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今が生死

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生き方

2020.10.20
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テーマ:幸せの寿命(15)
カテゴリ:生き方
今の日本人の平均寿命は男性81.1歳、女性87.3歳で世界でも有数の長寿国である。しかし実際に人々は何歳まで生きたいと思っているのだろうか?自分で何歳まで生きたいと思ってもそれは自分では決められず神が決めることなのでそのような事の大々的調査は今まで行われてこなかったが、メットライフ生命保険が20~79歳の男女1万4100人についてのアンケート調査を2018年8月に行ってその結果を公表した。年代別に生きたい年齢は異なっていたので年代別男女別にその希望年齢の平均値を示した。それによると20歳台は77.5歳(男78.1、女76.9)、30歳台78.9歳(78.8,79.0),40歳代78.5歳(79.7,77.2)50歳台79.7歳(80.5,79.0)、60~70歳台84.5歳(85.3,83.7)であった。60歳以上になると84.5歳とかなり高い年齢まで生きることを希望していたが50歳台までは79歳前後で80歳以上生きることは希望していなかった。男女別では30歳台を除いて他の年代では全て男性の方がわずかではあるが長く生きることを希望していた。この調査では老後に対する調査も行っており、老後に不安がある人は男性79.3%、女性84.0%で女性の方が多かった。年代別では20歳台から50歳台まではそれぞれ83.1%、86.2%、87.6%、85.9%と80%を超えていたが60歳台以上は73.6%と老後への不安が少し減じていた。
老後への経済的不安や自分の体力の衰え、老醜への不安などから80歳まで生きれば十分と考えている人が圧倒的に多いが、現実は医学の進歩などで平均寿命はどんどん伸びており、自分が生きたいと思っている年齢からかけ離れて行っている。老後はつまらない、楽しくないと思っている人が圧倒的に多い現状だが、実際は80歳以上になっても生きなければならない。老後も楽しいものだという社会風潮を社会としても個人としても確立していく必要があると考える。






Last updated  2020.10.20 21:47:47
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2020.10.11
カテゴリ:生き方
北里大学消化器内科名誉教授 西元寺克禮先生が先日お亡くなりになったという知らせを頂いた。77歳とのことだった。私が40年位前北里大学にお世話になっていた時に胃のレントゲン撮影や胃カメラのご指導を頂いた先生である。九州大学ご出身で北里大学開学と同時に岡部治弥初代教授について九州から赴任した先生である。岡部先生の跡を継いで第2代教授に就任し、後輩を育て学会を主宰し講演なども数多く行って第2の北里消化器の黄金時代を築き病院長もした方である。気さくで偉ぶらず多くの人から好かれていた先生である。心からご冥福をお祈りする。
35年位前に北里大から新設された山梨医大に移ったがその時第一内科(消化器系)助教授で後に教授になった藤野雅之先生にお世話になったがこの6月にお亡くなりになられた。同窓会雑誌にご指導を頂いた多くの弟子達が追悼の言葉を書いていたが改めてその偉大さを痛感した。
この先生方以外にも同僚やお世話になった先生方が数多く亡くなっている。西元寺先生は私よりお若いだけに自分のその時についても考えた。それは人智を超えたもので何時になるか分からないがそれまでどう過ごしたらよいのかを思った。多くの同僚や恩師の死はどのように受け止めたらよいのかも思った。人は何時かは死ぬ。受けたご恩や教えは忘れずに感謝しながら暮らし、自分のその時までは精一杯努力して燃え尽きるのが人生なのかなと思った。






Last updated  2020.10.11 18:54:42
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2020.09.23
カテゴリ:生き方
夏目漱石の小説「こころ」は著者自らが装丁した単行本だが、その見開きに3センチx4センチ位の四角の橙色の印鑑のようなものが押してあり文字はars longa vita brevis と書いてあった。調べてみたら古代ギリシャの医聖ヒポクラテスの言葉をラテン語に翻訳したもので、意味はarsは技術でlongaは長い、vitaは生命でbrevisは短いで「技術は長く生命は短い」のことで、「医療技術はどこまでいってもこれでよいというところはなく、ずっと勉強しなければならないが、人の命は短い」という意味ではないかと思う。しかし近年はarsを芸術と訳し、vita brevis を先に読んで「人生は短いが芸術は長し」の意味でつかわれることも多いとのことである。漱石はおそらく、「自分は後いくばくかで死んでしまうがこの小説はずっと長生きしてほしい」という気持ちで見開きにこの言葉をハンコのように印刷したのではないかと思う。
いずれにしても技術や芸術は一朝一夕で身につくものではない。その間に短くはかない命は尽きてしまう。どうしたらいいのであろうか?私にも努力してきた技術はあるが、命は短く後いくばくかで尽きてしまう。どんなに頑張っても生きている間に完成させることは出来ない。ならば生きている間に漱石のように心をこめた芸術作品をつくり本人は死んでも作品は後世に永遠に残るようにすることがars longa vita brevis ということかも知れない。人生は短く技術や芸術は長い。どんなに頑張ろうとしても人生は限られている。ars longa vita brevis を地で行くためには将来の事はともかく目の前の一日一日を充実させていくことが基本ではないかと思った。






