1758214 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

今が生死

全330件 (330件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 33 >

生き方

2019.09.10
XML
カテゴリ:生き方
自分がそうだからかもしれないが日本人は疲れ切っているように見える。疲れとか不本意な生活からの脱却について自分を例にあげながら書いてみようと思う。
1)家に帰って一人になった時の対策
疲れたとかだるいとかは気の持ちようや気分で決まると思う。日中仕事しているときは夢中で仕事しているので疲れは感じないが家に帰って一人になった時、特に夕飯の後は眠くなりぐったりしてやらなければならないことが殆どできない。食後は眠くなるのは当たり前だから已むおえないかなと思ってきたが、何もする気が起きなくてだらしなくしている自分を見るのは惨めだ。机の上を整理しなければと思ってもその気力が湧いてこない。やらなければならない事が後回になってどんどんたまってしまう。夕食の時家内が必ずビールとかその他の酒を勧める。それほど飲みたいと思わないが折角勧めてくれるので悪いと思って飲んでしまう。それも眠さの原因になっているのかもしれない。対策としては意志を強く持って酒は断り、夕飯の量を減らすのがよいと思っている。
2)朝の目覚め
朝目覚めた時爽やかかどうかが健康のバロメーターと言われるが、私の場合爽やかでないので不健康な状態と思っている。寝具や枕を自分にあったものに変えるとか、寝る前に爽やかな目覚めを祈念して床につくなど工夫してみようと思っている。目を覚ましてから気力が湧かないのでしばらくベッドに横になっていることが多いが、目を覚ましたらすぐ起きて顔を洗って交感神経を刺激した方がいいのかも知れない。
3)日ごろの考え方やモチベーションの高め方
今でも自分の欠点を見つめ成長しようともがきながら生きている。もうその年ならいいじゃないの。のんびり生きたらどうですか。と忠告してくれる友人もいる。しかし自分を見つめ成長しようとするのは若者がすることで老人はしてはいけないということはない。老人でも死ぬまでは生きている。それまでは少しでも成長しようと夢を持って生きていくのが良いと思っている。






Last updated  2019.09.11 13:35:06
コメント(6) | コメントを書く
2019.08.21
カテゴリ:生き方
渋谷の道玄坂で「青春の館」という居酒屋を経営していた友人が何年か前に開店36年目に大きな看板を立てたという手紙をくれたが本日状差しを整理していたらその手紙がでてきたので読んでみた。大きな看板に感謝と夢を与えるような詩文を書いたとのことである。内容は 「素敵な出会いと粋な別れの花舞台、居酒屋青春の館、コンパ予約2000円より承り中、歳を重ねただけで人は老いない、理想を失うとき初めて老いる、頭を高く上げ希望の波をとらえる限り80歳であろうと人は青春にして已む(サミエル・ウルマン青春より)」随分長い文字が書いてある看板で遠くからも見えるようにしたとのことで随分大きな看板を立てたものだと思った。
サムエル・ウルマンの「青春という詩」は以前読んだことがあり、本箱の隅の方にあったので取り出して読んでみた。上記はその抜粋で「歳を重ねた・・」の先には「青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。時には20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。そして歳を重ねただけで・・と続くのである。
自分も歳を重ね引退の時期を考えているが、当に歳を重ねて老いている感じである。この詩によるとそれだけでは老いなくて理想を失った時老いるとのことである。そういえばこの頃理想を失ってきているように思う。歳を重ねても理想を失わなければ老いないとのことなので今からでも失いかけた理想を取り戻し、頭を高く上げて希望の波をとらえて行こうと思う。会館建設についての同意書をもらって歩く過程で人間不信になりかなり落ち込んでいたが、この詩によると青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心とのことである。私は元々気の弱い人間である。怯懦を退けて強く生きて行こうと思う。






