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カテゴリ:極東
承前(2005.10.31「ワン・プラス・ワン」より)
およそ文化的でないブンカの日がまもなくおわる。文明の反対語が野蛮なら、文化の反対語はナンだ? 患部だって?幹部かもしれない、いや感部だろうか。ブンカのなかにいいこともある、やなこともある、みんな文化の日だってさあ。日本国憲法は拳法か剣法か。平和の幻想の中でヘイワは痺れを切らしてしまったのか。テレビというメディアが、文化を分化させ、白痴をインプッドメソッドの常用変換語からも駆逐してしまった。hakuchiと打っても出現する言葉は「白雉」だけ。これが「文化」なんだろうか。日本国憲法を「改憲」するという。そのおおもとに、おなじような下品があるとは誰も気がついていないのだろうか。ブンカ!? ふん!である。毎年三万人の自殺者を出しつづける国のどこが文化国家なものか。 さて、自民党憲法草案、前文の無惨の締めくくりは、つぎのようになる。 >日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。 「自然との共生を信条に」で、おもわずわらってしまった。なんだか、地球環境は守っても、イラク人民の命は捨てちまえ…ときこえてしまう。いや地球にだって迷惑な話であろう。そもそもがとってつけたような環境保全ではないか。地球は別段、人類に守られなくたっていいよと呟くに違いない。笑い話のような結語である。それにだいいち「かけがえのない」のは、人の命であろう。地球も宇宙も自然も、人類という種が死に絶えても生きつづける。すべてがそうだとはおもわないけれども、いま盛んに言われ始めた環境保全はうさんくさい。政治的用語なのだろう。あわてて書いた卒業論文のように落ち着きがない。この草案もそうだ、情けなくなるような前文である。じつを言えば、法律は現行憲法の、それも前文だけがあれば十分ではないか、と私自身はずっとおもってきた。極論だけれど、ある種の真理をついているのではなかろうか。その現行憲法前文は、つぎのように締めくくられる。 > 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 簡潔である。そうしてその目線はあくまで高く、品格があるとおもう(あえて異議を唱えれば、「国家の名誉」は余計か、むしろ「われらの名誉」だろうか…)。ふたたびいうが、このような憲法をもったことをわたしたちは誇りにおもっていいとおもう。あと百年この憲法を維持すれば、ブンカもやがて文化に育つだろう ┌|∵|┘ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.04 01:33:47
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