Last updated  2020.09.23 21:26:05
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2020.07.28
テーマ:大相撲(148)
カテゴリ:生き方
昨日まで全勝だった新大関朝乃山が御嶽海に敗れ一敗になってしまった。全勝で並んでいた横綱白鵬は北勝富士を一直線に寄り倒し鉄壁の強さで全勝を守った。負けた朝乃山の顔が印象的だった。こうすればよかったという悔しさが滲んでいた。スポーツは鍛えた体の激突勝負だが精神的な心のゆれが影響を与えるものである。白鵬、鶴竜でも連敗がある。一敗は一敗として平常心で次の試合に臨めればいいが、あれこれ考えてしまって負けてしまうのである。連敗から抜け出すには強い精神力が必要である。朝乃山も今夜は眠れないかも知れない。横綱になるには強固な精神力が必要である。人生にはいい時と悪い時、勝つ時と負ける時がある。「勝って有頂天になるな」の戒めはよく聞きその通りだと思うが、「負けても挫けるな」は通り一辺であまり効果がない。だれでも「なにくそ!!」と思うがその通り一変の励ましの言葉では統一した力が湧いてこないのである。一流の選手や一流の人間は失敗した時の心の処理の仕方を心得ている。「実力がなかったのだ、練習不足だったのだ、運が悪かったのだ」と普通の人は思う。しかしそれでは明日の試合にも勝てない。私は名選手ではなくその反対かも知れないが外野席から本当に強い人の心理を想像することはできる。練習不足などを反省することは大事だが目前の試合には間に合わない。勝負に臨んだら今までのことは一切忘れるのである。「勝てるのだ!」と自分に暗示をかけ、無心で勝負に臨むのである。今も負け続きの人生を歩んでいる(たまに勝つこともあるが)自分に対する自戒の言葉でもある。






Last updated  2020.07.28 22:26:03
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2020.07.19
カテゴリ:生き方
ヤブカンゾウ(ワスレグサ)
世界中の人がコロナウイルスの猛威が早く終わってくれることを願っている。いったん収まりかけたのにまた第2波が襲ってきていていつ終息するのか不安に駆られている。いつかは終息するがそれがいつかは分からない。一般に人々は色々のことに挑戦している。勉強とかスポーツ、音楽、仕事、商売、社会活動などに挑戦し努力しているが全く進歩がなく真っ暗闇の中でもがき苦しみ才能も体力も財力も運もないのでこのまま闇の中で終わってしまうのかと思い諦める。しかし「闇夜は必ず明ける」という諺がある。それは何時明けるかは知れないがいつかは必ず朝になるというものである。私はピアノを習っている。婿殿は私のことを「お義父さんは苦手なことに挑戦しているので日々が大変だと思う。もっと得意なことに挑戦すればいいのに」と言っていたとのことだが自分自身もそう思う。今アベマリアの曲を弾けるように練習しているが譜面を見た時はそれほど難しいとは思わなかったがいざ弾いてみると凄く難しく暗譜(譜面を見ないで弾く)どころでなく全然覚えられなくて同じことの繰り返しで全然進めなくてここ数日人生真暗闇で寝ても覚めても楽しいことは全くなく苦しいばかりであった。本日の午後レッスンがあるが全然弾けないので先生も呆れてしまうだろうと益々重圧がかかってきた。芸能人などが自殺する時はこのような心境だろうなと思った。所が今朝弾いてみたら3分の1位までは弾けた。全曲弾けなくても一部でも弾ければ上出来である。駄目だ駄目だと言いながらも毎日弾いていたら少し弾けるようになったのである。夜明けの光が差してきたのである。明けない闇夜はないということを実感した。コロナの苦しみも闇夜である。明けない闇夜はないので、それを信じてもう少し耐えてがんばってもらいたいと思う。






