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このシリーズ、実はすごい愛情を持っている。 (maoさんがこのシリーズの第二作「夜の蝉」の書評を書いているので。こちら。もcheck it out.) なぜなら最近図々しいついでに言っちゃおう。 何か主人公に自分と相通じるところがあるように思うのです(でた、太宰治の読者的勘違い(笑))。 1.文学少女的な自意識過剰と生意気さ。及び女性という性を受け入れる(怪しい意味でないよ。)ぎこちなさ。ちょっとした言葉遣いとか。 2.そしてあたしも人が振り返るほど美人の姉がいた(いる)。彼女の卒業アルバムの写真見て全く知らない人が突然交際の申し込みの電話してくるようなことも珍しくなかった。 その辺が(笑)。 夜の蝉の中で、ベッドの中でちょっと気になる男の人から借りた本を読んだ後に、その本の帯に謳い文句として <無気力と憂鬱、グロテスクとエロチシズム> と書いたあるのを見て動転するシーン。 麗々しくそう謳っている本を男の人に声をかけて何がなんでも借りたことを、その瞬間わたしはたまらなく羞ずかしく感じた。 身体を硬くしていると、遠く国道から救急車かパトカーの急行する音が響いてきた。横向きになってスタンドを消し、目を閉じた。 闇に沈みながら、頭の中では失地回復を図る軍師のように、あれこれと露文氏と再会したとき交わす言葉と、それを出す手順を考えた。 ここまで極端ではないけど、最後が分かる!! この「失地回復を図る軍師のように」色々シミュレーションするとこが分かる(笑)。 Anyway,このシリーズはいわゆる推理小説ではないのね。 もっと日常の中の小さな心と心の機微が織り成すちょっとした不思議を軸に主人公の成長を(周りの人々の人生の変遷を交えながら)暖かく穏やかに見守っていくそんなシリーズ。 後書きにもあるようにビルドゥングス小説なのよね。 で、最近「朝霧」かな。最新刊読んで、主人公の成長振りにはっとすると共に何だか悲しくなって第一作を読み返してみた。 それがこの「空飛ぶ馬」。 一度も見たことがないはずの絵を何回も夢に見た不思議。 何故少女たちは、コーヒーにスプーン4杯も砂糖を入れたのか。 どうして車は盗まれず、シートカバーだけ盗まれたのか。 等々。 日常的な生活の中での何気ないしぐさから始まる謎に出会う主人公。女子大生の「わたし」。 その女子大生の「わたし」がずっとファンで追いかけていて、ひょんなことから知り合う落語家の春桜亭円紫。どんな謎も円紫師匠にかかるとたちどころに解けてしまう。 でもこの師匠の本当にすごいところは謎解きじゃなくて、それ以上に、人の醜さ罪から目をそらさないにも関わらず、人に向ける視線のかぎりない暖かさなんだよね。 Anyway、このシリーズは読んでいると暖かい気持ちになったり、はっとしたり、懐かしい気持ちになる文やシーンでいっぱい。色々な本への言及も嬉しい(一度読んで何度も美味しい本のうちの一冊) "小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います。" 作者の言葉だ。 わたしはそれを知ったとき、芥川が言水の句を読んだときの心のゆれを、一瞬共有したような気がした。 これからもわたしは本を読んでいくだろう。 そして本は、わたしの心を様々な形で揺らしていくだろう。 朝霧のなかの1シーン。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 27, 2020 07:44:33 AM
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