カテゴリ:出羽三山
こんにちは、白龍です^^
今、外を眺めると「シ~ン」と静まり返っております。 まるで、自然が瞑想しているかのようです。 さて、9月15日に私たちが行きました霊山にあります、 『月山神社本宮』『出羽三山 三神合祭殿』『国宝羽黒山五重塔』。 今回は、『国宝羽黒山五重塔』を紹介したいと思います。 駐車場から歩いて一番最初に辿りついた門。 門の上部には、月山、羽黒山、湯殿山と記入されてあります。 『随神門』です。 随神門より内は出羽三山神社の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がっています。 随神門はこの広い神域の表玄関でもあります。 この門は初め仁王門として元禄年間秋田矢島藩主より寄進されましたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けたそうです。 随神門について、説明が記入されてありました。 随神門より継子坂を下り祓川に掛かる神橋を渡ると、『須賀の滝』がありました。 滝は承応3年(1655)時の別当天宥により月山々麓呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けられました。又、祓川の神橋を境にし山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいたそうです。 今も、須賀の滝では、修行者の滝修行が行なわれています。 『爺杉』です。 指定樹齢は1000年を越えるといわれ、国の天然記念物に指定されています。 『国宝羽黒山五重塔』です。 東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられています。 古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院がありましたが、今はなく五重塔だけが一の坂の登り口左手に素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で聳り立つ杉小立の間に建っています。 塔は長慶天皇の文中元年(約600年前)庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられています。 国宝羽黒山五重塔について、説明が記入されてありました。 出羽三山案内図です。見えなくてすみませんm(__)m 私たちが『月山神社本宮』『出羽三山 三神合祭殿』『国宝羽黒山五重塔』と参拝している時に、 東の太陽の3人娘であります「RYOKOさんたち」も羽黒山に来ておりました。 RYOKOさんの「水火の国・東北ツアー☆出羽三山」の綴りです。 RYOKOさんたちとは、何らかの繋がりがあったことでしょう。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 全てに感謝感謝の気持ちを☆” 精神世界ランキング ↑ ランキングに参加しています。応援していただけたら幸せです♪ いつもありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年09月22日 13時56分02秒
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