Last updated  2020.10.08 11:31:36
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2020.07.07
テーマ:自然治癒力!(7)
カテゴリ:生き方
今度新しく就職した病院医局の本棚に「鬼手仏心」と言う本があったので手に取って読んでみた。日本では勿論世界でも極めて高く評価されて最高の外科医の称号を頂いた中山恒明先生の弟子が中山先生の業績や指導をまとめて外科医の教本として書かれた本であった。中山先生は千葉大第2外科教授をへて東京女子医大消化器病センター長を務められた方で、食道がんや胃がんの先駆的手術法を生み出し手術による死亡率を著明に減らし手術症例数も極めて多く神の手と言われた方である。手術が上手で多くの人の命を救ってきた最高の外科医で我々とは違う神のような人と思っていたらその本の最初に中山先生の言葉が載っていた。「医師が人の命を救ったということはない。人の自然治癒力が治すのであって我々はそのお手伝いをするだけである」とのことば、内科医が言うならありえる言葉だが一流中の一流の外科医の言葉だったので驚いた。それは中山先生の信念であり、全ての手術で自然治癒力が働きやすいように考えて手術してきたとのことである。内科医では自分が患者の命を救ったなどと恐れ多いことを言う医者は少ないが、外科医は「放っておけば癌が進んで死ぬところを自分の最高の技術で手術したから助かったのだよ」と言うのかと思ったら全く違っていた。自分が編み出した手術法で手術時間がぐっと短縮され術後経過もよかったが数年経った段階でその手術を受けた人は逆流性食道炎が多いとのデーターを知ると苦労して編み出したその手術法を封印し、逆流性食道炎の人には再手術をして治してやったとのことである。自然治癒力を引き出すために手術したのに術後に合併症や副作用が起きるようなら人体に悪い影響を与えたことになる。そこから再度人体に最も良い手術法を考え始めたとのことである。人のために生きるのが使命と考えていた中山先生はたまたま医師という職業を与えられたので病気で苦しんでいる人のお役に立ちたいという思いで一生を終えられたとのことだ。若い医師達に技術と医療の本質を身をもって教えた中山先生の弟子は多い。中山先生のお心を受け継いで多くの優秀な医者が育っていくことを願っている。






Last updated  2020.07.09 20:57:27
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2020.06.23
テーマ:父親の役割(31)
カテゴリ:生き方
当ブログで以前オバマ前大統領の父親のことを書いたが最初にそのおさらいをしておきたい。オバマ氏の父親はアフリカのケニヤの生まれで奨学金をもらってアメリカのハワイ大学に23歳の時に留学する。その前にケニアで結婚していてオバマ氏の兄と姉がいた。しかしハワイ大学で18歳のオバマ氏の母親になる人と親しくなり結婚してオバマ氏が生まれて2年後にハーバード大学で勉強するといってニューヨークに移りそこで3度目の結婚をして二人の子供をもうけてケニアに帰ってきてケニアで最初の奥さんとの間に新たに2人の子供をもうけた。その後別の女性と同棲して男の子が生まれてしばらくして交通事故で亡くなった。
奥さんとか子供を殆ど顧みなかった父親だが子供はそれぞれ苦労しながら立派に成長した。オバマ青年はハワイ大学卒業後黒人の教育や黒人に仕事を与えるためのセツルメント活動していた。シカゴでその活動をしていた時ケニヤの姉が訪ねてきて父親の話をしてくれた。その時兄がケニアを離れアメリカで暮らしていることを教えてくれて連絡先も書いてくれたので会うことになり二人で食事をした。姉とは初対面だったが兄とも初対面であった。オバマ氏は少年の頃一度その父親に会ったことがあるが兄はその父親にそっくりでびっくりした。兄は自分勝手で子供に厳しいいことをいうだけの父親を憎んでいた。成績優秀で奨学金をもらってハワイ大学に入り、さらにハーバード大学にも入れたのだから頭は相当よかったと思われるが父らしいことは何もしてくれず、ニューヨークからケニアに帰ってきてからは暫く一緒に暮らしたが大統領との対立で仕事を奪われて貧乏になってからは酒ばかり飲んでおり、アメリカから連れてきた奥さんや子供にあたりちらしずっと嫌な思いをしてきた。頭は良かったのだろうが実際の生活は最低でその格差を思い悩んだ。そしてアメリカから連れてきた奥さんは自分が産んだ子供二人を連れて家を出た。父親とアフリカ生まれの二人の兄妹で一緒に暮らしたが怒鳴られるだけで何の喜びもなく二人は家を出た。一人になってから知り合った女性との間に男の子が生まれて直ぐ交通事故で亡くなった。
お葬式にはかなりの人が来てくれたが半分以上はタダでご馳走を食べたりお酒が飲めると集まってきた人達だった。中には「あいつは最悪人だった。これで仇が撃てた」と言いながら酒を飲んでいる人もいた。葬式の席で遺産相続の話がでて赤ちゃんを産んだ最後の奥さんが全部貰いたいと主張したとのことだった。兄(長男)はアメリカで結婚して暮らしていたが今離婚話が進んでいた。「お酒を飲み過ぎる、約束や時間にルーズ、父親に似ている」が主な理由だが、「父親に似ている」が最も答えた。一番尊敬できない人に似ているとは絶望で死にたくなっているとのことだった。
ハワイ大学を首席で卒業し、ハーバード大学にも留学できた文句ない秀才だが実生活では妻や子を不幸にし飲んだくれて最後は交通事故で死んで誰も心から悼んでくれた人はいない。いくら頭がよくても実生活で家族や周りの人々の幸せを願っての行いがなければ最後はこのような終末を迎えるのかなと思った。バラク・オバマ氏は父親と一緒に暮らしたことがないので嫌な思い出はない。頭のよいDNAを受け継いで立派な業績をあげ、大統領就任式で「自分を生んでくれた父親に心から感謝する」と述べており、あの世でその父親は誇りに思ったかもしれないが今度生まれてくる時には頭は悪くてもいいので人に対する思いやりの人として生まれてきてもらいたいと思った。






