5392454 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

inti-solのブログ

inti-solのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

日記/記事の投稿

コメント新着

inti-sol@ Re[1]:やっばり「皇国の春」に甦りたくはない(06/08) Bill McCrearyさん 県知事は当時は公選で…
Bill McCreary@ Re:やっばり「皇国の春」に甦りたくはない(06/08) 私も沖縄戦について本日(2024.6.10)記事…
inti-sol@ Re[1]:合計特殊出生率1.20(06/06) maki5417さん 本文に書いたように、グロ…
nordhausen@ Re:合計特殊出生率1.20(06/06) >合計特殊出生率の低下 以前もコメント…
maki5417@ Re:合計特殊出生率1.20(06/06) 少子化は毎度のニュースですが、グローバ…

カテゴリ

2021.03.18
XML
カテゴリ:その他
アニメーター大塚康生さん死去、ルパン三世の作画監督
「ルパン三世」「未来少年コナン」「じゃりン子チエ」などで作画監督を務めた名アニメーター、大塚康生さんが15日朝、心筋梗塞で死去した。89歳だった。
1931年、島根県生まれ。厚生省麻薬取締官事務所勤務からアニメーターに転じ、東映動画(現・東映アニメーション)で、日本初のカラー長編アニメ「白蛇伝」や、「わんぱく王子の大蛇退治」、「長靴をはいた猫」などを手がけ、痛快で生き生きとしたアクションを得意とした。
後輩として東映に入ってきた高畑勲(35年生)、宮崎駿(41年生)両監督の才能を見いだし、引き上げた師匠的存在だった。東映を退社後も「ルパン三世」(シリーズ第1作)で2人と組み、宮崎監督の初監督作「未来少年コナン」や長編初監督作「ルパン三世 カリオストロの城」で作画監督を務めた。高畑監督作品では東映時代の「太陽の王子ホルスの大冒険」のほか、映画「じゃりン子チエ」でも作画監督を務めた。
ルパンの愛車として知られるフィアット500は、番組制作時に乗っていた愛車。ジープマニアとしても有名で、プラモデルの監修などに携わった。
インタビュー集に「作画汗まみれ」、「大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽」がある。少年時代に描いた機関車や進駐軍の車両の克明なスケッチを集めた「大塚康生画集 『ルパン三世』と車と機関車と」を昨年出した。

---

ご高齢だったので、遠からずこの日が来るとは思っていましたが、ついに、です。
アニメ界以外では宮崎駿、高畑勲の両巨頭ほどの知名度はなく、新聞報道も、朝日新聞のこの記事は紙面上どの程度の扱いだったのかは知りませんが、我が家で購読している毎日新聞では昨日の朝刊3面死亡記事でしかありませんでした。(写真は載っていましたが)
しかし、アニメに多少なりとも興味がある人にとっては、私のようにたいした知識がない者でも、大塚康生の名は両名に匹敵する重さがあります。

宮崎アニメのどの作品も私は大好きですが、その中で一番好きなものを1作だけ挙げろと言われたら、私は「未来少年コナン」(NHKが放送した初のセルアニメでもある)を挙げます。その未来少年コナン、そしてその次の作品である劇場作品「ルパン三世カリオストロの城」で続けて作画監督を務めたのが、大塚康生さんです。
もっとも、2作挙げるなら、次の1作は「風の谷のナウシカ」(大塚さんは関わっていない。作画監督は小松原一男さん)になりますが。
宮崎アニメの映像表現的な面での大きな魅力は、「飛翔感」と「コミカルな動き」であると私は思っています。このうち、「飛翔感」については、頂点にあるのは風の谷のナウシカだと思っています。一方「コミカルな動き」の頂点は「コナン」「カリ城」の両作で、「ナウシカ」以降は、コミカルな動きは次第に目立たなくなっていきます(まったくなくなるわけではないけれど)。
つまり、初期の宮崎作品の大きな魅力であるコミカルな動きを支えていたのは大塚康生の作画、ということになります。
もっとも、「コナン」では、ヒロイン「ラナ」の絵は、第一話の最初のシーンで大塚の描いた顔を宮崎が気に入らず(「ブスラナ」という宮崎の発言があまりに有名)それ以降ラナの作画は宮崎が独占して大塚には描かせなかったそうですが。そう言われてみると、「コナン」の中で、コナン、ジムシー、ダイス船長などはコミカルな動きをよく見せますが、ラナはそれほどでもなかった気がします。
通常、アニメにおける演出というのは作品そのものの絵を描くことが仕事ではないのですが、宮崎は自身がアニメーターの出身、しかも、絵のプロであるアニメーターの中でも図抜けた画力(絵の上手さも図抜けていたらしいですが、超人的に描くのが早かった)、さらにこの時期の凄まじい仕事量をこなす気力、体力が宮崎にあったから可能だった離れ業でしょう。