Last updated  2019.08.21 14:36:35
コメント(5) | コメントを書く
2019.07.03
テーマ:大相撲(129)
カテゴリ:生き方
22歳で横綱になり、一度も優勝しないまま親方と対立して部屋を飛び出して廃業した北尾さんが2月に糖尿病からくる慢性腎不全で55歳で亡くなった。先日テレビで奥さんとのなれそめや相撲廃業後のプロレスや総合格闘技デビユーや闘病生活などについて紹介していた。我が家では家族で観ていたが、体格や才能に恵まれながら惨めな人生を送られたことに大きなショックを受けた。救いは医師である奥さんが唯一の理解者で終始支え続けてくれたことだが、角界では若くして角界の頂点に立ったからか、「自分は偉いのだ」と付け人たちを苛め、親方に反抗し、自分本位で人のためにつくそうという気持ちのない人だったと思えた。孫たちも一緒に観ていたが、どんなに才能に恵まれ、権威ある立場になっても少しも謙虚でなくいばりまくっていたら周囲からソッポを向かれることになる現実を真剣なまなざしで観ていた。人間的に未熟な22歳の青年を横綱にした相撲協会が悪い。あんなに早く横綱にしなければ天狗にもならなかっただろうし苦労もして人格も磨けただろうに。という意見もある。あまりに早い横綱昇進が北尾さんをスポイルした面もあるかもしれないが、根本は本人の自覚だと思う。お亡くなりになられた方のことをとやかく言うべきではないのかもしれないがテレビを観ての感想は周りに対する思いやりにかけ自分本位で思いあがっていたのではないかと思った。人生の途中で自分に対する内省と他人に対する思いやりにお気づきになられたらもっと違った人生になったのではないかと残念に思いながらご冥福をお祈り申し上げた。






Last updated  2019.07.03 22:24:53
コメント(8) | コメントを書く
2019.06.02
カテゴリ:生き方
プロ野球の東京ヤクルトスワローズがずっと16連敗しており、試合ぶりからみてこのままずっと勝てないのではないかと思われたが今日やっと勝って17連敗を免れた。
選手や監督、コーチの気持ちはいかばかりだったかと思う。人生にも同じようなことがある。仕事や学業、恋愛、教育、健康などで努力はすれども一向に勝ち目がなく、ずっと連敗ばかりの時がある。そのような時はお先真っ暗で絶望して自殺する人もいる。諦めて戦いを止めてしまう人もいる。それらの人は敗残者で人生の落伍者になっていく。人生の勝利者は一握りで他は落伍者と言ってもいいかもしれない。落伍者と勝利者の違いはどこにあるのであろうか?私は使命感があるかないかで決まるのではないかと思っている。野球でもサッカーでも人生でもずっと勝ち続けることはあり得ない。勝ったり負けたりが人生である。その中に連敗があると落ち込み絶望して落伍者になっていく人には使命感がないのだと思う。負け続けていても使命感がある人はかならず復活して不死鳥のようによみがえっている。使命感とは自分はこの世で何をしなければならないかということで例えば選挙に立候補して県や国のために役立とうと思った人がいたとしよう。そこで選挙に立候補するが、当選は想像を超えて極めて困難のことである。落選、落選、落選で連敗が続くのが普通である。そこで諦める人は元々それしきの使命感しかなかったのだと思う。何回落選しようが「自分は絶対国会議員になって、貧困や病気、孤独などで苦しんでいる人たちが幸せになるようにお手伝いしたい」という使命感の人は連敗を乗り越えて最後には当選を手に入れて国会で働いてくれることになると思う。連敗などに落ち込むな、使命があるなら必ず勝利が訪れるものである。連敗に絶望しないで希望を持ち続ける人間になりたいと思う。






