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2021.05.24
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テーマ:ニュース(99443)
カテゴリ:政治
「種の保存に反する」 性的少数者めぐり 自民・簗議員
自民党が内閣第1部会などの合同会議でLGBTなど性的少数者への理解増進法案を審査した際、簗和生衆院議員が性的少数者について、「種の保存」に反するとの趣旨の発言をしていたことが分かった。
複数の党関係者が明らかにした。
合同会議は20日に開催。出席者の一部からは発言を問題視し、その場で訂正を求める意見が出たという。
簗氏の発言をめぐり、関係団体からは「当事者ばかりでなく家族や友人を傷つけ存在を否定する、到底看過できない発言だ」(LGBT法連合会)などと批判の声が上がっている。

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最低最悪の差別発言を平然と口にできる人間が自民党の国会議員という存在だということです。
それにしても、こういうことを言って、何かがおかしいと自分で気が付かないものかね、と思います。

なるほど、確かに純粋に生物学的に「より多くの子孫を残す」ということだけを生命の存在意義と捉えるなら、LGBTは「種の保存に反する」かのように見えなくはありません。しかし、それはあまりに表層的理解というものです。

第一に、自然界においても生物のすべてが、「種の保存」だけを条件に生きているとは限らない、ということです。成長して生殖行動が可能になっても、生殖行動に参加しない個体は、たいていの場合は存在するものです。そういう個体の存在は、近視眼的には種の保存に反するように見えたとしても、より広い意味で自然の摂理には反していません。

ドイツで、第二次大戦中から戦争直後に生まれた男性に同性愛者が多い傾向があります。これは、戦時下に連合軍の空襲や侵攻によって、当時妊娠中の母親が強いストレスを受けたことが原因だと言われています。人間の体は胎児のある段階までは女性の脳を持っています。それが男性は男性ホルモンを浴びることで、男の脳になる。しかし、ちょうどそのタイミングで母親が極度のストレスに晒されると、胎児は男性ホルモンをうまく分泌できなくなり、体は男性でも脳は女性のままで生まれ、それ故に同性愛者となってしまう例か数多くありました。
戦争に限らず、母親が妊娠中に強いストレスを受けることは、どんな社会でも、人間以外の哺乳類でも起こりえます。もちろん、これは同性愛者が生まれる要因の一つであり、他にも様々な要因がありますが、いずれにしても、「男が好き」「女が好き」というのは、本人の主体的な「好み」「意志」による選択ではなく、本能に基づくものなのです。

LGBTは、確かにそのままでは子孫を残しません。でも、生れ出たLGBTが社会の中で居場所を得て、生涯を全うすることは、何ら自然の摂理に反することではありません。
前述のとおり、人間以外の動物にも脳と体の性的不適合は生じる可能性があるし、そういった個体が生まれてすぐに死んでしまう、というのでもありません。「気持ち悪い」と他の動物から白眼視されることもありません。むしろ、LGBTを目の敵にするのは、人間の一部の、社会的文化的偏見に基づく行動でしかありません。ただの偏見に「種の保存」とか似非科学を持ち込むなと言いたい。

第二に、そもそも文明とは種の保存とは相反するものです。

人類が文明を発達させて生活水準を向上させてきたこれまでの歴史は、少なくともある段階以降は「より多くの子孫を残す」という生物としての基本原則とは矛盾してきました。
人類の歴史が始まって以降、大筋では、文明、科学技術の水準が上がるにつれて、出生率は低下してきたはずです。その一方で食糧生産の増大と安定化、科学技術の向上による公衆衛生と医療水準の向上によって死亡率、とりわけ乳幼児の死亡率も、一貫して下がってきています。(長い目で見て、ということです。中・短期的には気候変動や疫病、戦争、動乱などによって出生率も死亡率も単純な直線ではなくかなりの波はあるでしょう)

人類の歴史は多産多死→多産少死→少産少死という経過をたどってきました。文明の発達は、多産少死の段階までは生物学的には「種の保存」と矛盾はない※ものの、それが少産少死に至る過程で、種の保存とは対立的になります。

※もっとも、そのまま人口爆発を続ければ、最後には人口が生産力を越えて破綻を来す(大量死につながる)ことになります。自然界においても人間界においても、そういう例は過去多数あります。その将来像が、少子高齢化よりマシなものとは言えません。

大筋において、先進国と呼ばれる国々は数十年、下手をすると百年以上前から出生率が低下しており、現在では中進国と呼ばれる国々(東南アジアは特に)も出生率が急減しています。
つまり、文明の発展とは、少なくとも死亡率が十分下がり切って以降は、「種の保存」とは反するものになっているわけです。日本で言えば、1970年代後半か80年代以降がそれに相当します。ネット社会もパソコンも携帯電話も、種の保存には反するものだからやめましょう、ということになりますが、そんなことができますか?

だいたい、技術の進歩や文明の発展には様々な側面があり、その中には一見すると死亡率の低下とは何ら関係のないものもあります。旧石器時代の昔から絵画というものは存在するわけですが(ラスコーなどの洞窟壁画)、絵を描くことが死亡率の低下と何の関係がありますか?食料生産にも医療の進歩にも、一見すればまったく無関係にしか見えません。近視眼的に見れば、それこそいわゆる「不要不急」の最たるもので、「種の保存」とは無関係なところに、「無駄なエネルギー」を消費してきた、ということになります。
でも、そういった「余白」の部分があってこその文明であり、 人間社会というものです。
「遊び」「余白」「無駄」のないところに、個人の心身の発達も、社会的な文明の発達もありません。だからこそ、私は人間社会に「不急」なものはあっても「不要」なものはないと言っているわけです。
前述のとおり、LGBTは自然状態でも不可避的にある程度の割合で生じるものです。それを「種の保存に反する」などと言って社会から排除する、そんな余白も遊びも無駄も認めないような狭い狭い考え方が、文明の発展に資することはないでしょう。

以前の記事で指摘しましたが、「出生率を左右する最大の要因は女子教育」です。つまり、近視眼的に「子孫を増やす」ことのみに価値を置くなら、女子に教育を禁じればよい、ということになります。女子教育こそが「種の保存に反する」最たるものだからです。
当然、そんなことを実行したら、文明国ではいられない。気の狂った狂信国家同然です。科学技術も何もかも捨て去って未開の国に戻ることを覚悟の上でそう主張するなら止めはしません。でも、誰の賛同も得られないでしょう。

人間は高度な文明を手にしましたが、それは「種の保存」のみを唯一の価値基準とする生活から離れていくプロセスと言っても過言ではありません。そうでなければ今での人類は原始人のままです。
それなのに、馬鹿の一つ覚えのように「種の保存に反する」などという言葉を振りかざして回る行為は、自然と文明と社会に対する無理解を吹聴しているに等しいものです。





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最終更新日  2021.07.01 06:52:28
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