もう一つ、大塚康生の携わった作品で印象が強いのは、高畑勲監督の「じゃりン子チエ」(劇場版)です。大塚は、小田部洋一と共同で作画監督をつとめましたが、これも強烈な印象がある作品です。1981年の作品ですが、私が見たのはそれから数年後、高校生になってからでした。ビデオやテレビ放送ではなく劇場で見ました。長らくその時一回しか見たことがなかったのですが、結構強烈な印象が残っています。

やや余談ですが、数年前、じゃりン子チエが全編がYouTubeにアップされていたことがあって(今はもう消されています)、三十数年ぶりに見たのですが、別の意味で強烈な印象に残りました。これって、舞台はどう見ても釜ヶ崎(西成)じゃないですか。そして、どこからどう見ても、テツによるチエのネグレクト物語。妻(チエの母)ヨシ江は別居中、その環境の下と考えれば信じられないくらいチエはいい子でしっかり者ですが、逆にテツの方は、こりゃもう典型的に、あまりに典型的にこの手の人たちの行動パターン、思考パターンそのもの。
いやあ、高校生の頃は、そんなことまったく思いもしなかったけど、今となっては笑いもひきつる、ヤバい作品です。が、そういう視点から見ても、この作品はリアリティ抜群で、思わずぎょっとします。だから、やっぱりすごい作品です。

大塚さんの話に戻ると、世の中には兵器、武器の出てくるアニメはたくさんありますが、その実物を扱った経験のあるアニメーターなんて、まずいないでしょう。その希有な例が大塚さん。引用記事にあるように、前職は厚生省麻薬取締事務所(取締官ではなく補助員だったそうですが)勤務時代に分解整備などを行っていたのが、後の「ルパン三世」で峰不二子が使用する拳銃ブローニングM1910。
それをはじめとして、蒸気機関車やジープなど、メカ大好きでメカを描かせれば右にでるものがない、とも言われたそうです。
しかし、それを聞きつけた「宇宙戦艦ヤマト」の西崎プロデューサーが引き抜きにかかると、即座に断っています。メカの動く仕組みを突き詰めるタイプだから、「船が空を飛ぶ仕組みが分からない」とも言われますが、それだけが理由かどうかは分かりません。
西崎の経歴をたどると虫プロに行き着きます。当時東映動画動画にいたアニメ関係者は、基本的には虫プロ、つまり手塚治虫のアニメをかなり酷評しています。大塚さんも同様です。虫プロが手塚治虫の「アニメやりたい」という、いわば趣味で、採算度外視の低価格で作品を請け負うようになったこと(赤字は手塚が漫画で稼いだつぎ込んで補填した)が、彼らのいた東映動画のアニメづくりにも多大な悪影響を及ぼしたからです。

「東映の良心が十万馬力で破壊された気分」
「『アトム』で手塚さんはパンドラの箱を開けちゃった。手塚さんがやらなくても誰かが開けたでしょうけど。ちゃちな動きで話にならないと思った『アトム』に世間は拍手喝采。東映の良心が十万馬力で破壊された気分でしたね」
ーーー

だから、虫プロ関係者のことを、あまりよくは思っていなかったのかもしれません。また、盟友である宮崎・高畑のコンビが、ヤマトの裏番組であった「アルプスの少女ハイジ」を手がけていたことも(大塚さんは「ハイジ」には参加していないですが、手伝いくらいはしたことがあるかもしれません)、あるいは関係していたかもしれません。
何にしても、偉大な方であったことは間違いありません。ご冥福をお祈りします。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.03.18 19:01:43
コメント(8) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.