Last updated  2019.06.02 22:13:32
コメント(6) | コメントを書く
2019.04.27
テーマ:天皇(18)
カテゴリ:生き方
平成も後3日になりその次の日からは令和になり天皇が交代する。今生天皇は象徴とは何かを常に模索しながら国民に寄り添い国民に尽くすことを信条に災害の慰問や慰霊などに全国を行脚されてきた。これに対して昔から皇室擁護をしてきた識者の中には天皇は外でそのようにご活動していただくなくても皇居内で国民のことを祈って下さっていればいいのだと発言する者もいた。彼らはそのように民衆と同じ目線で同じ気持ちで民衆の中に溶け込んでいる天皇を快く思わず、民衆とは異なる一段高い立場で民衆からあがめられる存在でなければならないという固定観念があったのだと思う。天皇、皇后両陛下にはまったくそのような考えはなかったと思う。行動を通じて国民に尽くしていくことを第一義に考えておられ、国民にこうあって欲しいという姿を懸命に示してきて下さったと思う。権威とか血筋とかには一切関係なくその行動を通じて尊敬を集めてきたと言える。人のために尽くし、他国のために、世界のために尽くす生き方はまさに象徴天皇のあるべき姿で日本人が見習っていくべき生き方だと思う。しかしこのように素晴らしい象徴天皇を頂いてきた日本人の中には天皇のお心に背いて人を欺いたり、傷つけたり、人の物を奪ったりする人達がいる。天皇などおれ達には関係ないと思っている人達もいる。そういう人達は昔の権威主義下の天皇と自分との対比の中で天皇と自分が同一視出来ない人達だと思う。天皇と我々は全く同じである。同じ人間でありながらあのように懸命に人のために生きる姿を見習って天皇のように生きようと思う人が一人でも多くなってくれればいいと思う。昔の天皇観で天皇に会えたら「感激した、もうこれで死んでもいい」などと感想を述べる人がいるが、それは古い感覚で象徴時代の今は「天皇に会えてよかった、天皇の振る舞いや眼差しをみて自分も見習おう」と思うのがあるべき姿だと思う。一人でも多くの人が天皇を見習って少しでも日本をよくしてもらいたいと心より願っている。5月1日以後は一切の公的行事にはお出にならずに完全にご引退なされるという。全力で尽くしてこられて後継にバトンタッチした後は完全に業務からお離れになられるのも潔い姿だと思う。






Last updated  2019.04.30 14:02:11
コメント(6) | コメントを書く
2019.04.04
テーマ:信仰生活(38)
カテゴリ:生き方
昨日テレビで細川忠興の妻でクリスチャンで有名な細川ガラシャの紹介番組を観た。16歳で忠興と結婚したが間もなく実父 明智光秀が謀反を起こして織田信長を討った。当代一の知恵者で人望もあった光秀は準備不足もあってあっという間に豊臣秀吉に滅ぼされ、ガラシャ(玉子)は謀反人の娘として人里離れたところに幽閉されていた。数年後豊臣秀吉の計らいで幽閉が解かれて再び忠興の正室として暮らすことになるが夫が秀吉に従って九州成敗に行って留守の時教会に行って心を動かされキリスト教信者になる。その後秀吉がバテレン禁止令を出して迫害されることになるが、それにも屈せず信仰を貫いたことで後々まで日本だけでなく西欧でも賞賛されている女性である。関ヶ原の戦いのとき忠興は徳川方につき上杉との戦いに出陣して留守の時石田三成は武将の奥方を人質として大阪城に集めることにして細川邸にもやってきた。その時ガラシャは屋敷に火をつけて自害した。御年37歳だった。時代が違うがそれだけの短い人生だったが日本の歴史の中で大変な足跡を残した。ガラシャが多くの人の心をひくのは大変な美人で利発で気丈だったことも要因だったようだ。人質になるか逃げるかして生き延びる道もあったと思われるが、あえて死を選んだのは父明智光秀が主君を裏切り謀反人になったが自分は主人忠興を裏切らないで死を選び父の汚名を返上しようとしたのではないかと解説者が述べていた。明智光秀の娘だったことで大変な苦痛、苦難を受けながら生きてきた人生に感銘を受け、紹介させて頂いた。






