政教分離の原則になった。“カイザーのものはカイザーへ、神のものは神へ”という言いまわしで言われてきた、世俗と聖域とを分ける二元論は、もとはといえばイエスを陥いれようとする質問にたいするイエスの答えだった。左か右かをはっきり答えさせようとしたのにたいし、どちらかを選んだのではなく、別別の尺度を当てはめてそれぞれの正当性をみとめる、という答え方をしたのだった》(同、pp. 130-131) <政教分離>とは、俗世間で見れば「政治権力と宗教権力の分離」であるが、「政治権力と宗教権威の棲み分け」と考えれば<聖俗二元論>として捉えることも可能だということである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.04.03 21:00:07
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