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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
《明治憲法の末期において、神社国教制の強化とともに、優位に立った神社は、しだいにより攻勢をとり、「神社は宗教にあらず」というような実際便宜的ではあるが、不正確な命題を捨て、神社が宗教であるとの主張を真正面に出しはじめた》(宮沢俊義『憲法II』(有斐閣)[新版]、p. 350) <神社は…神社が宗教であるとの主張を真正面に出しはじめた>と宮沢は言うけれども、<神社>とは人物のことではない。では、一体誰がこのような主張をやり出したのだろうか。「どこの誰が」が抜けた話は何とでも言える。宮沢の怪しさがこういうところに窺(うかが)われる。 《神社は宗教である。それは、天皇の宗教であり、したがって、国民の宗教でなくてはならない。それでこそ、日本は「神国」なのである。日本人は、だからすべて神社を信仰しなくてはならない。それ以外の宗教は、すべて異端であり、日本では存在を許されない。こういう見解すら強くなった》(同) 「神社は天皇の宗教である」などと事実に則さないことを<神社>側が言うはずがない。恐らくこれも宮沢の「藁人形論法」であろう。実際にはなかったことをさもあったかのように捏(でっ)ち上げ、これを叩く戦法である。言うのも面倒だが、<神社>は施設であって宗教ではない。だから、「神社は天皇の宗教だ」などと言うはずがないのである。 「日本は神国である」というのはその通りなのであるが、論理が無茶苦茶である。「日本は神国である」のは、神社が天皇の宗教であり、国民の宗教だからではない。日本は八百万の神々が居られる国だからこそ「神国」なのである。 《この見解は、反キリスト教的であるだけでなく、同時に反仏教的でもある。日本でのキリスト教の歴史も決して短くはないが、仏教の歴史はきわめて長く、仏教徒の数は、国民の大きな部分を占めている。この現実を前にして、神社だけが日本の宗教だと主張して、神社と仏教との不両立を主張することは、実際問題として、多数の国民の支持を得るゆえんでない》(同) わざと誤解させるように書いているのだろうが、宮沢は<神社だけが日本の宗教だ>とは言っていない。<神社だけが日本の宗教だ>と主張すれば、多数の国民の支持は得られないと言っているだけである。詰まり、誰も<神社だけが日本の宗教だ>とは言っていないのにこの言葉だけがさも事実であるかのように我々の記憶の片隅に残る。 事実でないことを知りながら、それを主張すれば「捏造(でつぞう)」ということになるが、宮沢は事実だと誤解させるようにわざと書いているだけであるから「捏造」ではない。が、こんな卑怯な文の書き方をする人間を私は心底軽蔑する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.04.11 21:00:07
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