Last updated  2019.04.05 17:53:52
コメント(5) | コメントを書く
2019.03.24
カテゴリ:生き方
1912年生まれで日本の宇宙工学、ロケット開発の父と呼ばれる糸川秀夫氏についてノンフィクション作家の清武英利さんが、「人間は逆境の時だけ成長する」という題で文芸春秋3月号に評論を載せていたので興味深く読んだ。彼は東大教授を退官した後東京の家に妻や子供を残して飛び出し、長野県丸子町(現上田市)で19歳歳下の女性、岩泉定江さんと暮らしていた。
社会的、学問的には飛行機やロケットの制作などで日本の第一人者で大変有名な方だったがその私生活をみるとどこの家庭でも同じだなと思った。彼は何時も強気で開発の邪魔になる科学技術庁の役人たちを大会議で罵倒することもしばしばあり、変人ともいわれていた。彼は人と同じということは最大の侮辱と考える人間で、それぞれが役割を持ってこの世にやってきたのだから、みんな違っていてそれでいいのだ、神が与えてくれた宝物はお金ではなく、人に役立つ独創力なのだよと言っていたとのことである。
しかし一緒に暮らしていた岩泉さんから見ると糸川さんには冷徹でわがままな面があり、周りの人を平気で切り捨てるようなところがあり、彼女はしばしば邪険にされた周囲の人をかばったり包み込んでやったりしたとのことである。他人には偉そうなことを言って威張ったりするが彼女の前では子供みたいでちょっとしたことでいつも怒られていたようだ。「彼女は僕にないものをみんな持っている」と周囲の人に言っていたようだ。彼が脳梗塞で倒れて寝たきりになって86歳で亡くなるまで約2年間彼女は病院に泊まり込んで褥瘡一つ作らないように心のこもった介護を続けたとのことである。岩泉さんにも夫も子供もいたが何故其の家庭から離れて糸川さんと一緒に暮らすことになったのか詳細は知らないが、2年間ずっと付きっ切りで看病したことを考えると愛し合っていたのだと思う。男と女の関係は大博士も我々庶民も同じだなと思った。社会や会社では威張っていても奥さんの前ではおとなしくいつも叱られている男性は結構いるのではないかと思った。






Last updated  2019.03.24 23:17:23
コメント(2) | コメントを書く
2019.03.18
カテゴリ:生き方
歌手の三波春夫さんは常に「お客さんは神さんです」の気持ちで歌っていると言っていたが、客を神と思うのは大切なことだと思う。
衛星放送で今朝朝ドラ「まんぷく」が終了してからの7時45分から「銀座」というラーメン屋の主人の話を放映していた。出勤しなければならないので全部観たわけではなく、ちょっと観ただけだがお客さんを神さんとみている気持ちが伝わってきた。朝5時半から調理室に入りラーメンのスープの味を確かめていた。私ならまだその時間は布団の中で、いびきをかいておりもし目を覚ましていても起きようか起きまいか悶々としているような状況でプロ意識のかけらもない。
その店主はそんなに早くから当日のスープの味を確認調整しているとは、お客さんを神さんと思っていなければとてもできないと思った。ラーメンを食べにくる連中などどうせろくでもない連中だと思っていれば、スープの味などどうでもよくてお客さんが来てから適当に調整すればいいのだと思う。
農家でも同じだと思う。朝早く起きて果物の世話をしておいしい果物を作るのはその先にお客さんがいてそのお客さんをどれだけ大切にしているかによってその味が違ってくるのではないかと思う。工業製品や家庭用品を作る場合でも同じである。医者でも同じだ。患者さんを神と思うことによって本当の仕事ができるのだと思う。中にはこの言葉を逆さにとって「俺は客だ。神だ。サービスがなっていない」と殿様気取りで威張る人がいて、ラーメン屋にしても朝5時半から真心込めて準備しても「なんだこの味は!おれを誰だと思ってんだ」と文句を言ってどんぶりをひっくり返す人もいるかもしれない。しかし個々のお客さんは様々でもプロの仕事人としては物や食べ物を作る場合や患者さんに接する場合などは常に相手を神と思って対応していくべきなのだなと思った。






