夜明け前に起きだし、前日のすっかり冷たくなった珈琲を喉に流し込む。寝床のあるところから机までの二十歩ほどを何度か往復し、そのあいだ頭の味噌をがらがらと転がしつつふつふつと火口から噴き出すしょうもない泡粒のような意識の断片を気ままにさせている。意識の噴火口は真紅のその口にときおりオレンジ色の奔流を覗かせたりもするのだが、それを観察するもうひとつの意識がじゅうぶん注意深くそれをとらえないかぎり、たちまちに輝きをうしない鉛のごとく鈍く固化してしまうのだ。ラヂオからはイヴの特集番組がながれている。2001年から2010年までの最初の10年間では、日曜日がクリスマスであるのは2005年一回きりで、ことしはきょう月曜日がクリスマスだ。したがってクリスマスの朝にいまこれを書いているわけで、しかしだからといって特別な感情も湧かないのはキリスト教徒でないせいばかりではもちろんなくて、山にひとりでいるからでもなく、西欧文明に反撥があるわけでもない。もともとそうした行事一般に淡泊なほうで正月もひとつのけじめくぎりという意識以外とりたててどうという感情も湧かない。しかし世間はそうではないから、たとえば周囲がクリスマスだとか正月だといってそのようなムードというか雰囲気に包まれるのまで冷たくあしらう気持ちもまったくなくて、「おめでとう!」と声を掛けられたら「おめでとう!」と返すくらいの気持ちはある。
考えてみれば、アニバーサリーというか記念日に対するこうした感情のありようは、わたしのばあいこどものころから一貫していて、ひそかに困った性格だとそうしたオノレに一種引け目のような気持ちを感じた時期もあった。こうした冷淡さはたとえば「死」にたいしても「生」にたいしても同様らしくて、身内の生死についてどこか他人事のような態度と感情が常にまとわりついている。なんにでも「病名」をつけてしまう昨今の流行からすれば、おそらくはこうした態度にもなんらかもっともらしい名前が与えられるのだろう。そうでなくても、「つめたい」と誤解されたりはする。なるほど「つめたいひと」なのかもしれないと自分でもナットクし、ひとりになったときにあわてて体温を測ってみたりしたことも冗談で無くあった。体温といえば、さきごろ六甲山で遭難し22日後に生還した男性が、遭難直後に体温が22度にまで下がっていはば「冬眠」状態だったことがさいわいしたという報道があったが、一般に、体温の低いほうが生物としては長生きするらしい。食べ物だってそういえばそうだ。冷凍庫に入れておけば豚も牛も鳥も長く持つ。「炎の人」は短命なのだ。しかし、クリスマスの朝に書くことでもないような話題を書いているなあ(笑)。午前六時半…ああ、ようやく明るくなってきた、さぁて、熱い珈琲を煎れよう。
写真は雌猫ジュリー(左)とバルテュス画集から「朱色の机の日本の女」(右)