いまあらためて上野村周辺の地図をみてみる。村役場のある国道299号線からさらに10キロほど入ったところ、ほぼ長野との県境に聳えるのが御巣鷹の峰だ。標高は1639メートル。隣は長野県南相木村になる。最初に届いた墜落地点はたしかこの南相木村ということになっていた。そちらへ向かって車を走らせたものもかなりいた。もとより山に県境などあるわけなどはなく、行政区分は人間の勝手が線引きしたものにすぎない。しかし道路標識もこうしてみる地図も人間の勝手を重視し優先して作成されているので、長野県なら中央道を往くかなどと浅薄な味噌は勝手の上に勝手を重ねてつい判断してしまう。のちになってこの墜落地点が航空管制のうえで東京コントロールあるいは横田コントロールという米軍が実質統括する空域であることにわたしなどもおそまきながら気づいてがく然と慄然としてしまうわけで、そこからミステリーが幾つも生まれることになるのでもあった。しかし、1985年8月13日午後××時救難ヘリ自衛隊のCH-47Jだか双発大型ヘリの舞う山頂ではわたしの優秀すぎる味噌も鈍っていた。だからほぼ同じくらいな年格好の自衛隊の下士官が指差す谷のほうをのぞき見たときには、そばでぱたぱた鳴り土煙をあげるヘリの大音響に耳塞ぎながら、はやくも山降りてどうするかレストランなんて無いだろうと晩飯のことをかんがえていた始末だ。
覗いた谷のV字に切れ込んだところに18時間前まではJAL123便だった鉄屑の膨大な山が見えた。それはまったくもって鉄屑の巨大な塊であった。そこまでの距離がどれくらいだったか50メートルくらいはあったかいやもっとだったか。散乱する破片と引き裂かれた大地が赤茶けた素肌を夏の日に晒している。川上慶子ちゃんたちはあの残骸のなかから発見され救出されたのだった。いまだに信じられない。だが事実である。その映像はこの春のJR福知山線の脱線転覆事故現場の凄惨な光景(2005.04.25当ブログ「見ることからはじめる」参照)とぴったり重なる。速度と衝撃、この宇宙の法則の壁に激突することの無慈悲…。ナニモノでもなくなってしまった衝撃。あらゆる喩えが総動員されても、説明のつかない光景がそこにあった
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つづく