|
テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
現代はふしぎな時代で、信敎の自由が先進諸國の共通の表看板になりながら、18世紀以來の西歐人文主義の諸理念は、各國の基本法にのしかかり、これを制壓(せいあつ)して、これに對(たい)する自由を許してゐないのである。われわれがもしあらゆる宗敎を信ずることに自由であるなら、どうして近代的法理念のコンフォーミティー(服従)からだけは自由でありえない、といふことがあらうか?(「問題提起(日本國憲法)」:『三島由紀夫全集34』(新潮社)、p. 322) <信教の自由>とは、どの宗教を信じようともそれは個人の自由だということである。が、これは独り「宗教」だけに限定された話ではなく「価値観」全般の話でもあるだろう。だとすれば、我々は、西欧人文主義に抑え込まれ自由を奪われていることに対し異議を唱えるべきなのではないかということである。 叉逆に、もしわれわれが近代的法理念のコンフォーミティーからは自由でありえないとするならば、習俗、傳習(でんしゅう)、憤習、文化、歷史、宗敎などの民族的固有性からそれほど自由でありうるのだらうか。(同) <近代的法理念>への服従は余儀なくされる中で、日本の<民族的固有性>からだけ自由であるということは、日本が西欧化するということである。 それは叉、明治憲法の發祥に戾つて、東洋と西洋との對立(たいりつ)融合の最大の難問にふたたび眞劍(しんけん)にぶつかることであるが、敗戰の衝擊は、一國の基本法を定めるのに、この最大の難問をやすやすと乘り超えさせ、しらぬ間に、日本を、そのもつとも本質的なアイデンティティーを喪はせる方向へ、追ひやつて來たのではなかつたか? 天皇の問題は、かくて憲法改正のもつとも重要な論點(ろんてん)であつて、何人もこれを看過して、改憲を語ることはできない。(同) 日本は、敗戦によって、戦前と戦後との間に大きな断層が生じた。伝統文化は否定され、西欧化が図られた。最大の問題が天皇の処遇であった。 天皇のいはゆる「人間宣言」は至當(しとう)であったか? 新憲法によれば「儀式を行ふこと」(第7條第10項)とニュートラルな表現で「國事行爲」に辛うじてのこされてゐるが、歷史、傳統(でんとう)、文化の連續(れんぞく)性と、國の永遠性を斷念し保障する象徵行僞である祭祀(さいし)が、なほ天皇のもつとも重要な仕事であり、存在理由であるのに、國事行爲としての「儀式」は、神道の祭祀を意味せぬものと解され、祭祀は天皇家の個人的行事になり、國と切り離されてゐる。(同、p. 322) そもそも伝統的存在の天皇を青二才の憲法で規定しようなどと考えること自体が畏(おそ)れ多きことなのであり不遜なのである。さらに言えば、憲法草案を書いたGHQは、「天皇何たるか」を理解してはいなかった。天皇は、憲法で定められた権力者であると思ってしまった。だから、天皇の権力を制限すべく憲法が書かれたのである。天皇の最大の仕事が「祭祀」であることなど分かるはずもなかったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.05.02 21:00:07
コメント(0) | コメントを書く
[憲法] カテゴリの最新記事
|