Last updated  2019.03.18 23:20:40
コメント(2) | コメントを書く
2019.03.14
テーマ:覚醒剤中毒(3)
カテゴリ:生き方
俳優のピエール瀧容疑者がコカインを使用した容疑で逮捕された。テレビや映画で活躍していた人だけにその影響は甚大である。今大河ドラマ「いだてん」にも出演しているが、恐らく今後は出演できなくなってしまうと思われる。過去の出演作「あまちゃん」や「とと姉ちゃん」のオンデマンドでの配信が停止になってしまい恐らく再放送も出来なくなってしまうと思う。本人だけでなく共演者も被害を被り、朝ドラフアンも切ない思いをしなければならない。他の役者やフアンに多大な迷惑をかける結果になり慚愧に堪えないことと思う。この結果は分かっていたと思うが日々の苦しい生活の中で自らを救う方法として覚醒剤を使用してしまったと思われる。テレビや映画で活躍している裏での心身の疲労、気分の落ち込みや苦しみを晴らすのにそれに頼ったのだと思う。
 花形役者だけでなく我々一般人も仕事のこと、家庭のこと、人間関係や将来のことなどで悪いことが重なったりすると投げやりの気持ちになったり、死にたいと思ったりする。
人には自分の身の回りのことは自分の都合のよいようにうまく行ってくれるものと漠然と期待している面がある。しかし実際には自分の思いとは裏腹にうまくいかないことの方が多いので、落胆して失望したり傷ついたりする。最初から「人生は思うようにいかないのが当たり前、うまくいくことの方がまれなのだ」と思っていれば結果がだめでも失望しない。これが傷つかない生き方の要諦だと思う。
次に大事なのは業務量と自分の能力の調整だと思う。芸能人が覚せい剤で摘発されることが多いが彼らは売れっ子になったらその仕事量は半端ではない。自分の能力を超えて仕事しなければならない。睡眠時間を減らし食事もまともに食べられなくて身も心もくたくたなのにお客さんの前ではいい顔をしなければならない。このような苦しみの中で覚せい剤に手を出す人もでてくるが、忙しすぎるときはマネージャーに言って仕事を減らしてもらうべきだ。自分の能力を過信していくらでも仕事を引き受けてしまう。その結果、自分を壊し他人をも不幸に陥れてしまうことになる。休養が大事だと思う。芸能人に限らず仕事が忙しすぎる人は適度の休養を入れるべきだと思う。
もう一つ大事なのはゆるぎない自負心と誇りを持つことだと思う。心無い批判にさらされることもあるだろうし、自分がミスすることもあるだろう。そういう時は心が折れてどん底に落ち込んでしまうこともある。しかし自分は今までお客さんのために心から尽くしてきた。何と言われようと何があろうともその信念は変わりないとするプロとしての自負心と誇りは自分を救ってくれるものだ。芸能人だけでなくトップ企業で働く人や医者などにも言えることで誇りを持って生きれば覚せい剤などいらないのだ。






Last updated  2019.03.15 19:09:00
コメント(6) | コメントを書く
2019.03.10
カテゴリ:生き方
私は20年ほど前「自分と他人」(文芸社)という本を書いた。内容は自分がいなければこの世は認識されないので自分が宇宙の中心であり自分は尊い。しかしそのように尊い自分と同じような存在が地球上には人口と同じだけ存在する。賢く幸福に生きるためには自分とは別の存在、他人との関係を良好に構築する必要がある。しかしその他人というのは利己的だったり、無知だったり、強欲だったり、人を貶めたりする人もいる。そのような他人とどうしたら良好な関係が築けるのか?思索の末、それにはとことん自分を愛することであり、それと全く同じように他人を愛することであると書いた。ある読者から他人があなたを殺しにきたとする。他人を心から愛するならその人の意志通りに殺されろということですか?と質問された。相手を心から愛するならばその人を殺人者にはできない。何とか防戦して結果的に殺されても相手のことを第一に思って行動することがこの考え方の根幹であるとお答えした。
他人には様々なタイプの人がいる。しかしどんな人にもその人のためを思って心から尽くす生き方が人生の基本であるとの考え方は他人との良好な関係を築く上では最高の考え方だと思っている。おかげで他人とは良好な関係で生かしてもらっているが身の回りの物との関係はきちんとした考えがなく、周りの物に振り回されて辛い人生を味わっている。
周りのものと言えばパソコンやスマホ、趣味(ゴルフ、音楽、語学勉強など)、自分の体調のことなど様々な事柄がある。例えばパソコン、ルーターをロジテックからバッファローに変えてからしばしば通信が切断することがあり、落ち込むことが多い。他人との関係では嫌なことをされてもラブラブ思考で、ダメージをそれほど受けないことを思い出し、他人に対すると同様にどんなにだめでガラクタな物に対しても心から思いやりを持つようにしたら今ほど落ち込まないのではないかと思った。周りの物は生き物ではないことが多い。それだけに人に対するよりも差別的、軽視していなかっただろうかと思った。ルーターにしても切断ばかりしていてこん畜生と思えば憎らしくなってしまう。物には命はないかもしれないが性能の良しあしには関係なく愛情を持って対応することが必要ではないかとこの頃思い始めた。そうすればパソコンやルーターも故障しないようになってくれるかもしれないとこの頃思い始めている。






Last updated  2019.03.10 17:02:38
コメント(2) | コメントを書く

全330件 (330件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 33 >


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.