Last updated  2020.06.23 17:27:42
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2020.06.16
テーマ:父親の役割(31)
カテゴリ:生き方
スパティフィラム
今回もオバマさんが書かれた「マイドリーム」からオバマさんの父親について書きます。ケニヤで2番目に大きな部族の生まれで父親がヤギを飼う仕事をしていたのでそれを手伝いながらイギリス系の高校を卒業して黒人女性と結婚して生まれたばかりの2人の子供がいました。23歳の時アメリカの大学で勉強できる奨学金が貰えたのでハワイ大学に入学しました。そこでオバマ氏の母親になる18歳の女性と親しくなり結婚してオバマ氏が生まれましたが、2年後にハーバード大学に行くと言ってハワイを離れニューヨークで生活し白人女性と結婚(同棲?)して二人の子供を連れてケニヤに帰ってきました。アメリカの奥さんの子供二人と最初の黒人の奥さんの子供二人で子供は合計4人で暮らしていましたが時々最初の奥さんの所にも行って新たに2人の子供をもうけています。アメリカからケニヤに帰ってきた時は外資系のシェル石油などに関わり政府の仕事もしてケニヤ内で重要な地位についていましたが大統領は最大部族出身で彼は2番目の部族出身で部族間の争いがあり、大統領およびその周りの官僚達の汚職が目につき彼は「部族政治は止めよう、部族に関係なく優秀な人が政治に出られるようにしよう」とあちこちで訴えるようになりました。大統領は怒って彼に仕事を与えないように指示したので彼は貧乏になり毎日酒を飲んでアル中になり、子供や妻を顧みなかったので白人の奥さんはその子供2人をつれて家を出て行きました。残された最初の奥さんの子供二人は自立しなけれなならず長男は家を出てどこかで仕事を見つけて別居して暮らしており、長女は勉強ができたので奨学金をもらって父親には内緒でドイツの大学で勉強していました。父親本人は落ちぶれて浮浪者のような生活をしていましたが彼を目の敵にしていた大統領が亡くなり、彼に仕事を与えてはならないとの指令が解かれて再度ある程度の生活ができるようになり家も買えるくらいにりましたのが独り身なのでホテル暮らしをしていました。その間何人かの女性との付き合いがありましたが長続きはしなかったようです。そして最後はケニアで交通事故で亡くなりますが、その直前に男の子が生まれています。オバマ氏を含め子供は全部で8人いましたが誰も父親にかわいがられたという記憶はなく、憎んでいたのではないかと思います。オバマ氏はこの本を書くにあたり父親のことを調べていくうちに懐かしいと思い、父親の夢についてじっくり考えるようになりました。日本人やアメリカ人からみるととんでもない父親ですが、ケニヤではアル中時代の彼を除けば普通の夫であり、父親だったのかも知れません。その子供がアメリカ大統領になりました。母親や祖父母の話でしか知らない無責任の父親ですがオバマ氏は彼からDNAを受け継いています。この本はオバマ氏が大統領になるかなり前に書かれた本ですが自由奔放で何かを夢見ていた父親の生き方が子供に大統領への道を目指させてくれたのかも知れません。息子のオバマ氏は父親とは違って真面目で勤勉で子供を大事にしてくれる人で本当によかったと思います。






