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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
《ここで、政府は、あらためて「神社は宗教にあらず」という命題をもち出して、かような神社の攻勢を阻止しようと試みた。神社は、なるほど、国民一同の信仰すべきものである。しかし、神社は、仏教や、キリスト教と同列におかれるような「宗教」ではない。だから、神社を崇めることと、仏教なり、キリスト教なり、各自の好む「宗教」を信仰することとは、少しも矛盾しない。戦場で死んだ「護国の英霊」を靖国神社に祭るとともに、これに戒名をつけて菩提寺に葬(ほうむ)ることは、少しもさしつかえない。 政府のかような説明は、その理論的不正確さは別として、当時優勢をきわめていた神社の攻勢に対して、明治憲法でみとめられていた最小限度の信教の自由(?)を保持しようとの意図にもとづいていた》(宮沢俊義『憲法II』(有斐閣)[新版]、p. 350) <理論的不正確さ>と言うのなら、当の宮沢の方が問題であろう。一体宮沢の言う<神社>とは具体的にどの組織・団体を指すのか。<神社>などという抽象的な集団が具体的に<攻勢>を掛けられるわけがない。 政府が「神社は宗教にあらず」と言っているのは、<神社>を優遇することに対する批判を躱(かわ)すためのものであって、<神社の攻勢を阻止しようと試みた>ものではない。 《その限度で、そこでその命題がはたした役割は、それが明治憲法の下で本来はたすべく期待され、そして、現にはたした役割とはちがって、いくぶんでも宗教の自由に対して友好的だった、……というのが言いすぎならば、以前ほど敵対的ではなかった、ということができようと思う》(同、p. 351) <その>、<そこ>、<それ>と指示語を濫用すれば、何が言いたいのかが曖昧になる。この曖昧さを利用して、宮沢は、読者を欺(あざむ)こうとしているのであろう。 《これは、政府の態度が変ったというよりは、神社の地位がそれまでにくらべて非常に強くなったという事情にもとづく。つまり、「神社は宗教にあらず」という、本質的に宗教の自由に対して敵対的であるはずの命題が、神社の攻勢の行きすぎを少しでもおさえる役割を演ずるに至ったほど、明治憲法の晩年には、神社国教論が有力になっていたのである》(同) この辺りの論の立て方も無茶苦茶である。明治政府は、帝国憲法28条の「信教の自由」に抵触しないとのことで<神社>を優遇した。「神社は宗教にあらず」というのが政府の見解だったからである。だとすれば、<神社>が「国教」となるわけがなかった。一体<神社国教論>はどこから出てきた話なのか。 《ここに至って、明治憲法の文字の上ではまがりなりにもみとめられていた信教の自由は完全に死滅した。そして、「神国日本」だとか、「神洲不滅」だとかのかけ声の下に、狂信的な神国主義が、日本を支配した》(同) が、宮沢は、1945(昭和20)年9月28日、外務省において「『ポツダム』宣言に基く憲法、同付属法令改正要点」と題する講演を行い、「帝國憲法ハ民主主義ヲ否定スルモノニ非ス」と述べている。さらに、「現行憲法ニテ十分民主的傾向ヲ助成シ得ルモ、民主的傾向ノ一層ノ発展ヲ期待スルタメ改正ヲ適当トスル点次ノ如シ」として「天皇大権」などに触れているが、「信教の自由」(28条)にはまったく触れていない。 宮沢が変節したのは、GHQが憲法改正草案を提示してからである。戦前、大政翼賛会に関与していた宮沢が、公職追放となるのを嫌ってGHQに寝返ったという話もある。恐らくそういう輩(やから)なのであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.04.12 21:00:07
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