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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2022.05.01
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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法

(第1條と第2條の間の)矛盾は明らかに、第1條に於(おい)て、天皇といふ、超個人的・傳統(でんとう)的・歷史的存在の、時間的連續性(永遠)の保證者たる機能を、「國民主權」といふ、個人的・非傳統的・非歷史的・空間的槪念を以て裁いたといふ無理から生じたものである。これは、「一君萬民」といふごとき古い傳承觀念を破壞して、むりやりに、西歐的民主主義理念と天皇制を接着させ、移入の、はるか後世の制度によつて、根生(ねおい)の、昔からの制度を正常化しようとした、方法的誤謬(ごびゅう)から生れたものである。それは、キリスト敎に基づいた西歐の自然法理念を以て、日本の傳來(でんらい)の自然法を裁いたものであり、もつと端的に言へば、西歐の神を以て日本の神を裁き、まつろはせた條項であった。(「問題提起(日本國憲法)」:『三島由紀夫全集34』(新潮社)、pp. 320-321)

 天皇の存在は、万世一系の伝統に基づくものであって、ぽっと出の法律に基づく制度ではない。憲法草案を書いたGHQが天皇とはいかなる存在であるのかを十分分かっていたとは思われないので第1条のような条文となったのは致し方なかっただろうが、日本国憲法施行後70年が過ぎようとしている今、日本人のどれくらいがこの条文に違和感を覚えるのであろうか。

 18世紀フランス革命にまで時計の針を巻き戻し、「国民主権」などという黴(かび)だらけの革命用語を復活させ、第1条としたことに戦後日本人は余りにも頓着(とんちゃく)が無さ過ぎだろう。戦後教育によって、子供達に平和憲法などという刷り込みがなされた。が、実際は、日本を非武装化し、二度と米国に歯向かわないようにしたGHQ統治下における「占領統治法」、それが日本国憲法の正体であった。

 われわれは、日本的自然法を以て日本の憲法を創造する權利を有する。

 天皇制を單なる慣習法と見るか、そこに日本的自然法を見るかについては、議論の分れるところであらう。英國のやうに慣習法の强い國が、自然法理念の壓カ(あつりょく)に抗して、憲法を不文のままに置き、慣習法の運用によつて、同等の法的效果と法的救濟を實現してゆくが如き手續は、日本では望みがたいが、すべてをフランス革命の理念とビューリタ二ズムの使命感で割り切つて、巨大な抽象的な國家體制(たいせい)を作り上げたアメリカの法秩序が、日本の風土にもつとも不適合であることは言ふを俟(ま)たない。(同、pp. 321-322

 この辺りは、三島は、わざと西欧の土俵に乗って反論を試みている節がある。が、<権利>云々などと言わずとも、日本は日本の憲法を作ればよい。否、日本は、英国に勝るとも劣らぬ悠久の歴史を有(も)つのであるから、英国同様に「成文憲法」は作らず「不文憲法」の形を採ればよいのである。






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Last updated  2022.05.01 21:19:50
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