Last updated  2020.06.16 14:33:35
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2020.06.13
カテゴリ:生き方
パーフェクトブレインマスターの森田敏宏さんの動画を見る機会があった。森田さんは千葉県に米屋の息子として1965年に生まれた。両親は高卒で親戚縁者20人位いたが誰も大学に行った人がいなかったが潜在意識を書き換えて天才脳を覚醒して東大医学部に合格し野球部に入りエースで主将として活躍し卒業後は循環器内科医として心臓カテーテル治療の第一人者として勤務し大学病院を辞めた後は潜在能力の覚醒講座を開く一方出版やスポーツジム経営、不動産などで成功を収めている人である。
医学部受験を目指したのは小学校5年の時母親を癌で亡くして何とかならなかったのかという失意の中で医学に興味をもったことがキッカケだが米屋の跡を継ぐように運命づけられていたし親戚、近所で誰も大学に行った人はいない。成績もそれほど良くなかったのでそれを口に出したら笑われると思って口には出さなかったが中学生の頃から能力開発について研究し色々な本を読んで天才脳を覚醒して努力したら普通考えたら米屋の息子でそれほど優秀でなかった人間が東大医学部に受かったのだから驚きであった。潜在意識で自分は頭が悪いので成功は出来ないとか音痴だから音楽は上手にならないとか、運動能力が劣っているので野球選手になれないとか、自分はもてないので望むような人とは結婚できないとか、潜在意識に支配されて不満足な人生を送っている人が多い。その潜在意識をブロックして潜在意識を書き換えて潜在能力を覚醒させれば望む通りの億万長者にもなれるし、音楽やスポーツでも成功できるというのだ。森田さんのブレインマスター講座の生徒さんは小学生から81歳の方までおり、老若男女だれでもこの講座で学べば潜在意識を書き換えることが出来る。それは1日10分で充分だとのことである。それを継続することが大切で「できるかできないかではなく、やるかやらないかである」と述べている。実際、潜在意識でこの肥満は体質だからどうすることもできないと思っていた人がそれを書き換えて数10Kg痩せることに成功したり、経済なんて全く分からないと思っていた人が潜在意識を書き換えて投資で何億稼いだり、頭が悪いから大学入試などどこを受けても受かるはずがないと思っていた人がなんと東大に合格したりしている。1日10分でも耳で聞く訓練などして細胞を活性化させていくとのことでそれなりの継続努力が必要だと思われるが、誰でも望むような成功が得られるとはすばらしいことで世界が明るくなった気がする。興味がある方は動画を覗いてみたら如何と思い動画のウェブサイトを記しておく。
http://pb-master.com/prom/blog/






Last updated  2020.06.13 11:47:50
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2020.05.31
テーマ:後悔(4)
カテゴリ:生き方
サツキ
後悔のない人生はないと思う。取り返しの出来る後悔もあるが殆どは取り返しが出来なくて慙愧に堪えないものが多い。後から考えるとこうしておけばよかった、ああしておけば違う結果になっていただろうと思える事々である。それは過ぎたことで今更どうすることも出来ない。しかし時々思い出して悔やむことがある。ああしておけば今もっと幸せだったろうにと思える。先人達は人生の知恵で「過ぎたことは戻ってこないのだからくよくよしないで前を向いて進みなさい」と教えてくれた。しかしその言葉は抽象的で中々後悔の念から抜け出せない人もいるのではないかと思う。そこで私は後悔の念を前進のエネルギーにすることを提案したい。それは後悔の念が湧いてきたらその思いにとらわれないで、自分の目標を思い出してその後悔の念をその目標に注ぎ込むのである。目標がない人は新たな目標を作ってそれに情念を注ぎ込むのである。後悔の念は自分の生死にかかわるような大きなエネルギーを持っていることが多く、それが後悔として内に向かうならその人の人生は暗く退廃的になってしまう。そのエネルギーを新たな目標に注ぎ込むなら爆発的な前進が期待できる。後悔のない人生はない。安倍首相も政策上後悔していることが多いと思う。その後悔エネルギーは新たな目標に注ぎ込んでもらいたいと思う。






Last updated  2020.05.31 11:41:25
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